「国に『金くれ』とか言うなよという話」?再開された「表現の不自由展」は日本人の心を踏みにじるのか

再開された「表現の不自由展・その後」(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

動画撮影は禁止、SNSでの拡散は防止

[ロンドン発]国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の展示が8日、再開されました。14日の会期末まで1週間となっているものの、「芸術の自由」や「表現の自由」を何とか保ったというメッセージを世界に発信できて良かったと思います。

朝日新聞によると「来場者の手荷物は預かり、動画撮影は禁止、SNSでの拡散防止は『誓約書』を書くほか、身分証明書も確認する厳格なものとなった」そうです。「見るのに1時間、手続きも合わせたら1時間半はかかるのではないか」(芸術祭実行委員会会長の大村秀章・愛知県知事)ということです。

座り込んで再開に抗議する河村たかし名古屋市長はハフポストのインタビューに「再開なんていかんね。決まっとるがね、こんなもん。本当に(日本人の心を)踏みにじりますよ。(略)こんな日本人の普通の人の気持ちをハイジャックして。暴力ですよ。そんなことやる人が、なぜ表現の自由なんて言えるんですか?恥ずかしい…」と話しています。

河村市長は開催費用の市負担金約3300万円の支払いを保留する考えです。文化庁も「展覧会の再開とは無関係」とする一方で「事務的な手続きの不備があった」(萩生田光一文部科学相)として補助金7820万円を全額不交付としました。

作家・ジャーナリスト、門田隆将氏はこうツイート。

ベストセラー作家の百田尚樹氏もこうツイートしています。

筆者の目にはこの問題は「表現の自由」というより日本の歴史認識に根ざしているように映ります。

小・中学校の教科書から消えた従軍慰安婦

筆者は9月19日から10月7日までラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の観戦を兼ね東京、横浜、大阪、神戸、博多、小倉、長崎、大分、尾道、今治を駆け足で回りました。ラグビーの日本代表はグローバル化が進んでいるのに、日本は同質性が高い保守的な社会であることを改めて痛感しました。

従軍慰安婦問題を巡る1993年の河野談話は「当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」として「心からお詫びと反省の気持ち」を表し「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と誓いました。

戦後50年(95年)の村山談話は「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と改めて「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を表明しました。

「子供たちが日本に誇りを持てる教科書で学べるようにする」という「新しい歴史教科書をつくる会」の調査(2014年9月)によると、小学校や中学校の教科書には「従軍慰安婦」や「慰安婦」の記述はなかったそうです。17年4月に進学校の灘中が新規参入の「学び舎」の教科書『ともに学ぶ人間の歴史』を採択したところ抗議が殺到しました。

「『学び舎』の歴史教科書は『反日極左』の教科書であり、将来の日本を担っていく若者を養成するエリート校がなぜ採択したのか?こんな教科書で学んだ生徒が将来日本の指導層になるのを黙って見過ごせない。即刻採用を中止せよ」という内容だったそうです。

「日本型ファシズム」の正方形

灘中・灘高の和田孫博校長は歴史家、保坂正康氏著『昭和史のかたち』の「日本型ファシズム」の正方形を例に引き、こう指摘しています。

【第一辺】陸軍省新聞課による情報の一元化と報道統制→政府による新聞やテレビ放送への圧力が顕在的な問題に

【第二辺】国定教科書のファシズム化と教授法の強制→政治主導の教育改革が強引に進められる中、学校教育に対して有形無形の圧力

【第三辺】治安維持法の制定と特高警察による監視→安保法制に関する憲法の拡大解釈が行われるとともに緊急事態法という治安維持法にも似た法律が取り沙汰される

【第四辺】血盟団や五・一五事件→ヘイトスピーチを振りかざす民間団体が幅を利かせる

第三辺の「治安維持法」には同意し兼ねますが、日本の歴史は無謬だと信じる日本人が次第に増えている空気を強く感じました。SNS全盛の時代、保守的な傾向を持つ人には人工知能(AI)によるアルゴリズムが保守的なコンテンツばかりを抽出して表示するため、偏った保守化が急激に進んでいるようです。

