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「医師は兵士、病院は戦場」新型肺炎で警鐘を鳴らした中国人医師の犠牲を”愛国美談”にしてはいけない

木村正人在英国際ジャーナリスト
新型コロナウイルス肺炎の犠牲になった李文亮医師(写真:ロイター/アフロ)

[ロンドン発]新型コロナウイルスによる肺炎が世界に拡大している問題で、いち早くオンライン上で新型の可能性を指摘した中国・湖北省武漢市の李文亮医師(34)が7日、自らも感染して新型肺炎でお亡くなりになられました。

李文亮医師は「ウワサ話」を流布させたとして公安当局に取り調べられ、訓戒処分を受けていました。徹底した報道管制と情報統制で被害を拡大させた中国当局に対する怒りが高まっており、中国共産党の機関紙、人民日報も李文亮医師の追悼記事を掲載しました。

「医師は兵士であり、病院は戦場だ」

「彼の早すぎる死は私たちを悲しませている。これまで新型肺炎の死者の大半は中年および高齢者で、わずか34歳の李文亮医師は非常に若い1人であり、特に悲劇的だ」

「武漢中央病院の李文亮医師は昨年12月にこの危険な病気について警告した8人の医師の1人だった。今から振り返ると、彼のプロフェッショナルな警戒心は敬意に値する」

「新型肺炎に対する彼の警告はすぐには聞き入れられず、その代わり訓戒を受けた。この出来事は私たち社会が反省する顕著な例を提供してくれる」

「昨年12月時点で新型コロナウイルス肺炎への理解は非常に限られていた。李文亮医師はオンラインで速報し、専門家の間に警鐘を鳴らした。これは彼が日常行っているプロフェッショナルなパフォーマンスの一環に過ぎない」

「彼は通常の仕事でも尊敬に値する医療倫理を示した。伝染病が勃発した時、医師は兵士であり、病院は戦場になる。李文亮医師のプロフェッショナルとしての死は悲しいけれど勇敢で地に足がついていた」

「李文亮医師の同僚も多く新型肺炎にかかっており、武漢中央病院はこの病気との深刻な戦いで最も激しい戦場の1つになった。彼が回復できなかったのはこの戦いの難しさと複雑さの証である」

「私たちは団結し、より多くの患者の命を救い、李文亮医師らが最初に警告してくれた病気に感染するのを防ぐためにより多くの人々が最善を尽くさなければならない。私たちはこの戦争に勝たなければならない」(以上、人民日報)

国家監察委員会は7日、李文亮医師の死を追及するため武漢市に調査団を派遣すると発表しました。一連の経過を振り返っておきましょう。

【これまでの経過】

2019年12月1日、感染源とみられる武漢市の華南水産卸売市場に出入りしていない肺炎患者を武漢市金銀潭医院が発見していた(2020年1月24日に同病院胸部外科の首席医師が医学誌ランセットで発表)

12月8日、武漢市が新型肺炎患者を報告

12月30日、武漢市衛生健康委員会が2つの文書で新型肺炎患者が華南水産卸売市場で見つかったため、医療施設はリアルタイムで患者数を把握して治療に当たり報告するよう指示

・李文亮医師がメッセンジャーアプリのウィーチャット・グループで同級生の医師ら約150人と患者の診断報告書を共有し、「華南水産卸売市場で7人のSARS(重症急性呼吸器症候群)患者を確認」と発信して治療に当たる際、注意するよう呼びかける。後に新型コロナウイルス肺炎と判明

