中国公安は毛沢東の「人民民主専制」を引用し「祖国の裏切り者はクソよりひどい扱いを受ける」と言い放った

在英中国大使館前で抗議するサイモン・チェン氏(右から2人目、7月31日)(写真:ロイター/アフロ)

[ロンドン発]香港の民主化運動を抑え込むため6月30日に施行された香港国家安全維持法(国安法)違反容疑で海外の民主活動家6人が香港警察から指名手配されました。国家分裂を扇動したり外国勢力と結託して国家の安全に危害を加えたりした容疑で、最高刑は無期懲役です。

6人の中には国安法の強行で活動の拠点を香港から英国に移した「香港衆志(デモシスト)」元党首、羅冠聡(ネイサン・ロー)氏(27)や米ワシントンを拠点にNGO(非政府組織)香港民主会議を運営するアメリカ人の朱牧民(サミュエル・チュー)氏(42)も含まれています。

昨年8月、中国公安に17日間にわたって拘束され、英国への政治亡命が認められた在香港英国総領事館元職員サイモン・チェン氏(29)にインタビューしました。チェン氏も今回、指名手配されました。

英国に政治亡命したサイモン・チェン氏(本人提供)
英国に政治亡命したサイモン・チェン氏(本人提供)

在香港英国総領事館で働いていたチェン氏は中国広東省深セン市でのビジネスイベントに出かけた帰り、何の理由も告げられずに突然拘束されます。

チェン氏は自分の信条に基づいて香港の民主化運動を支持しており、逃亡犯条例改正案に反対する昨年の市民デモに参加しました。しかし違法なことや不当なことには一切関わっていません。

在香港英国総領事館は渡航情報や英国民が関与しているかどうかを調べるため抗議状況の情報を収集するよう職員に指示。ウェブフォーラムやニュースチャンネルのモニターのほか、達成目標をより詳しく知るため抗議グループへの接触も含まれていたと言います。

チェン氏の証言に基づき、拘束の経過を改めて振り返ってみました。

昨年8月8日、中国本土の深セン市に出張。仕事を済ませたあと、香港のデモに参加して拘束された中国人男性の両親に会って裁判費用を受け取りました。広深港高速鉄道に乗り香港西九龍駅に到着すると、理由も告げられずに制服を着た警官に拘束されました。

iPhoneのパスコードを教えるよう求められましたが、仕事の機密情報が入っているため拒否。高速鉄道で深セン市側に送り返され、公安部国内安全保衛局の私服警官に引き渡されました。福田警察署で容疑者写真を撮影され、掌紋や指紋、血液、尿を採取されました。

取り調べの間、鉄製の拘束椅子にバックルで縛り付けられたため、身動きできませんでした。取り調べは(1)香港「暴動(市民デモのこと)」におけるイギリスの役割(2)自分の役割(3)「暴動」に参加した中国人と自分の関係――の3点でした。

取調官は私を「黒衣人(香港のデモに参加する若者の意)」と呼び、「世界の方から中国にやって来て、商機を求めて叩頭(こうとう)しているのに、中国からイギリスへの投資を集めるため働くとはどういうことだ」と罵(ののし)りました。

そして「香港は中国の一部だ。中国本土にいったん足を踏み入れたら中国の法律で裁くことができる」と取調官は通告しました。1日中取り調べを受けたあと、羅湖警察署に移されました。メガネをかけることを許されなかった私はずっとめまいに悩まされました。

取り調べでは「お前が買春の勧誘を行ったという情報がある。協力すれば待遇は良くなる。前科も残らない。さもないと無期限拘束だ」と自白を迫られました。治安上の理由で「行政拘束」されたため、通常の裁判は行われず、弁護士を呼ぶこともできません。

仕方なく自白すると、秘密警察もホッとしたようでした。雑居房に移されると、薬物中毒のように見える同房者が「中国と戦う軍に参加するためにアメリカのパスポートを取得する方法を知っているか」と尋ねてきました。おとりだと疑ったので、相手にしませんでした。

3日目、最長15日の拘束と記された行政処罰決定書に指紋を押すよう命じられました。3度目の写真撮影と血液・尿採取が行われました。初めて手錠をかけられて獄衣を着せられ、羅湖拘置所に身柄を移されました。雑居房には軽犯罪に問われた16人が収容されていました。

政治犯としての取り調べは深夜に及びました。翌日、独居房に移され、取り調べは継続されました。秘密警察は私の髪をつかみiPhoneの顔認識システムでロックを解除しようとしました。取調官から「お前はイギリスのスパイ、秘密エージェントだろ」と怒鳴られました。

