また神経剤ノビチョクが使われた 毒殺国家ロシア「邪魔者には残酷な死を」プーチン大統領の冷酷な論理

ロシアの毒殺・暗殺には常にプーチン露大統領の影がある(写真:ロイター/アフロ)

メルケル独首相「ノビチョクが使われた明白な証拠がある」

[ロンドン発]ロシアの反体制活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏(44)が8月20日、モスクワに向かう機中で意識を失い、ドイツで治療を受けている毒殺未遂事件で、アンゲラ・メルケル独首相は9月2日、毒物試験の結果、「(猛毒の)神経剤ノビチョクが使われた明白な証拠がある」と断言しました。

ナワリヌイ氏は入院先のシャリテー・ベルリン医科大学病院で治療を受けています。現時点で生命の危機は脱していますが、重篤な状態が続いており、苦しまないように麻酔で昏睡させられて人工呼吸器につながれています。

同病院は8月24日、ツイッターで「コリンエステラーゼ阻害剤グループの物質が盛られた」との診断結果を発表していました。

メルケル首相は「ナワリヌイ氏を黙らせることを目的とした犯罪」と断罪し、「ロシア政府だけが答えることができる非常に深刻な問題であり、答えなければならない。世界は答えを待っている」と述べました。

欧州連合(EU)もロシア政府に対して透明な捜査を求め、「犯人は裁きにかけられなければならない」との声明を発表しました。ボリス・ジョンソン英首相は「許されないことだ。われわれは国際的パートナーと協力して正義を実現する」と非難しました。

元二重スパイの毒殺未遂はロシア軍情報部員の犯行だった

英イングランド南西部ソールズベリーで2018年3月に起きた元二重スパイのロシア人男性セルゲイ・スクリパリ氏と娘のユリアさんの毒殺未遂事件では兵器級のノビチョクが使われました。

ノビチョク入りの香水瓶を拾って使用した母親が死亡、パートナーの男性とスクリパリ氏宅に急行した警官が意識不明の重体になりました。

テリーザ・メイ英首相(当時)は出入国時のパスポート(旅券)や防犯カメラで撮影された映像からロシア軍参謀本部情報総局(GRU)工作員2人による犯行と断定し、「ロシア国家上層部の承認を得て実行されたのはほぼ間違いない」と厳しい口調で糾弾しました。

ノビチョクは旧ソ連時代に密かに開発された神経剤で、またの名を「A-230」と言います。液体、固体のかたちで存在し、毒性の低い二種類の化学物質を隔離した容器で保存、混合して毒性を高める「バイナリー兵器」として使用されるそうです。

北朝鮮の最高指導者・金正恩の異母兄、金正男氏暗殺に使用されたVXガスより毒性が5~8倍強いとされます。使用してから数分以内に死に至る猛毒性がある一方で、遅効性の種類もあるそうです。

ロシア軍は密かに化学兵器を保有し、使用を認められていたことが亡命者によって明らかにされています。

ノビチョクの扱いに慣れたプロの犯行

筆者はスクリパリ氏毒殺未遂事件を現場で取材したことがあります。科学防護服を着用した係官がゆっくり移動する姿は非常に不気味で、背筋が凍りついたのを覚えています。

化学防護服を着て除染する係官(2018年3月、筆者撮影)
化学防護服を着て除染する係官(2018年3月、筆者撮影)

ナワリヌイ氏は9月の統一地方選を前にシベリアの各都市を回り、8月20日モスクワに帰る機中で意識不明になりました。

同行していた報道担当者のキラ・ヤルミシュ氏は「ナワリヌイ氏がその日の午前中に口にしたのはシベリア・トムスクの空港で飲んだ紅茶だけで、そのあと機中で体調が急変した」と説明しています。

ノビチョクは猛毒なので紅茶に混ぜていたら店員に巻き添え被害が出ていた可能性が強いはずです。ティーカップの取っ手に塗りつけ、ナワリヌイ氏が紅茶を飲んだあと無毒化していたとしたら、かなりノビチョクの取り扱いに慣れたプロの工作員の犯行です。

スクリパリ氏毒殺未遂事件で使われた香水瓶(ロンドン警視庁提供)
スクリパリ氏毒殺未遂事件で使われた香水瓶(ロンドン警視庁提供)

