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北朝鮮、ロシアなど49個人・組織の人権侵害に英国がグローバル制裁発動 中国も視野か

木村正人在英国際ジャーナリスト
重大な人権侵害に関与した人物の資産を凍結するマグニツキー法を発動した英国(写真:ロイター/アフロ)

「人権、報道の自由、信仰の自由を守る」英外相

[ロンドン発]ロシアの国ぐるみの不正を告発中に拘束されたロシア人弁護士セルゲイ・マグニツキー氏が獄死した事件に関連して、重大な人権侵害に関与した人物や組織に対して査証発給禁止や資産凍結の制裁を科す「マグニツキー法」が6日、イギリスでも発動されました。

第一弾の対象は北朝鮮の収容所で行われた奴隷化、拷問、殺人に責任を負う2組織と、マグニツキー事件、サウジアラビアのジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏殺害事件、ミャンマーの少数民族ロヒンギャ弾圧(将軍2人)に関与した47人です。

今後、中国の香港国家安全維持法や新疆ウイグル自治区の人権侵害が制裁の対象になるかどうかも注目されます。

ドミニク・ラーブ英外相の説明では(1)暗殺や超法規的殺害によって脅かされる生きる権利(2)拷問、残酷かつ非人道的で品位を傷つける扱いや処罰を受けない権利(3)奴隷制、奴隷、強制労働から解放される権利―の侵害があった場合に制裁が発動されます。

ラーブ外相は「人権に加えて、われわれは報道の自由や信仰の自由を守る手段として、最悪の人権侵害を行っている加害者の資産を凍結する」と宣言しました。

マグニツキー法とは

英系投資ファンド「エルミタージュ・キャピタル・マネージメント」の最高経営責任者(CEO)ビル・ブラウダー氏はマグニツキー法が世界中で適用されるようキャンペーンを行ってきました。イギリス版マグニツキー法の発動を受け、こうツイートしました。

「ラーブ外相の指導力に感謝します。ヒラの下院議員だった8年前からあなたはマグニツキー氏の家族のために正義がもたらされるよう支援してきました。今日、外相としてマグニツキー法を発動しました。あなたが成し遂げたことに永遠に感謝します」

ロシア市場を専門にしていたブラウダー氏は2005年、ファンド資金が腐敗役人やその一味に不正に流れるのを止めようとしたところロシアから追放されました。当局の不正を告発した顧問弁護士マグニツキー氏が身に覚えのない脱税容疑で逮捕され、09年に37歳で獄死したのです。

ブラウダー氏は真相究明を訴えるとともに関係者への制裁発動を訴えてきました。これを受け、米議会は12年、事件に関与したロシア人に入国禁止と資産凍結の制裁を加えるマグニツキー法を成立させました。16年以降、マグニツキー法はグローバルに適用されるようになりました。

重大な人権侵害と腐敗に関与した人物に制裁を加えるマグニツキー法はバルト三国やコソボ、カナダでも導入されました。欧州連合(EU)は総論としてマグニツキー法に賛成したものの、実際にはまだ導入されていません。オーストラリアは導入を検討中です。

EU離脱で“アングロサクソン同盟”の連携を強化

元ロシア連邦保安庁(FSB)幹部アレクサンダー・リトビネンコ氏が放射性物質ポロニウム210で毒殺された事件や英南西部ソールズベリーで元ロシア二重スパイのセルゲイ・スクリパリ氏と娘らを神経剤ノビチョクで暗殺しようとした事件で英露関係は極度に悪化しています。

英国は1月末にEUを離脱。年内いっぱいで移行期間も切れるため、アングロサクソン系の電子スパイ同盟「ファイブアイズ」加盟国との連携を強化しています。今回もアメリカやカナダと歩調を合わせたかたちです。これまでイギリスは国連やEUと一緒に制裁を発動するのが常でした。

ニューヨークと異なり、清濁併せ呑んできた国際金融都市ロンドンはフロント企業としてペーパー会社を使うのも簡単で「不正蓄財の温床」「不正行為の抜け穴」と国際的に批判され、近年、取り締まりを強化してきました。マグニツキー法導入にもアメリカの金融制裁を補完する狙いがあります。

与党・保守党のEU離脱派には欧州よりアメリカとの関係を重視する大西洋主義者が多いのです。アメリカとイギリスはマグニツキー法を通じ自由貿易の前提として自由と民主主義、法の支配、人権といった欧米の普遍的な価値を守るよう世界中で圧力を強めていく方針です。

「中国政府や香港政府の関係者への適用を望む」

英シンクタンク、王立防衛安全保障研究所(RUSI)のエミール・ドール上級研究員は記者ブリーフィングでこう解説しました。

「今日発表されたイギリスの制裁リストはアメリカの規則に厳密に従っており、制裁に関する英米協力の基盤となるでしょう。基準が一貫していない制裁は、ダブルスタンダードという批判を招くことになりかねません。制裁措置の明確で一貫した基準が重要です」

香港の逃亡犯条例改正案を巡る大規模デモでは、在香港英国総領事館元職員サイモン・チェン氏が昨年8月、中国本土を訪れた際に拘束され、秘密警察から拷問を受けました。香港警察によるデモ参加者に対する不当な取り調べも明るみに出ています。

英外交官として香港返還に携わった英シンクタンク、ヘンリー・ジャクソン・ソサエティーアジア研究センターのマシュー・ヘンダーソン所長は筆者にこう指摘しました。

「今の段階で確たることは分かりません。しかしHSBCのようなイギリスの銀行に資産を保有している中国の関係者が香港の人権侵害に関与していた場合、英政府は正当にそうした資産を凍結できるでしょう」

香港の人権問題に取り組む「香港ウォッチ」を運営する英活動家ベネディクト・ロジャーズ氏は筆者にこう話しました。

「ターゲットを絞った新しい制裁の導入を歓迎します。こうした制裁が人権侵害に責任を負う中国政府や香港政府の関係者に適用されることを望みます。中国に関してこうした行動が取られることを最優先にすることを英政府に促します」

イギリスは新型コロナウイルスに対する都市封鎖と強引なEU離脱で深刻な景気低迷が予想されており、マグニツキー法導入でも反動が出ることが懸念されます。

香港問題で中国との対立も先鋭化する中、イギリスはアメリカとの「特別な関係」に軸足を置く原点に回帰したようです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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