情報機関のない日本は孤立する 反転攻勢に出る欧米 露外交官100人追放 プーチンは「サバイバル」狙う

西側から外交官が大量に追放されたロシアのプーチン大統領(写真:ロイター/アフロ)

豹変したトランプ米政権、露外交官60人追放

[ロンドン発]英イングランド南西部ソールズベリーで引退生活を送っていた元ロシア二重スパイのセルゲイ・スクリパリ氏(66)と娘ユリアさん(33)が旧ソ連で開発・製造された兵器級の神経剤ノビチョクで意識不明の重体になっている事件で、ロシア外交官23人を追放したイギリスに続き、アメリカなど西側諸国20カ国以上が計100人以上のロシア外交官を国外退去処分にしました。

アメリカのドナルド・トランプ大統領はロシア大統領選で再選を果たしたウラジーミル・プーチン大統領に祝福の電話を入れたばかり。「ロシアと上手くやっていくことは良いことだ」と自分に対する批判に反発していたのに、アメリカは60人ものロシア外交官を国外追放にしました。

トランプ大統領はレックス・ティラーソン国務長官とハーバート・マクマスター国家安全保障担当大統領補佐官を更迭したとは言え、まだ交代前で大統領の意に反してロシアに対し厳しい措置がとられました。ドイツやフランス(各4人)など欧州連合(EU)加盟国、ウクライナ(13人)、カナダ(4人)、そしてオーストラリアも隊列に加わりました。

情報機関がない日本

日本の河野太郎外相は27日「化学兵器の使用は決して許されず、化学兵器を使用した者は処罰されるべきだというのが日本側の考えだ。こうした考えは総理からプーチン大統領に、私からラヴロフ外務大臣に伝えている」と報道陣に話しましたが、外交官の追放については「事実関係の解明が先だ」と述べるに止めました。

日本はイギリス警察の捜査と化学兵器禁止機関(OPCW)の現地調査を見守る考えです。安倍晋三首相としては北方領土返還交渉をめぐりウラジーミル・プーチン大統領との間で築いてきた人間関係を無駄にしたくない、ロシアを孤立させて中国と関係を強化されると日本にとって悪夢のシナリオになるという計算が働いているのでしょう。

日英外交筋は筆者に「日本には情報機関がないので、イギリスの情報機関が得ている情報を共有するルートがない。イギリスはしっかりした証拠を押さえていると想像するしかない」と話しました。安倍首相はトランプ、プーチン両大統領との関係と、北方領土返還というレガシー(遺産)づくりに引きずられ、大局を見失っているのかもしれません。

イギリス、アメリカ、オーストラリア、カナダはそれぞれの諜報機関が収集した情報を共有する悪名高き協定「ファイブアイズ」のメンバーです。EUを離脱するイギリスは今回、親ロシアではないEU加盟国にこれまでならファイブアイズにとどめていただろう極秘情報を流した可能性があると筆者は見ています。

昨年の解散・総選挙で過半数割れを喫してから散々な状況に追い込まれていたテリーザ・メイ英首相にとっては外交上の勝利と言っていいでしょう。

「外なる敵」をつくり「内なる敵」を弾圧するプーチン

これでロシアと西側諸国の関係が短期的に好転することはなくなりました。プーチン大統領には欧米諸国との関係を好転させて、経済改革を進めるという選択肢もありましたが、スクリパリ氏の暗殺未遂によって逆コースを進むことが確定しました。

スパイ合戦で西側諸国がここまで結束してくるとは考えていなかったにせよ、プーチン大統領が「外なる敵」をつくり出し「内なる敵」は情報機関と治安部隊によって弾圧するという冷戦時代のソ連国家保安委員会(KGB)型の国家統治に逆戻りしていることに変わりはありません。

プーチン大統領は計算高い冷徹な政治指導者です。ロシア経済は天然資源の原油価格によって大きく左右されます。1バレル=40ドルを下回ると黄信号、20ドルを割ると赤信号で実際に1991年にはソ連が崩壊しました。下は米エネルギー省(EIA)のデータをもとに作った折れ線グラフです。WTIは米市場の指標、ブレントは欧州市場の指標です。