「子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」

「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正を目指して再登板した安倍晋三首相は戦後70年談話でこう述べています。

「戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」

戦後の教科書問題はもともと、被害の歴史だけでなく加害の歴史も子供たちに教える必要があると考える日教組・朝日新聞と、加害の歴史を教えるのは自虐史観だと反発する保守派・産経新聞の対立でした。

戦後50年から戦後70年にかけ激変した国内世論

筆者は産経新聞の記者時代、戦後50年企画「戦後史開封」の取材で教科書訴訟の家永三郎氏(当時82歳)に取材したことがあります。

戦後の歴史教科書は東京帝大史料編さん室で進められ、原稿はすべて英訳され、GHQ(連合国軍総司令部)のCIE(民間情報教育局)でチェックされました。トップバッターは、国民学校用『くにのあゆみ』の古代を執筆した東京高師教授の家永氏でした。

「私個人としては、神武天皇は書きたくなかった。(略)国定教科書なのだからと伝承の形で書いた。“(神武天皇は)当時からそう呼ばれていたのか”とCIEに尋ねられ、“後世につけられた漢風のおくり名だ”と答えた。“当時の名で”と求められ、神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)と書き直した」

CIEは神武天皇の「神(超国家主義)と武士(軍国主義)」という2つが一番気に入らなかったそうです。戦後50年当時、日本の国内世論はまだ牧歌的でした。家永氏のほかにも、朝日新聞の社長だった中江利忠氏も静岡支局の駆け出し記者時代に「第五福竜丸」事件を取材した秘話について、産経の記者だった筆者の取材に快く応じてくれました。

教科書に加害の歴史を記述するのは自虐史観だという主張はいつしか、日本はアジアを植民地支配から開放するため大東亜戦争を戦ったというプロパガンダにすり替えられ、日本を賛美する空気に支配されていきます。

「日本を貶めるな」は衰退と自信喪失の裏返し

戦後50年から70年にかけ、日本は「失われた20年」に苦しみ、中国に追い抜かれ、韓国にも激しく追い上げられています。

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「日本を貶めるな」という論調は、日本経済の衰退と自信喪失の裏返しに他なりません。真正保守を名乗る一部の人たちの強硬意見に引きずられ、自由に意見が言えない空気がさらに強まると、日本が再び成長する国になることはあり得ないでしょう。

確かに中国の軍事的な台頭と北朝鮮の核・ミサイル開発でアジアの安全保障環境は一変しました。

それでも、日本は、従軍慰安婦、強制連行をはじめ「バターン死の行進」や泰緬鉄道建設で起きた戦争捕虜虐待、南京事件など加害の歴史を学校で教え、子供たちにしっかり考えさせるべきだと筆者は考えます。過ちを二度と繰り返さないためには不可欠な作業だからです。

教えなければ歪んだ歴史観がSNSを通じてどんどん拡散し、傲岸不遜(ごうがんふそん)な日本人が増えてしまいます。

在日特権を許さない市民の会など極右のデモは14年には約120件、15年には約70件。日本に居住する外国出身者らに対する差別意識を助長・誘発する言動を解消する「ヘイトスピーチ解消法」が施行された16年には約40件まで減少しましたが、17年には約50件に増加しています。

ヘイトスピーチ解消法には差別的な言動に対する禁止規定も罰則もありません。日本では「表現の自由」が保障されているからだそうです。

日本は同質な社会に従っている限り、世界の中で最も暮らしやすい国の一つであることは間違いありません。しかし私たち一人ひとりが加害の歴史にしっかり向き合うことができなければ、「国際社会において名誉ある地位を占める」(日本国憲法前文)ことはないでしょう。

(おわり)