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【W杯現地報告】韓国の「美しい敗退」と日本の「醜い勝利」自国チームにブーイングを送った日本サポーター

木村正人在英国際ジャーナリスト
日本対ポーランド戦で時間稼ぎ戦法にブーイングする日本サポーター(筆者撮影)

「無様に勝つことを怖れよ」

[ボルゴグラード発]「空飛ぶオランダ人」と呼ばれたサッカーの天才ヨハン・クライフ(1947~ 2016年)はこんな言葉を残しています。「結果を伴わない質は意味がない。質の伴わない結果は退屈だ」

そして「美しく敗れることを怖れてはいけない。無様に勝つことを怖れよ」とも。

日本とポーランドの国歌斉唱(筆者撮影)
日本とポーランドの国歌斉唱(筆者撮影)

サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会H組の日本代表。ボルゴグラードでの第3戦、FIFAランキング世界8位のポーランドを相手に日本は1次リーグ敗退を怖れて醜い戦い方を選び、世界中から大ブーイングを浴びせられました。

スタンドで観戦していて心底、悲しくなりました。日本代表の戦い方ではなく、祖国を代表して戦うサムライ・ブルーに対して親指を下に向けブーイングを浴びせる日本サポーターの姿に。

ポーランド・サポーターやロシア人観客がブーイングするのは分かりますが、時間稼ぎをするサムライに苛立ちをぶつける一部の日本サポーターにはとても共感できません。

最後の最後まで勝ちきるサッカーで「サランスクの奇跡」(コロンビア戦に2-1で勝利)を起こし、エカテリンブルクではセネガル相手に脅威の粘りを見せて追いつき、2-2のドロー。日本代表と日本サポーターは完全に一体化しました。

そして第3戦、0-1でポーランドに敗けていた日本代表は勝ち点、得失点差、総得点でセネガルと並び、フェアプレーポイント(警告数)の差で決勝トーナメントに進むことを選びました。

決勝トーナメント進出が目標ですから、それに向けて最も確率の高い戦い方を選ぶのは他国の目からは醜く見えても決して恥ではないと思います。

コロンビア対セネガルの試合経過を見ながらの第3戦の後半は「帳尻合わせ」になる可能性が戦前から指摘されていました。

摂氏36度の酷暑

ボルゴグラードがどれだけ暑かったか、からお話ししましょう。一時は摂氏40度近くまで気温が上昇すると警告予報まで発せられていましたが、試合開始から前半12分まで摂氏36度。

2013年12月、駅やバスでの自爆テロで34人の死者を出しているボルゴグラードはモスクワやエカテリンブルクを上回る厳戒態勢。しかもイングランド代表が過激派組織IS(「イスラム国」)に狙われるという情報もあり、広範囲にわたり交通規制が行われました。

とにかく気が遠くなる暑さ。キャリーバッグを引いて歩いているだけで体中に熱がこもります。スタジアムに向かう途中、道沿いの食堂に入って涼を取り、水分補給しなければなりませんでした。

「こんな暑さで、どんなサッカーができるんだろう」と正直、思いました。

スタジアムの日陰で見た先発メンバーはスポーツ紙の予想通り、コロンビア戦とセネガル戦から6人が交代し、岡崎と切り札・武藤の2トップ。

決勝トーナメントに備える必要があるとは言え、「2連敗で1次リーグ敗退が決まっているものの、ポーランドはシードチーム。こんなに変えて大丈夫なの」と心配になってきました。

スポーツ紙に戦前から先発メンバー予想が掲載され、情報管理の甘さも気になりました。戦う前から相手をなめ過ぎです。

そして当初は摂氏40度と予想されていた酷暑の中、攻めて1位突破を目指した西野朗監督の作戦にも首を傾げました。世界ランキング60位の日本は決して強くはないからです。

好セーブ連発した川島

しかし第1、2戦の失点につながるプレーで厳しい批判を浴びたGK川島を第3戦で起用したのは大成功で、川島は奇跡的な好セーブを連発します。

前半32分、ポーランドの右クロスからのヘディングシュートを川島はゴールライン上で食い止めます。スタンドからは入ったように見えたのでハラハラしました。他にも川島は好セーブで日本のゴールを守りました。