暴力をふるわれ、iPhoneのパスコードを白状せざるを得ませんでした。拘束椅子に手錠でつながれました。5日目から秘密警察は取り調べのため拘置所から私を連れ出しました。手錠をかけられて束縛され、目隠しされた上、フードをかぶせられたので、呼吸をするのが困難でした。

私の識別情報が記されたベストを裏返しに着るよう命じられ、バンの後部座席に横になるよう指示されました。拉致されたような感じでした。車で30~40分、秘密の取調室に移動しました。拷問されるかもしれないと思い「望むことは何でも白状する。拷問は必要ない」と訴えました。

秘密警察は「拷問ではなく、訓練だ」と突き放しました。X字の十字架に手錠で何時間も縛り付けられたので腕から血の気が引いていきました。スクワットや椅子のポーズを強いられ、失敗するたび鋭い棍棒で殴られました。取り調べでも目隠しやフードをされたままでした。

思想矯正教育も行われました。秘密警察は「中国は人口の大多数が十分に教育されていないため、完全な民主主義には適さない国だ」と主張しました。「選ばれた有能な少数者によって国家は管理されるべきだ」「自由と民主主義は大衆をポピュリズムに導くだけだ」とも。

ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスは当時、カトリック教会で主流だった「天動説」ではなく「地動説」を唱えたため、大衆に吊るし上げられ、いじめられたと、秘密警察はエリート主義の正しさを雄弁に語りました。

秘密警察は、手錠をはめられ、目隠しやフードをされた私に何時間も立っているよう指示しました。動いたり眠ったりすることは許されません。立っていられなくなると「義勇軍進行曲(中国の国歌)はお前を目覚めさせる」と懲罰として国歌を歌うことを強制されました。

「報告、私の主人」と言わなければ、発言することは許されません。ルールを破ると口や顔を鋭い棍棒のような武器で容赦なく殴られました。広東語を話す取調官は「イギリスのために中国人を監視するとはどういうことだ。お前はクソよりひどい扱いを受ける」と言いました。

北京語のアクセントを持つもう1人の取調官は「私たちは情報機関の者だ。お前は情報機関の一味だ。この場所には人権がないことを知っておけ」と言い放ちました。英情報機関のMI5やMI6、在香港英国総領事館の構造や部署、スタッフについて知っているか尋問しました。

秘密警察が私に自白を求めたのは(1)イギリスが資金、材料、設備を提供して香港「暴動」を扇動した(2)私が暴力的な方法で抗議活動を組織、参加、扇動した(3)香港警察に逮捕された中国人のため英政府から受け取った給料を使って保釈金を支払った――という点です。

数十年以上、あるいは終身刑が言い渡される恐れがある重罪のため、どんなにひどい扱いを受けても嫌疑を否定しました。足首、太もも、手首、膝に深刻な傷を負ったにもかかわらず、秘密警察は拘置所の医師には本当のことを話さないよう命じました。

歩くこともできなくなったため、肉体的拷問は心理的な方法に切り替えられ、3日連続で孤独な状態に置かれました。瞑想し、泣きながら祈り、歌って時間を潰し、不安を取り除くようにしました。8日目から「集合取り調べセンター」に連れて行かれました。

集合取り調べセンターの見取り図(チェン氏提供)
集合取り調べセンターの見取り図(チェン氏提供)

センターの中では目隠しは外してもらえました。センターで取り調べを受けていた10人ほどの若い「容疑者」を見ました。彼らは全員手錠をかけられ、オレンジ色の囚人ベストを着せられていました。廊下を歩いていると取調室から叫び声が聞こえてきました。

「手をもっと高く上げろ。抗議では手を挙げ、旗を振ったのではなかったか。高く上げろ」。彼らは香港のデモ参加者を拷問していたと思います。取調室では「重罪(武装した反乱や暴動)を避けるため、軽犯罪(買春の勧誘)を選んだ」と非難されました。

なぜデモ参加者が暴力的になり、攻撃的な戦術を使う集団が急増したのかと尋ねられたので、7月に香港で起きた無差別襲撃事件に対する自己防衛だと答えました。犯罪結社「三合会」が親中派議員の指示でデモ参加者や市民を襲撃した事件です。香港警察も共謀した疑いがあります。

もし香港と本土との間の門戸が解放されたら愛国心が強い中国人は自発的に国境を越えて暴徒を倒すべきであると、取調官は怒りました。新しい取調官は「お前は祖国の裏切り者だ」と私の顔を指差して叫びました。

その取調官は毛沢東の「人民民主専制」を引用し、「お前はいわゆる民主派だ。しかしわれわれが大半の中国人民を民主的に支配していることを覚えておくがいい。しかしお前は国家の敵だからわれわれはお前を専制的に扱うのだ」と言い放ちました。

(つづく)