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「五輪よりワクチン」か「ワクチンも五輪も」か G20で五輪開催を誓った菅首相だが状況は厳しい

木村正人在英国際ジャーナリスト
G20サミットにオンラインで参加した菅義偉首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

「治療薬やワクチンの特許権、一元管理を」

[ロンドン発]世界全体で感染者5846万人、死者138万人を出した新型コロナウイルス感染症(Covid-19)パンデミックを終息させる切り札としてワクチンへの期待が高まる中、オンライン方式の20カ国・地域首脳会議(G20リヤドサミット)が21日、2日間の日程で開幕しました。

菅義偉首相はまずコロナ対策について「ワクチンに世界の誰もがアクセスできる環境を整えることが重要だ」と治療薬やワクチンの特許権を一元管理する「特許権プール」の活用を支援する考えを示しました。

その上で「感染拡大の防止に万全を期した上で、経済回復や国際的な人の往来再開に向けてあらゆる努力を傾注すべきだ」と呼びかけ、1年延期された東京五輪・パラリンピックについて「安全・安心な大会実現のため全力で取り組む」と来年開催への決意をにじませました。

米製薬大手ファイザーと独バイオ医薬ベンチャー、ビオンテックはCovid-19ワクチンについて18日、発症を防ぐ有効性が95%にのぼったとの第3相試験の最終結果を発表したばかり。65歳以上の高齢者でも有効性は94%に達し、安全性の問題も確認されませんでした。

米バイオテクノロジー企業モデルナも16日、第3相試験中のワクチンについて、発症を防ぐ有効性が94.5%になったとの暫定結果を発表しました。英国民医療サービス(NHS)は12月1日からファイザーのワクチン接種を開始し、4月までにイングランドの成人全員への接種を終わらせる計画です。

日米欧の先進国はともかく途上国にワクチンが行き渡るのにはもっと時間がかかるとみられ、東京五輪が開幕する来年7月下旬までに新型コロナウイルス・パンデミックが終息しているかどうかは非常に微妙な状況です。

今、五輪に関心があるのはおそらく日本と国際オリンピック委員会(IOC)、アスリートだけで、大半の人が家族や友人の死を悲しみ、仕事や生活、将来への不安が大き過ぎて「五輪どころではない」というのが正直な気持ちでしょう。

コロナ危機、3つの教訓と2つのジレンマ

コロナ危機とワクチン開発を巡る現状と課題を見ておきましょう。英有力シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)のデービッド・ゴードン上級顧問は「戦略概観2020」の発表に合わせた記者会見で今回のコロナ危機を次のように総括しました。

「3つの教訓があります。まず、非常に前向きなニュースの源は科学への投資が機能しているということです。2021年にはコロナ危機の軌道を前向きに完全に変えるいくつかのワクチンが利用可能になりつつある最中です」

「当初、中国は全く透明性を欠いていましたが、ワクチン開発に重要なウイルスの遺伝子配列を公開しました。(欧米と中露の)対立にもかかわらず科学は機能しました。科学が役割を果たす大きな地球規模の問題に関する国際協力の基盤は依然として存在しています」

「次に、旅行制限が機能することです。昨年までの考え方は可能な限り旅行制限を避けても感染症の封じ込めはできるというものでした。しかしこれまでのデータによれば旅行制限は封じ込めに成功した国々の中心的な政策でした」

「最後に地政学的、地経学(ジオエコノミクス)的競争と健康の不確実性とパンデミックの可能性が組み合わさった世界ではサプライチェーンに余裕を持たせるのは良いことだということです。サプライチェーンの効率性や余剰を最小限にすることに焦点を当てるより、十分な余剰を持つことに移行していると思います」

「そして2つのジレンマがあります。第1のジレンマは東アジアと世界の他の地域とで感染状況に違いがあるということです。当初、中国は市民の行動を組織化、強制する能力があると考えられていましたが、それは中国だけに限りません。韓国、台湾、日本も感染を抑制するのに成功しました」

「私たちはその原因を完全には理解していませんが、原因の1つは長い間実施されてきた東アジアのマスク着用のスタンダードが、おそらく欧州やアメリカの私たちが想像しているよりもはるかに役立っていると確信しています」

「第2のジレンマは、科学は重要だと思いますが、科学はまた特に強力な人々によって簡単に政治化されます。私が暮らす米ワシントンでは大統領選で有権者の90%以上がドナルド・トランプ大統領に反対票を投じました」

「科学の誤解のため、アメリカの主要都市と同様にワシントンでも公立学校は閉鎖されているのに対してバーやレストランは営業しています。一方、欧州では学校は開いたままであり、パブやレストランの制限が強められています。これは科学の政治化によるものです」

「その影響は深刻で、アメリカの公平性に重大な影響を与え続けるでしょう。裕福な人々が住む私の近所では子供たちは私立学校に通っています。私立学校は開いています。しかしワシントンの恵まれない地域では子供たちは学校に行く機会を奪われています。必ずしも自宅にコンピューターがあるわけでもありません」