前半0-0で終わった時点で日本代表は勝って勝ち点7を狙うよりも引き分けの勝ち点5で自力による決勝トーナメント進出を目指した方が良かったと思います。シンプルにゴールに迫るポーランドの上手さは認めざるを得ませんが、日本のパスミスを狙った完全なカウンター狙いだったからです。

自分から積極的に攻めてくる姿勢を全く感じさせないポーランドに対してバカ正直に勝ちに行く必要は最初からなかったのではないでしょうか。相手が攻めて来ないなら堂々とDFでボール回しをすれば良い、無理攻めで前がかりになるのはリスクが大きすぎると思いました。

後半14分、ポーランドが左フリーキックから先制。この時点でセネガル対コロンビアは0-0。日本は3位に転落し、1次リーグ敗退の恐れが強まってきました。日本代表は1位通過を目指す「プランA」から、2位通過の「プランB」に切り替えざるを得なくなります。

「棚からぼたもち」の2位浮上

敗色が濃厚になり始めたころ、他会場ではコロンビアが先制点を挙げます。これで日本は「棚からぼたもち」の2位浮上。しかしフェアプレーポイント(警告数)だけのリードで、新たな警告を受ければ再逆転される恐れのある綱渡りの展開になりました。

後半37分、温存していたMF長谷部が武藤に交代してから日本代表の戦い方は、なりふり構わぬ「プランC」に。筆者は前半から「プランC」で行くべきだと思っていましたが、日本代表はDFでボール回しを始め、1勝を確実にできるポーランドもあえて攻めて来ませんでした。

これでセネガルが同点に追いつかない限り、日本代表はH組2位で決勝トーナメントに進出できます。しかし高い旅費と貴重な時間を割いてボルゴグラードまでやってきた日本サポーターの一部とポーランド・サポーター、ロシア人観客は容赦ないブーイングをサムライ・ブルーに浴びせました。

試合会場のボルゴグラード・アリーナ(筆者撮影)
試合会場のボルゴグラード・アリーナ(筆者撮影)

ボルガ川沿いの試合会場ボルゴグラード・アリーナまで足を運んだ4万2000人の観客と世界数百万人の視聴者にとっては「時間の無駄」でしかない試合になってしまいました。

「次の試合でボロ負けしてもらいたい」

イングランド代表の「醜い勝利」なら称賛するのに、英BBC放送では「茶番」「次の試合でボロ負けしてもらいたい」と日本代表に対して辛らつなコメントが相次ぎました。F組の第3戦、アディショナルタイムで前大会覇者のドイツから2点を奪って勝利したものの、1次リーグで敗退した韓国が称賛されたのと対照的でした。

しかしサッカーの試合の大半は非常に退屈で、エキサイティングな試合は実際のところ数えるほどしかありません。人生もそういうものです。筆者は屈辱に耐えてパス回しをした日本代表はエライと涙が込み上げてきました。人生には屈辱に耐えてでも生き延びなければならない時があるからです。

ボルゴグラードは1925年から61年までスターリングラードと呼ばれていました。名前が変更されたのは旧ソ連時代の指導者ニキータ・フルシチョフ(1894~1971年)のスターリン批判がきっかけです。史上最大の市街戦となった第二次大戦のスターリングラード攻防戦でも有名です。

母なる祖国像(筆者撮影)
母なる祖国像(筆者撮影)

ボルゴグラード・アリーナから出ると、ママエフの丘にスターリングラード攻防戦を記念して建てられた母なる祖国像の美しい姿が、決勝トーナメント進出にこだわって戦った日本代表を労ってくれているような感じがしました。

「私たちの心は日本代表とともに」

徒歩で50分近くかかるホテルに向かう長い坂道、猛暑でグロッキーになった相棒の史さん(妻)のキャリーバッグを、試合を観戦した地元のロシア人親子が運んでくれました。

「スターリングラードは歴史的な場所なんだ。ここでソ連軍はドイツ軍を食い止めた。日本代表は、体格は小さいけれど、よく戦ったと思うよ。試合は決して面白いと言える内容ではなかったが、私たちの心は日本代表とともにある」とその親子は言ってくれました。

ポーランド戦で見せた日本代表の戦い方の真価は決勝トーナメント初戦のベルギー戦で問われます。日本サポーターのブーイングも日本代表への愛のムチだったと受け止めたいと思います。

日本サポーターはロシアでは大人気だ(筆者撮影)
日本サポーターはロシアでは大人気だ(筆者撮影)

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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