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言論の自由はどうして認められているのか「新潮45」LGBT騒動に見る右派メディアの暴走

木村正人在英国際ジャーナリスト
「新潮45」の特別企画を巡って出された新潮社社長のコメント

「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足」

[英イングランド北西部リバプール発]月刊誌「新潮45」が自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の「LGBTは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」という寄稿を掲載し、最新号で改めて「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特別企画を組んだ問題で、発行元の新潮社は「差別的な表現」を認める佐藤隆信社長名のコメントを発表しました。

「今回の特別企画のある部分に関しては、それらを鑑みても、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました」「弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です」――ということですが、どの部分が「差別的な表現」に当たるのか全く分かりません。「差別的な表現」がなければ杉田氏の寄稿にも、今回の特別企画にも何の問題もなかったという判断なのでしょうか。

メディアは今、世界中で右派と左派、保守とリベラルが激しく対立し、過去と未来、紙とデジタルの分水嶺に立たされています。

2015年夏まで20年間にわたって英紙ガーディアンの編集長として先駆的にデジタル化に取り組み、英日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」の盗聴事件、告発サイト「ウィキリークス」の米外交公電や英米情報機関の監視システムを暴露したスノーデン・ファイルを連続スクープしたアラン・ラスブリッジャー氏が新著『ブレイキング・ニュース(ニュース速報)』出版に合わせて記者会見し、メディアの課題について語りました。

「箸が転んでも悪いのはEU」

英国は欧州連合(EU)離脱交渉を巡って与党・保守党も最大野党・労働党も四分五裂のカオス状態。交渉期限が迫る中、テリーザ・メイ英首相はEUからも見放され、このままでは制御不能な「合意なき離脱」に突入する恐れが膨らんでいます。

新著『ブレイキング・ニュース』を出版したラスブリッジャー氏(筆者撮影)
新著『ブレイキング・ニュース』を出版したラスブリッジャー氏(筆者撮影)

ラスブリッジャー氏はEU離脱を支援してきた右派メディアの英大衆紙デーリー・メールを「離脱派の機甲師団」と非難し、今年6月に同紙の編集長が離脱派から残留派に交代したことを歓迎しています。それまでのデーリー・メール紙は「箸(はし)が転んでも悪いのはEU」というような調子でEU離脱を盛んに煽(あお)ってきました。

英国でも右派メディアと左派メディアが激しく対立し、EU離脱という混乱を生み出してしまいました。

確かにEUは(1)域内からの移民流入数を全くコントロールできない(2)旧共産圏諸国との経済格差が大きいにもかかわらずEU拡大を急ぎ過ぎた(3)単一通貨ユーロ加盟国の財政がバラバラ(4)EU統合が最優先され、加盟各国の有権者の声が軽視されがち――といった致命的な欠陥を抱えています。

「合意なき離脱」なら新たな金融危機も

英国は移民流入数を抑えるためEU離脱を選択したわけですが、EU単一市場と関税同盟へのアクセスを失う代償は考えていた以上に大きかったようです。英国が「合意なき離脱」に突き進むと、EUとのサプライチェーンは分断され、自動車メーカーの日産、トヨタ、ホンダは英国から離脱することになるでしょう。

英中央銀行・イングランド銀行のマーク・カーニー総裁が警告するように「合意なき離脱」で不動産市場が35%も下落したら、英国は不良債権の処理に手間取り「失われた20年」に苦しんだ日本と同じトンネルに入ってしまいます。英国の住宅ローンは総額で1兆3000億ポンド(191兆円)を上回っており、米国のサブプライムローンと同じように融資枠を最大限に使って消費に充てている人が少なくありません。

不動産市場が崩壊して金融機関が巨額の不良債権を抱えても、08年の世界金融危機の時のように公的資金を注入するわけにはいきません。国際金融センターを抱える英国の「合意なき離脱」は新たな金融危機の引き金となり、英国経済の終わりの始まりになる恐れが大きいでしょう。

欧州と英国という非常に複雑な問題を「EUから離脱しなければ移民流入をコントロールできない」「EUへの拠出金を国民医療サービス(NHS)に使うべきだ」と右派の政治家とメディアに煽られた英国民は無謀な「自爆離脱」に突き進もうとしています。

こうした煽りはソーシャルメディアを通じてどんどん拡散しています。

ソーシャルメディアの弊害

ラスブリッジャー氏は記者会見でこんな事例を挙げました。

昨年12月「ピーター・スウェーデン」を名乗る22歳のカメラマンがこうツイートしました。「私の血は今、沸点に達している。ちょうどスウェーデンで起きた最もグロテスクな事件を読んだ。17歳の少女がマルメでレイプされ、拷問を受けた。彼女はレイプされている時、女性器にライター用燃料を注いで火を放った。主要メディアは沈黙している。リツイートしろ」

このツイートは1万6510人にリツイートされ、 9751人が「いいね!」ボタンをクリックしました。

ラスブリッジャー氏が調べたところ、主要メディアはこの事件を扱っていました。しかし「女性器にライター用燃料を注いで火を放った」という事実は見当たりません。ホロコースト(ユダヤ人虐殺)を否認していた過去を持つ「ピーター・スウェーデン」はこんなツイートもしていました。

「グローバリスト(ユダヤ人が主)はムスリム(イスラム教徒)を欧州に持ち込んだ」

自由と民主主義を破壊に導く言説の広がりにどう向き合えば良いのか、ラスブリッジャー氏は「フェイスブックやグーグルといったテクノロジー企業はフェイクニュース対策としてデタラメの垂れ流しを止めるだけでは十分ではない」と言います。

