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コロナと女性(1)3つ子の母が設計した400円ワクチンは世界を救えるか 子育て担当は同業だった夫

木村正人在英国際ジャーナリスト
オックスフォード大と製薬大手アストラゼネカが開発したワクチンも高い有効性を示した(写真:ロイター/アフロ)

女性抜きでは語れないパンデミック

[ロンドン発]世界全体で感染者6159万人以上と死者144万人超を出して、なおとどまるところを知らない新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミック。医学雑誌ランセットに掲載された論文によると、コロナで死亡した女性の割合は男性より4分の1近く少ないことが分かっています。

コウモリからヒトへの感染を許した犯人とアメリカから批判されたのが「コウモリ女」こと武漢ウイルス研究所の石正麗研究員(56)なら、お手頃な値段で途上国への大量供給を可能にする英オックスフォード大学のワクチンを設計したのも女性のセーラ・ギルバート教授(58)。

パンデミックに上手く対処したのはドナルド・トランプ米大統領のようなマッチョタイプの男性指導者ではなくニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相に代表される女性指導者でした。しかしパンデミックが広げる格差の犠牲になったのは都市封鎖で解雇されたり、家事労働が増えたりした女性労働者でした。

2020年のCOVID-19は女性抜きでは語ることができないパンデミックです。まずは世界をパンデミックから救った女性として将来、教科書に載るやもしれぬ3つ子の母、ワクチン学者のギルバート教授の話から紹介しましょう。

コーヒー1杯の値段で打てるオックスフォードワクチン

セーラ・ギルバート教授(オックスフォード大学のHPより)
セーラ・ギルバート教授(オックスフォード大学のHPより)

「新型コロナウイルスによって引き起こされた荒廃を終わらせるためにワクチンを使用できる時代にさらに一歩近づきました。私たちは規制当局に詳細な情報を提供するため作業を継続します。全世界に利益をもたらす多国籍の取り組みに参加できたことを光栄に思います」と胸を張りました。

オックスフォード大学と英製薬大手アストラゼネカがCOVID-19に対するアデノウイルスベクターワクチンについて「最大90%の有効性を確認した」という第3相試験の暫定結果を発表した23日、設計者のギルバート教授はこう言って胸を張りました。平均値でも70.4%という高い有効性を示しました。

94.5~95%の有効性が確認された米ファイザーと独ビオンテック、米モデルナのmRNAワクチンはそれぞれ摂氏マイナス70度、同マイナス20度の冷凍庫での保管が必要ですが、オックスフォード大学のワクチンは通常の家庭用冷蔵庫(同2~8度)で安全に保管できるため、グローバル展開がはるかに容易になります。

価格もオックスフォード大学のワクチンは3ポンド(約415円)弱とお手頃です。ちなみにファイザーとモデルナのワクチンはそれぞれ15ポンド(約2077円)と28ポンド(約3877円)かかります。

オックスフォード大学の第3相試験で確認された発症例は131人。1回目の摂取量を半分にして2回目は全用量を接種したグループ(被験者2741人)では90%の有効性が確認されたものの、被験者に55歳以上は1人もいませんでした。2回とも全用量を接種したグループ(同8895人)の有効性は62%でした。

「最大90%の有効性」を証明するには新たに第3相試験を行う必要がありますが、平均値の70.4%でもワクチンとしては十分過ぎるほど高い有効性と言えます。

「静かな鋼」のような女性

ギルバート教授は天然痘ワクチンの開発者エドワード・ジェンナーにちなむオックスフォード大学ジェンナー研究所で研究しています。新型コロナ・ワクチンの開発に中心的に取り組んでいるのはギルバート教授ら6人です。

英BBC放送や英紙ガーディアンによると、ギルバート教授はイングランド中部ノーサンプトンシャーに生まれました。父親は靴の業界で働き、母親は英語の先生で地元のアマチュアオペラ協会のメンバーでした。

同級生はギルバート教授について「静かな鋼」のような人と評しています。大学時代は近所の人に迷惑をかけないよう、犬と一緒にカーディガンを編み、森の中でサックスを演奏する物静かな人でした。

ハル大学で遺伝学と生化学を研究して博士号を取得した彼女は醸造産業研究財団に就職。もともとワクチンの専門家になるつもりはありませんでした。1994年からオックスフォード大学でマラリアの研究を始めます。

同じ科学者の男性と結婚して98年に3つ子を授かると、夫が科学の道をあきらめ家に入って3人の子供を育てます。3人の子供はそれぞれ好きな道を選んだものの、いずれも大学で生化学を専攻。3人とも母親が設計したワクチンの臨床試験に参加しました。

「疾病X」と闘う武器

ジェンナー研究所でギルバート教授はすべての株に効くインフルエンザワクチンを開発するため独自のグループを設立。2014年にはエボラワクチンの開発に取り組みます。開発した中東呼吸器症候群(MERS)ワクチンの第2相試験が始まったばかりの時に新型コロナウイルス感染症が中国・武漢でアウトブレイクします。

ギルバート教授らが開発したアデノウイルスベクター(ChAdOx1)は未知の病原体を意味する「疾病X」と闘う武器としてすでに世界保健機関(WHO)の承認を受けていました。

ギルバート教授は「同じアプローチが使えるかもしれない」と仲間を集めます。中国が新型コロナウイルスのゲノム情報を公開した1月11日の翌日にはワクチンの設計はほとんど終わっていました。午前4時にメールを出し、自転車で研究所に出かけて午後8時に帰宅、深夜まで開発に没頭する生活が始まります。

「私たちは大学であり、おカネを稼ぐためにコロナワクチンの開発に参加しているわけではない。競争相手は他の開発者ではなくウイルスだ」と語るギルバート教授は脚光を浴びることを望まないタイプの研究者だそうです。

コロナと女性(2)ではギルバート教授が開発したアデノウイルスベクターワクチンについて詳しく紹介しています。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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