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電通ガサ ブラック企業にメス入れる「かとくの女」 立ちはだかる人手不足社会

木村正人在英国際ジャーナリスト
「かとく」のガサが入った電通(写真:ロイター/アフロ)

逮捕権持つ「かとく」

大手広告会社、電通に昨春入社した女性新入社員、高橋まつりさん(当時24歳)が最長月130時間の残業が原因で過労自殺した事件で、東京労働局の過重労働撲滅特別対策班「かとく」が14日、東京・港区の電通本社に抜き打ちの調査(臨検監督)に入りました。このニュースを聞いて、30年近く前に公開された伊丹十三監督の映画「マルサの女」を思い出しました。

電通本社に乗り込む「かとく」のメンバーの中に女性も含まれていたからです。労働基準監督官は「特別司法警察職員」で逮捕、送検を行う強い権限が与えられていますが、「かとく」は特に過重労働に焦点を当てています。事件は時代を映す鏡です。

「マルサの女」が、1万円札が100円玉のように扱われた金融バブルの時代を象徴していたのなら、「かとくの女」は、賃金が上がらないのに人手不足で長時間労働を強いられる時代を映し出しています。

社会正義の観点から言うと、高橋まつりさんの過労自殺は、単なる長時間労働というより刑事事件として捜査すべきです。厚生労働省と警察庁が連携して、悪質な長時間労働を従業員に強いるブラック企業を徹底的に摘発しなければ、日本から長時間労働、サービス残業という悪しき労働慣行は一掃できないでしょう。

海外から「違法労働」と批判されている「外国人技能実習制度」の悪用についても厳しく目を光らせていく必要があります。

「死んだほうがよっぽど幸福」

電通では1991年に入社2年目の24歳の男性社員が同じように過労自殺しています。高橋まつりさんは東京大学を卒業後、昨年4月に電通に入社し、インターネット広告の部署に配属されます。半年後には部署の人員が14人から一気に6人に減らされ、月20~50時間だった残業が100時間を超えるようになりました。

NHKの報道から高橋まつりさんのツイッターなどへの書き込みを拾ってみましょう。

「休日返上で作った資料をボロくそに言われた もう体も心もズタズタだ」

「土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい」

「もう4時だ体が震えるよ……しぬもう無理そう。つかれた」

「眠りたい以外の感情を失いました」

「毎日次の日が来るのが怖くてねれない」

「弱音の域ではなくて、かなり体調がやばすぎて、倒れそう……」

「死にたいと思いながらこんなストレスフルな毎日を乗り越えた先に何が残るんだろうか」

「死んだほうがよっぽど幸福なんじゃないかとさえ思って」

上司の「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない」「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな」という言葉に対し、高橋まつりさんは「男性上司から女子力がないだのなんだの言われるの、笑いを取るためのいじりだとしても我慢の限界」と綴っています。

そして自殺した昨年12月25日の朝に、静岡に住む母親に「今までありがとう」とメールを送っていたそうです。

コネ体質の電通

電通にはTV局や新聞社の幹部の家族がたくさん就職しています。コネを利用して主要メディアの広告を支配するためです。縁故主義の古い経営体質と四マス(新聞、雑誌、ラジオ、TV)の過去に浸る電通経営陣は最先端のインターネット広告について全く理解できず、若手社員や外部企業に丸投げしているそうです。

TV広告では「時間」、新聞広告では「紙面」という枠を売っていたのと同じ感覚で、インターネット広告を考えていたら時間はいくらあっても足りません。テクノロジー企業のフェイスブックやグーグルと戦うのに、新入社員に100時間超の残業を強いた上、心ない言葉を吐きつける電通の未来は明るくないでしょう。

昨年、厚生労働省が月100時間超の残業が疑われる8530事業場を調査したところ、4790事業場で違法な時間外労働があったそうです。昨年度厚生労働省委託の「過労死等に関する実態把握のための社会面の調査研究事業」報告書を見てみましょう。

出所:厚労省委託事業報告書データをもとに筆者作成
出所:厚労省委託事業報告書データをもとに筆者作成

正規社員の1カ月の最長時間外労働が80時間を超えていた企業の割合はグラフの通りです。秒速で技術革新が進む情報通信業の割合が44.4%と一番多くなっています。

日本は、団塊の世代の定年で深刻な人手不足に陥っています。金融バブル崩壊後も、団塊の世代の正規雇用を守るため、新卒の就職氷河期が続き「失われた世代」が生み出されました。そのツケが一気に出てきた形です。震災復興、東京五輪・パラリンピックに加え、安倍晋三首相の経済政策アベノミクスで人手不足は一段と顕著になっています。

14年以降、有効求人数が有効求職者数を上回る状況が続き、有効求人倍率は1.4倍に近づいています。

出所:厚労省資料より抜粋
出所:厚労省資料より抜粋

次に求人倍率の高い職種をみると、保安、建築・土木・測量技術者、生活衛生サービス、建設、医療技術者、接客・給仕、情報処理・通信技術者、土木、介護サービスとなっています。人手不足が著しいこうした業種では必然的に残業や休日出勤が多くなります。

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これだけ人手不足なら賃金が上がって消費が増えても良さそうなものですが、そうはならないのが日本です。2人以上世帯の1カ月当たりの消費支出はアベノミクスのおかげで増えたものの、14年4月に消費税率を5%から8%に引き上げたのをきっかけに再び落ち込んでいます。

出所:総務省家計調査データをもとに筆者作成
出所:総務省家計調査データをもとに筆者作成

需給ギャップと日銀の短観加重平均DIのグラフ(下)をみると、短観加重平均DIでは需要が供給を上回っているのに、需給ギャップは需要不足のままで、ワニの口のように開き始めています。

出所:日銀資料から抜粋
出所:日銀資料から抜粋

判断材料が違うのが原因でしょうが、2つのグラフの乖離は、人手不足なのに賃金が上がらないため、消費が拡大せず景気が良くならない日本の現状を映し出しているのではないでしょうか。

ゾンビ企業の淘汰を

厚生労働省は今年4月、「過重労働撲滅特別対策班」を発足させ、全国の労働局に1人ずつ「過重労働特別監督監理官」を配置しました。これまでは時間外労働に対する割増賃金の支払いがきちんとされているかどうかが問題にされましたが、これからは過重労働そのものにメスが入れられます。

人手不足なのに賃金が上げられない企業は、ICT(情報通信技術)やロボット化の導入で生産性を改善していく必要があります。金融バブル崩壊後、非正規雇用という低賃金労働者を大量に生み出した日本では賃上げが生産性の向上を求める好循環が生まれず、賃下げが生産性を押し下げてきました。

利益率の低いゾンビ企業を淘汰して、起業などを通じて利益率の高い産業へ人・モノ・資本・時間を移していく必要があります。そのためには「正規」から「非正規」への成り下がりだけでなく、「非正規」から「正規」への成り上がりを増やすなど、労働市場を柔軟にしていかなければなりません。

団塊の世代の退場をきっかけに、労働力不足に陥っている日本はこれを好機に、教育や職業訓練を充実させ、低賃金が生産性を押し下げる負のスパイラルを高賃金が生産性を押し上げる正のスパイラルに転換していく工夫と努力が求められています。長時間労働が生産性を高める時代はとうの昔に終わったのです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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