442ページの新著『ブレイキング・ニュース』の中で554回も自問自答を繰り返しています。しかし誰にもメディアの未来を予測できず、困ったことにデジタル革命はまだ始まったばかりなのです。

「オープン・ジャーナリズム」の理想

ラスブリッジャー氏はガーディアン紙を保有するスコット・トラスト会長に就任する予定でしたが、16年5月に同紙を追われます。理由はガーディアン紙の経営不振と路線対立です。

英名門ケンブリッジ大学を卒業したラスブリッジャーは1995年、42歳でガーディアン紙の編集長になります。その前年、米シリコンバレーを訪れ「インターネットは未来だ」と確信。周囲の反対を押し切って無料で読めるニュースサイト「ガーディアン・アンリミテッド」をスタートさせます。

「ペイ・ウォール(課金の壁)」を築かず、とにかくオンライン読者を増やす。2001年の米中枢同時テロを境に米国でもオンライン読者が急増し、米紙ニューヨーク・タイムズ、デーリー・メール紙に肩を並べる世界的なニュースサイトになりました。

ラスブリッジャー氏は告発サイト「ウィキリークス」創設者ジュリアン・アサンジと協力して米外交公電を報道した際「誰でも出版できる」時代が到来したと実感。誰でも参加できる「オープン・ジャーナリズム」の理念を掲げ、新聞社で記者経験がまったくない米国の弁護士でジャーナリスト、グレン・グリーンウォルド氏を採用し、スノーデン・ファイルのスクープを呼び込みます。

ラスブリッジャー氏の先見の明と挫折

ラスブリッジャー氏の先見の明がなければ、英メディアの中でも部数が少ないガーディアン紙が世界的なスクープを連発することはなかったでしょう。しかしジャーナリストのラスブリッジャー氏は採算を度外視してデジタル化を進めたツケを支払わされます。

紙の収入減をデジタル広告の増加で補う戦略はソーシャルメディアの台頭やターゲット広告の普及で挫折してしまいます。ページビューを増やすだけではデジタル広告を増やすことができなくなったのです。

このため16年3月期の決算で6870万ポンド(101億円)の損失を計上。250人の人員カットを含め20%のコスト削減に取り組み、サポーターから寄付を募るメンバーシップ制を導入しました。

ガーディアン・メディア・グループ(GMG)によると、サポーターは昨年の50万人から57万人に増加。一度限りのコントリビューターは37万5000人にのぼっています。

発行部数は13万8082部。ニュースサイトの月間ユニークユーザーはこの1年間で1億4000万人から1億5500万人に増えました。

デジタル媒体の収入は15%増の1億860万ポンド(160億円)。紙媒体とイベントの収入は10%減の1億750万ポンド(158億円)でした。人員整理により年1000万ポンド(14億7000万円)のコストを削るなどして営業損失もこの2年間で1900万ポンド(28億円)に減少。

GMGのデービッド・ペムセル最高経営責任者は「人員整理を正当化できる唯一の理由はガーディアンを存続させるためということだ」と話しています。

紙メディアの生き残り

デジタル化の荒波の中で、アマゾンの最高経営責任者(CEO)ジェフ・ベゾス氏は米紙ワシントン・ポストを買収。日経新聞が英紙フィナンシャル・タイムズを1600億円で買収するなど、新聞業界の再編は世界的に進んでいます。

「メディアの帝王」ルパート・マードック氏傘下の英紙タイムズが10年6月から「ペイ・ウォール」を導入して有料化に踏み切り、黒字化に成功。米紙ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストや英紙フィナンシャル・タイムズも「ペイ・ウォール」を導入しています。

有料化が主流となる中で、ガーディアン紙がメンバーシップ制にこだわる理由について、ラスブリッジャー氏は「購読料を払えない人が新聞を読めなくなり、社会に分断をもたらす」と語りました。

しかし購読料をもらわないとジャーナリストが食えなくなってしまいます。ガーディアン紙の読者の平均年収は2万4000ポンド(353万円)。英国では5分の1のジャーナリストは2万ポンド(294万円)の収入もないそうです。

記者あがりのジェレミー・コービン労働党党首は、フェイスブックやグーグルなどの資金で英BBC放送の姉妹会社として地方紙や調査報道、公益報道のデジタル化を支援する「英国デジタル会社(BDC)」を設立することを提案。新聞社へのチャリティー団体資格適用、ジャーナリストが編集者を選ぶ制度の導入も唱えています。

有料読者の支援が必要

雑誌や新聞の紙メディアは生きるか、死ぬかの瀬戸際に立たされています。生き残るためにメディアがダークサイドに走ることが許されるとは思いません。表現の自由が認められているのは「公共の利益に資する」「自由と民主主義を維持するために必要だ」と考えられているからです。

「新潮45」を批判して済ませるのは簡単です。筆者はラスブリッジャー氏の話を聞いて、ガーディアン紙へのサポート額を年200ポンド(約3万円)に増やしました。

媒体の多様化で有料読者の獲得が難しい中、紙メディアはデジタル化の投資とコスト削減を強いられ、報道・言論活動の質を維持するため四苦八苦しています。だからこそ、公共の利益に資する、さらに優れた言論と表現が求められているのではないでしょうか。そのためには有料読者の支援が必要なのは言うまでもありません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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