12月31日、武漢市衛生健康委員会が「人から人への感染はまだ見つかっていない。医療関係者への感染はない。病原体の検出と感染の原因の調査は継続中」と発表

・中国が世界保健機関(WHO)に武漢市で新型肺炎が発生していることを報告

2020年1月1日、華南水産卸売市場を閉鎖

・武漢市公安当局が「ネット上に事実でない情報を公表した」として李文亮医師ら8人を処罰したと発表

1月5日、中国当局がSARS再流行の可能性を否定

1月7日、WHOによると、中国当局が新型ウイルスを検出。新型コロナウイルス(2019-nCoV)と名付けられる

1月9日、中国疾病予防管理センター(CDC)が新型コロナウイルスの全ゲノム配列決定を公表

・中国国営中央テレビ(CCTV)が武漢市で新型コロナウイルスが確認されたと報じた

1月10日、李文亮医師が咳き込み始める

1月11日、中国当局は初の死者(61)を発表。華南水産卸売市場で買い物をしていた男性で、1月9日に死亡

・李文亮医師が発熱

1月12日、李文亮医師が入院

1月13日、WHOがタイで女性の感染者を報告。中国国外では初の感染者で、武漢市からやって来た

1月14日、WHOが記者会見で、武漢市で新型コロナウイルスが検出されたと認定

1月15日、日本で武漢市滞在歴がある肺炎患者から新型コロナウイルスを確認。日本国内1例目。6日に受診した際、報告あり

1月16日、武漢市で2人目の死者

1月17日、アメリカの3つの空港で武漢市から到着した乗客のスクリーニングを開始

1月19日、SARSが流行した当時、広東省で広州市呼吸器疾病研究所の所長を務めていた鐘南山氏(83)が新型コロナウイルス専門家チームのリーダーになり、武漢市金銀潭医院を訪れる。武漢市疾病予防管理センター(CDC)も状況を把握し、国家衛生健康委員会が緊急会合

1月20日、鐘南山氏が「現在の統計によると、新型コロナウイルス肺炎は確実に人から人に感染している」と発言し、皆が初めて新型コロナウイルス肺炎の深刻さに気付く

・中国で3人目の死者。鍾南山氏が国営中央テレビのインタビューで「人から人に感染していることは間違いない」との見解を示す

1月22日、WHOが新型コロナウイルス肺炎の流行で初の緊急委員会(23日も継続)。「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」との結論には至らず。委員間で意見が対立

・中国で死者が17人に

1月23日、1100万人都市の武漢市を閉鎖。中国当局が中国で最も大切な祝日、春節(旧正月)の関連イベントを中止

・WHOが中国国外では人から人への感染を認める証拠がないと発表

1月24日、中国が武漢市で1000床の臨時病院の建設開始

・日本に旅行で訪れた武漢市在住の40代男性の感染確認。日本で2例目

1月25日、湖北省で集団隔離された都市の人口は合わせて5600万人に

1月26日、WHOが新型コロナウイルスのリスクを「穏健」ではなく「高い」と変更

1月28日、中国の習近平国家主席とWHOのテドロス・アダノム・ゲブレイェスス事務局長が北京で会談

1月30日、WHOが緊急事態宣言

2月1日、李文亮医師がミニブログサイト新浪微博で新型コロナウイルス肺炎と診断されたことを明らかにする

2月2日、フィリピンで死者。武漢市から来た男性で、中国国外では初の死者

2月4日、人民日報が「中国共産党政治局常務委員会が3日の会議で明らかになった欠点や不足への対処能力を高めることを確認した」と伝える

2月7日、李文亮医師が死去

・日本の横浜港で隔離されているクルーズ船で41人の感染者

当初「人から人への感染」を否定した武漢市

一番の問題は1月1日には感染源とみられる華南水産卸売市場を閉鎖したにもかかわらず、前日の12月31日、武漢市衛生健康委員会が「人から人への感染はまだ見つかっていない」と断定したことでしょう。

だからこそ武漢市の公式見解とは異なる見立てを12月30日にメッセンジャーアプリで拡散した李文亮医師を黙らせる必要があったのです。

李文亮医師は生前、中国メディアの財新のインタビューに応じ、「健全な社会には1つ以上の声が必要だ。公権力を行使して過度に介入するのを私は容認しない」と話していました。

公安を使った報道管制と情報統制が真実を隠蔽して対応を後手に回らせ、感染を拡大させてしまったのは否定のしようがありません。硬骨漢の老医師、鐘南山氏が投入されたことで中国当局の対応は断固としたものになり、一気にスピードアップしました。

中国共産党は命を賭して新型コロナウイルス肺炎と闘った李文亮医師を“愛国美談”に仕立て上げることで国民の怒りの矛先をかわそうとしています。しかし問題の根底には中国共産党による徹底した情報統制と恐怖支配があるのは疑いようがありません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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