「こうしたことはすべて安全という名目で行われました。非常に残念な出来事です」

ワクチンの落とし穴

英オックスフォード大学が主宰するオンラインイベント「Covid-19ワクチンへのグローバル競争」で、感染症を専門にするインドの医師、ジフティ・インマヌエル氏はコロナワクチンについて次のような懸念を示しました。

「ワクチンへの熱意を弱めるのは本意ではありませんが、ダーウィンの進化の原則はウイルスにも当てはまります。 ウイルスはワクチンにさらされた瞬間から耐性を持つようになります」

「効果的なワクチンを導入した日、実際に起こることはウイルスが反撃に転じるということです。B型肝炎やその他のウイルス性疾患で起きたようにワクチン回避変異体が出現する可能性は高いでしょう」

「Covid-19は人獣共通感染症です。私たちはこれが動物から来たことを知っています。そして北半球で人型コロナウイルスのミンクへの感染拡大が報告されました。将来、ワクチンの有効性に影響を与える可能性を排除できないため何百万ものミンクが殺処分にされました」

「抗体依存性増強(ADE)への懸念もあります。デング熱などでは以前の感染で体内にできた抗体がウイルスと結びついた時に逆に感染や増殖を促して重症化させてしまうADEが確認されています。コロナワクチンがそのような環境を作り出す可能性があるという理論上のリスクがあり、それに対処する必要があります」

市場主義とワクチンナショナリズムと闘え

オックスフォード大学のジョナサン・ウォル教授はコロナワクチンのディストリビューションについてこう解説しました。

「5つの異なるアプローチがあります。そのうちの1つは自由市場であり、製薬会社がワクチンを最高入札者に販売することを許可するアプローチ。これは私たちが通常、世界規模で医薬品に関して行っていることです。2つ目はワクチンナショナリズム。自国を最優先にします」

「あなたが米国民であり、アメリカの製薬会社が最初のワクチンを製造したと想像してみてください。製薬会社はワクチンを日本とドイツに売るつもりだと言います。米国民は大騒ぎになり、輸出許可は下りないでしょう。最初にワクチンを打つのは当然、米国民だと。これがワクチンナショナリズムです」

「3つ目のアプローチは公平性の問題を持ち込みます。これはすでに世界各国にコロナワクチンを公平に届けるため世界保健機関(WHO)が中心になってつくる枠組みであるCOVAXのパートナーシップを通じて見られます。WHOは自由市場とワクチンナショナリズムに反対しなければならないと宣言しました」

「私たちが最初になすべきことはワクチンを世界中に配布することです。COVAXのメンバーと、低所得国から中所得国のCOVAXのレシピエントに現時点で人口の3%、次に最大20%をカバーするワクチンを配布します。あらゆる国が人口の20%にワクチンを接種する必要があるという比例モデルの考え方です」

「次は人口に比例した国際配布モデルではなく、ワクチンを最も必要としている国に優先して配布する公正優先モデルです。感染が大規模に拡大している国からワクチンを受け取るべきだという考え方です。インドでは他の国よりも若い人たちが亡くなっています。統計を見る限り、インドへの配布が優先されるべきだと思います」

「そして最後に世界中の誰もがワクチンをたくさん使うことができるように特許を取り除くオープンライセンスのモデルです。おそらくインドでもブラジルでも生産されるでしょうが、この考えではもはや特許はなく、誰もがジェネリック(後発薬)として生産することができるのです」

「これらは自由市場、ワクチンナショナリズム、比例モデル、公正優先モデル、オープンライセンスの5つの異なるモデルです。そして私たちが目にするのは、これらすべての組み合わせだと思います。しかし公平性の観点から私たちは公正な優先順位や比例、オープンライセンスについて話し続けなければなりません」

「できる限り多くのことを自由市場とワクチンナショナリズムに組み合わせてください。しかしワクチンのナショナリズムが克服されることは決してないでしょう。ワクチンを製造した国がすべてを放棄することはできませんが、少なくとも他の方向に変更することはできます」

途上国へのワクチン配布こそ五輪開催の一番の近道だ

日本政府はWHOに4100万ドル(約42億5800万円)を拠出。10月にはCOVAXに1億3千万ドル(約135億円)の支援を約束しています。

しかし日本のワクチン開発は欧米諸国に比べると周回遅れの状況です。その国の首相が治療薬やワクチン生産の特許使用料を抑える「特許権プール」を訴えても、果たしてどれだけの説得力があるのでしょう。日本は感染の深刻さで見た場合、十分過ぎるほどの国内向けワクチンを確保しています。

出所)各種資料や報道をもとに筆者作成
出所)各種資料や報道をもとに筆者作成

菅首相には五輪開催よりも感染拡大国へのワクチン配布というもっとグローバルな視点で政策を語ってほしかったです。ワクチンはすべてを一夜にして解決する魔法の杖ではありません。しかし途上国へのワクチン配布を確実にすることこそ五輪開催を実現する一番の近道になると思います。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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