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KGB出身のプーチン大統領は裏切り者のスパイには2006年のリトビネンコ事件、今回のスクリパリ事件のように「残酷な死」を与えるため致死性の放射性物質ポロニウム210や神経剤ノビチョクを使って暗殺・暗殺未遂を企てたとみられています。イギリスの国土で、対象者がイギリス国籍を取得していてもお構いなしです。

原油価格との奇妙な一致

一方、ジョージア紛争、ウクライナ危機、シリア内戦への軍事介入は状況が急激に悪化して、あわててプランB(最初の計画が上手くいかない時に使うバックアップ計画)を発動したに過ぎません。

原油価格に注目してみましょう。ジョージア紛争時は1バレル=116.7ドル、ウクライナ危機100.8ドル 。原油価格が1バレル=100ドルを超えると、プーチン大統領は強気になります。

次に年表を見てみましょう。

04年3月 プーチン大統領が再選

06年11月 リトビネンコ事件

07年2月 プーチン大統領がミュンヘン安全保障会議で「アメリカが世界の安定を損なっている」と批判

08年3月 ドミートリー・メドベージェフ大統領誕生。プーチンは首相に

08年8月 南オセチア紛争勃発

12年3月 プーチン大統領が返り咲き(通算3期目)

14年2月 ウクライナ危機勃発

15年9月 ロシアがシリア空爆

18年3月 スクリパリ事件、プーチン大統領が再選(通算4期目)

リトビネンコ事件と今回の事件で共通するのは「ポスト・プーチン」が取りざたされるようになると、イギリスで元ロシアスパイの暗殺・暗殺未遂事件が起きるということです。リトビネンコ事件時の原油価格は1バレル=59ドル、今回は62.9 ドル。原油価格が上昇局面で、60ドルというのが一つの目安になっているのかもしれません。

ロシアの貧困

2000年にプーチン氏が大統領に就任してからロシアの国民1人当たりの実質国内総生産(GDP)は為替の影響を取り除いた購買力平価で見てソ連崩壊前のレベルを上回りました。しかし世界金融危機を境に成長スピードは減速してしまいました。

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情報機関・軍出身者の「シロビキ」に権力基盤を持つプーチン大統領は天然資源の国家統制を強めるとともに、メドベージェフ首相に象徴される経済改革派「シビリキ」の力を借りて構造改革を進めようとしました。しかし08年のジョージア紛争を境にロシアへの警戒感が強まり外資はそれほど増えませんでした。

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ロシア経済は西側諸国の資本と技術を導入して天然資源依存を減らさない限り、アメリカや中国との差は開く一方です。しかしプーチン大統領は逆コースを進んでいます。

プーチン大統領は大統領選投票前の年次教書演説で「2,000万人が貧困ライン以下で暮らしている現状は受け入れられない」と「分配」政策に力を入れると表明しました。トランプ大統領やイギリスのEU離脱派と同じように、グローバリゼーションという「外敵」を作り出す選挙戦略だったのでしょう。

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しかし、それと同時に米フロリダ州にロシアのミサイルが降り注ぐビデオを使って、敵の探知をかいくぐるため低空を飛ぶ巡航ミサイルと潜水艦発射型の長距離ミサイルを開発していることを披露しました。プーチン大統領のロシアがアメリカに対抗できるのは、核弾頭の数しかないのです。

プーチン大統領の「サバイバル戦略」

スクリパリ事件で「裏切り者には死を」という鉄の掟を思い起こさせたプーチン大統領にとって最も重要なのは自らの「サバイバル」です。「ポスト・プーチン」はシロビキの中から選ばれるのか、「ポスト・プーチン」もやはりプーチン大統領なのかは誰にも分かりません。プーチン大統領のサバイバルはシロビキの動向にかかっています。今回の暗殺未遂はシロビキの締め付けを図ったと見るのが妥当でしょう。

これに対して西側諸国は、プーチン大統領ではなく、「若きテクノクラート」と呼ばれる次の世代に期待しているようです。ロシアの人口構成を見ると25~34歳が大きく膨らんでいることが分かります。

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中国と違ってロシアではインターネットの統制が十分効いていないため、インターネット空間では比較的自由な意見が交わされています。先のロシア大統領選では野党指導者アレクセイ・ナワルニー氏(41)は有罪判決を理由に出馬が認められませんでした。25~34歳の若きテクノクラート世代が動けば、ナワルニー氏を軸に「ポスト・プーチン」は激動する可能性がありそうです。

(おわり)