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韓国の最低賃金引き上げは、なぜ失敗したのか 超競争社会の生き地獄から逃れられない「3低」労働者

木村正人在英国際ジャーナリスト
韓国では最低賃金の引き上げで失業者が増えている(写真:ロイター/アフロ)

「時給1万ウォンで人間らしく」

[ロンドン発]韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は最低賃金を昨年に16.4%、今年さらに10.9%も引き上げました。これで時給は6470ウォンから7530ウォンに、さらに8350ウォンに上がり、週休手当を加えると1万20ウォン(984円)になるそうです。

文大統領は「1万ウォンは人間らしく生きる権利を象徴するものだ」と以前から最低賃金の引き上げを格差解消の看板政策に掲げていました。しかし逆に失業率が今年1月に4.4%まで上昇し、雇用不安から消費者マインドが冷え込んでいます。

低所得、低学力、低熟練の「3低」労働者や自営業者が直撃を受けているそうです。韓国の執拗な日本叩きにはこうした不満が政権に向けられるのをそらす狙いも隠されているのではないでしょうか。

朝鮮日報によると、昨年第4四半期の所得下位20%の世帯所得が前年同期を18%も下回り、2003年の統計開始以来、最大の減少幅を記録。この所得層の無職世帯は1年間に12ポイントも増えて56%に。卸小売、飲食・宿泊、施設管理の3業種で29万人の雇用が失われたそうです。

昨年、韓国の失業者は107万人と過去最大を記録。14年には59万8000件も創出されていた新しい雇用は9万7000件まで落ち込みました。

シンクタンクの韓国経済研究院は最低賃金の引き上げにより4年間で47万人以上の雇用が消失し、所得格差はさらに悪化しかねないと警鐘を鳴らしています。

日本でも日経平均株価が史上最高値の3万8915円を記録した1989年前後に入社したバブル入社組は50代に入り、今やリストラのターゲットにされています。韓国では早期退職した50~60代男性は遊んでいるのではなく「人生二毛作。東南アジアに行け」と気合を入れられています。

ベトナムに出た韓国人は死に物狂いで働いています。

最低賃金を上げると失業率が上昇する

日本の最低賃金は東京が985円。全国加重平均額は874円と、韓国の最低賃金に週休手当を加えた金額より低く抑えられています。

格差を解消するため最低賃金を引き上げると、失業率を上昇させてしまうのでしょうか。経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最低賃金と失業率の関係を調べた研究があります。

00年から14年にかけてOECDに加盟する25カ国を調べた結果、最低賃金が上がれば上がるほど労働需要を減らしていました。その一方で労働供給には影響がなかったそうです。

最低賃金を比較的ゆっくり引き下げれば雇用に対する影響は限定的に抑えることができます。平均して最低賃金を10%引き上げれば雇用を0.7%減らします。この結果、失業率は0.64%上昇していました。

文在寅政権の場合、一気に29%も引き上げたので、単純に計算しても失業率は1.86%上昇することになります。

OECDのデータを見ると、韓国は文在寅政権になる前の12年以降、最低賃金の引き上げに取り組んできたことが分かります。18~19年に一気に最低賃金を引き上げたため、中小・零細企業や自営業者が雇用を減らし、失業率を押し上げてしまいました。

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英国では生活賃金1198円

英国政府は最低賃金制度の一環として16年、法定の「全国生活賃金」を導入。この4月から、25歳以上の生活賃金は時給8.21ポンド(1198円)、21~24歳に適用される最低賃金は7.7ポンド(1124円)に引き上げられました。

政府とは別に英民間団体「生活賃金財団」は昨年11月、18歳以上の実質生活賃金を時給9ポンド(約1314円)に、ロンドンの生活賃金を10.55ポンド(1540円)に引き上げると発表しています。

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同財団の生活賃金を自主的に導入する雇用主は英国全体で4700社、ロンドンで1500社以上にのぼっています。最大野党・労働党は10ポンド(1460円)の生活賃金を主張しています。

英国のシンクタンク、財政研究所のジョナサン・クリブ上級研究エコノミストは「最低賃金はどこまで上げられるか」という記事を英BBC放送に寄せています。

それによると、最低賃金引き上げの恩恵を受ける6割はパートタイマーで、多くは理容師、清掃人、介護士、厨房アシスタントです。しかし、最低賃金の引き上げが貧困の解消に直結するかと言えば、そんなに簡単ではありません。

民間生活賃金の普及を呼びかけるロンドン地下鉄の広告(生活賃金財団提供)
民間生活賃金の普及を呼びかけるロンドン地下鉄の広告(生活賃金財団提供)

配偶者やパートナーがもっと稼いでいるケースが多く、貧困家庭に属するのは最低賃金で働く人の22%です。貧困は失業者や自営業者、または子供のいる家庭に多く、高い住宅費が原因になっています。

最低賃金引き上げの分岐点

クリブ上級研究エコノミストは最低賃金引き上げの問題点を2つ指摘しています。

(1)最低賃金の引き上げが労働者の生産性向上を伴わない限り、コスト増になる。消費者の負担が膨らむか、会社の利益を減らし、他の労働者の賃金カットにつながるかもしれない

(2)最低賃金が引き上げられると、使用者が雇用や労働時間を減らす恐れがある

英国の場合は会社にまだ利益が出ているため、最低賃金の引き上げ分を十分吸収できているようです。

どこまで最低賃金を引き上げるとマイナス面が出てくるのかはっきりとは分かりません。ベストなのは、最低賃金の引き上げは少しずつ行い、様子を見ることだそうです。

最低賃金が低く抑えられている日本も文在寅政権と同じ失敗をしないよう少しずつ、少しずつ引き上げていく慎重さが求められています。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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