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グーグルのロゴになった杉原千畝氏「命のビザ」はオランダ領事、駐日ポーランド大使とのリレーだった

木村正人在英国際ジャーナリスト
杉原千畝氏の写真を掲げる「命のビザ」のサバイバー(写真:ロイター/アフロ)

[ロンドン発]第二次世界大戦中に駐リトアニア領事代理としてナチス・ドイツの迫害を受けたユダヤ人を救うため「命のビザ(査証)」を発給し続けた杉原千畝(ちうね、1900~86年)氏が7月29日のグーグル・ドゥードゥル(Google Doodle)に選ばれました。

ドゥードゥルとは「いたずら書き」の意味で、検索エンジンの窓の上に杉原氏とパスポート(旅券)、「命のビザ」、救われたユダヤ人をデザインしたドゥードゥルが登場しました。

「杉原千畝を称えて」と題したドゥードゥルのアーカイブにはこう書かれています。

「『他に方法はありませんでした』と、第二次世界大戦の勃発直前にリトアニア(・カウナス)に駐在していた日本の外交官、杉原千畝は言いました。 杉原は何千人ものユダヤ人に通過ビザを発給し始めました。ユダヤ人が日本を経由して逃げるのを手伝うため、上司の命令に背きました」

「『私は外務省に対して人道上の問題だと言いました』と杉原は数年後に振り返っています。『その時、仕事を失うかどうかは気にしませんでした』」

「ユダヤ人家族が公邸の外に並び始めるとすぐに、日本を経由してオランダのキュラソー島に安全に移動できることを彼らに認めるビザ発給の許可を請訓する3つの公電を東京に送りましたが、すべて却下されました」

「『日本の次に行く国のビザのない旅行者には絶対に発給されない』と外務省からの公電には記されていました。『例外はない』とも」

「自分の良心と問答した結果、悪い結果を恐れずに昼も夜も何千ものビザを書き続けました。『指にタコができ、手首から肩まですべての関節が痛くなるまで』書き続けたのです」

「杉原の妻もリスクを伴う夫の決断を支持し、毎晩、杉原の疲れた手をマッサージしました。列車がリトアニアを離れる最後の瞬間までビザを書き続け、プラットホームでユダヤ人にビザを発給しました」

(筆者注)「命のビザ」を発給されたユダヤ人たちはシベリア鉄道で極東ウラジオストクに輸送された。米国のユダヤ人協会から依頼されたジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTBの前身)がユダヤ人を「天草丸」でウラジオストクから福井県敦賀まで運んだ。このあとユダヤ人は米国などの受入国に渡るまで神戸や横浜で過ごした。

「日本に帰国すると、杉原は上司の命令に背いた代償を払いました。約束された外交官としてのキャリアは終わり、杉原は家族を養っていくのに苦労しました」

「1968年に杉原が救い出したユダヤ人の1人で後にイスラエルの外交官になった人物が彼を見つけ出すまでこの自己犠牲はほとんど知られることはありませんでした」

「イスラエルのホロコースト記念館に杉原の名誉を称える木が植えられ、自分の命を賭してホロコーストからユダヤ人を守った非ユダヤ人を表す『諸国民の中の正義の人』の称号が授けられました」

「リトアニアと岐阜県八百津町の記念碑で、日本は何千人もの命を救った杉原と彼の英雄的な努力に敬意を表しています」

杉原氏のドゥードゥルを制作したマシュー・クリュックサンク氏はこう答えています。

――あなたは彼のどの部分に最も感動しましたか

「彼の勇気です。出身地やだれかれに関係なく人々を救おうという直感を信じていたところです」

――どうしてパスポートをデザインしたのですか

「その理由はもっとも論理的です。パスポートは非常に美しい。たとえばパスポートスタンプはとてもユニークで読み取ることができます。私たちはもうパスポートにスタンプしないじゃないですか」

――杉原の肖像を鉛筆で描いていますね

「私はいろいろなものを使用していますが、鉛筆がどれほど微妙で用途が広いのかを忘れています。偶然にも私はこのプロジェクトの間、旅行をしていました」

「コンピュータにアクセスできず、鉛筆を使う機会を与えてくれました。鉛筆のデッサンは杉原の尊厳を上手く表現しています」

――杉原千畝ようなストーリーを世界中に伝えることが重要と思うのはなぜですか

「杉原さんは人の命を救うために1日18~20時間かけてビザを書きました。そのような犠牲を惜しまず、一生懸命に人助けのために働いた人は1人でも多くの人に見られるのに値します」

発行部数130万の英大衆紙サンは「杉原千畝って誰?」と報じ、英紙インディペンデントも「杉原千畝: グーグル・ドゥードゥルがホロコーストからユダヤ人を救った日本の外交官を称える」と伝えました。世界中のメディアがこれに合わせて「日本のシンドラー」とも言われる杉原氏の人道的な行いを紹介しました。

北出明氏(筆者撮影)
北出明氏(筆者撮影)

杉原氏の「命のビザ」に詳しい民間研究者で『命のビザ、遥かなる旅路―杉原千畝を陰で支えた日本人たち』の著者、北出明氏が以前、ロンドンでの講演で、杉原ビザを可能にしたオランダのヤン・ツバルテンダイク領事、日本にたどり着いたユダヤ人を支援し、次の国に渡るビザを手配したタデウシュ・ロメル初代駐日ポーランド大使の存在も忘れてはならないと話していたのを思い出しました。

日本の通過ビザを発給するためには次の受入国のビザが必要でした。ユダヤ人に同情的だったツバルテンダイク領事はカリブ海に浮かぶオランダ植民地キュラソー島ならビザなしで行けることに目をつけ、ユダヤ人に教えました。

本国の許可も得ず、キュラソー行き証明書(キュラソー・ビザ)を大量に発行し「キュラソーの天使」と呼ばれたツバルテンダイク領事もまた杉原氏と同じように戦後、オランダ政府から罰せられました。オランダ政府が正式に謝罪したのは昨年10月のことです。

グーグル・ドゥードゥルがツバルテンダイク領事、杉原氏、ロメル大使による「命のリレー」を表現していれば、埋もれていた歴史がもっと鮮やかによみがえっていたのかもしれません。「命のビザ」は3人の連携プレーによって多くのユダヤ人の命を救いました。

約6000人が「命のビザ」で救われたという説もありますが、北出氏は「約3000人」と推測しています。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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