それとも極小のノビチョク入りカプセルをナワリヌイ氏に気づかれないように飲ませたのでしょうか。

毒殺、暗殺の系譜

旧ソ連国家保安委員会(KGB)に所属し、ロシア連邦保安庁(FSB)長官まで務めたウラジーミル・プーチン大統領は毒殺や暗殺で自らの権力基盤を固めてきたと言っても過言ではありません。

プーチン大統領を批判する反体制派の活動家やジャーナリスト、実業家、元ロシアの情報機関員は次々と毒殺されたり、暗殺されたりしています。いつでも殺害できるようスパイネットワークをターゲットの回りに気付かれないように張り巡らせているのです。

毒物を使うのは、効果が現れるまでの間に実行犯が逃亡できる上、プーチン大統領に逆らうと苦しみぬいて死ぬことになるという反体制派への見せしめと、側近と組織の引き締め効果が期待できるからです。プーチン大統領が権力を握ってからの毒殺と暗殺の系譜を見ておきましょう。

【プーチン大統領の誕生】

1998年7月、ボリス・エリツィン露大統領によってFSB長官に指名される

同年8月、エリツィン大統領によってロシア首相に指名される

99年12月、エリツィン大統領が辞任したため、大統領代行に

2000年3月、ロシア大統領に当選

08年5月、大統領を退任して首相に

12年5月、大統領に返り咲き

【暗殺・毒殺リスト】

1998年10月、プーチンFSB長官が組織内にアルファ部隊とヴィンペル部隊を一つにした特務センターを設立

2002年3月、チェチェン独立派の指揮官アミール・ハッターブを神経剤が塗られた手紙で毒殺。FSBの犯行とされる

03年7月、ロシア政府の腐敗と組織犯罪を批判していた調査報道ジャーナリスト、ユーリ・シェコチーヒンが不審死を遂げる

04年2月、チェチェン独立派の最高指導者ゼリムハン・ヤンダルビエフをドーハで爆殺。カタール当局は3人を逮捕。このうちロシア大使館員1人は外交特権で釈放され、GRUの工作員2人が起訴される

04年9月、ウクライナのヴィクトル・ユシチェンコ大統領候補に猛毒のダイオキシンが盛られる。美男子のユシチェンコはアバタだらけの顔に

05年3月、FSB特殊部隊がチェチェン独立派の最高指導者アスラン・マスハドフを殺害

06年6月、FSBがチェチェン独立派の最高指導者アブドゥル=ハリーム・サドゥラエフを殺害

06年10月、第二次チェチェン戦争を報道したロシア人女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤがモスクワの自宅アパートのエレベーター内で射殺される。04年9月のベスラン学校占拠事件の現場に向かう際も機内で毒を盛られ、意識を失う

06年11月、元FSB幹部のアレクサンドル・リトビネンコが放射性物質ポロニウム210で毒殺される。英政府はKGB元職員のロシア人実行犯2人の引き渡しを求めるも、プーチン大統領は応じず。英公聴会の報告書は「おそらくロシアのプーチン大統領やニコライ・パトルシェフFSB長官(当時)は承認していた」と結論付ける

08年9月、ウィーンでカザフスタン国家保安委員会(秘密警察)元議長アルヌール・ムサエフがロシア語を話す4人組に誘拐されそうになる

09年1月、チェチェン共和国首長ラムザン・カディロフのボディガード、ウマル・イスライロフがウィーンで暗殺される

09年3月、ドバイで元GRU特殊任務部隊司令官スリム・ヤマダエフが射殺される

12年11月、ロシアの内部告発者アレクサンドル・ペレピリチニーがロンドンでジョギング中に不審死。米英の情報機関は暗殺とみているとバズフィードがスクープ

15年2月、反政府運動を展開していたボリス・ネムツォフ元ロシア第一副首相がモスクワで射殺される

15年5月と17年2月、ロシア野党政治家ウラジミール・カラ=ムルザが毒を2度にわたって盛られる 

18年3月、英イングランド南西部ソールズベリーで元二重スパイのスクリパリと娘をノビチョクで毒殺未遂

18年9月、ロシアのフェミニスト・パンク・ロック集団プッシー・ライオットの非公式報道担当者ピョートル・ヴェルジロフがモスクワで毒を盛られ、今回と同じシャリテー・ベルリン医科大学病院で治療を受ける

20年8月、 空路モスクワに向かう反体制活動家ナワリヌイをノビチョクで毒殺未遂

(おわり)