アカデミー作品賞に輝いた『スポットライト』が問いかけるジャーナリズムとは
カトリック教会が児童性的虐待を組織的隠蔽
第88回アカデミー賞の作品賞と脚本賞が映画『スポットライト 世紀のスクープ』に贈られました。米紙ボストン・グローブの調査報道班「スポットライト」がカトリック教会による児童性的虐待の組織的隠蔽を暴いた実話が題材です。ジャーナリズムを取り上げた作品はジャーナリストには受けても、大衆受けしないと言われてきました。
しかし、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のマイケル・キートン、アカデミー助演男優・助演女優賞にノミネートされたマーク・ラファロ、レイチェル・マクアダムスがヒーローではない等身大のジャーナリストを演じたことが映画作品としての成功をもたらしました。今も大半の人が口を閉ざす児童性的虐待の被害者を勇気づける内容に仕上がりました。
先のエントリーでも紹介したように、ロンドンで『スポットライト』を観て筆者は非常に感動しました。調査報道に人生をかけるボストン・グローブ紙の記者や編集長に強い愛着とノスタルジーを感じました。米国でも多くのジャーナリストが映画を通じてジャーナリズムの存在意義に改めて魂を動かされたようです。
「アウトサイダー」と呼ばれた新任編集長
調査報道班「スポットライト」は2002年に丹念なインタビューと資料発掘で多数の神父による児童性的虐待をカトリック教会が組織的に隠蔽してきた実態をスクープし、ピュリツァー賞に輝きます。きっかけは就任したばかりのマーティン・バロン編集長(13年1月からワシントン・ポスト紙の編集主幹)が1つのコラムに注目したことです。
ボストン・グローブ紙でピュリツァー賞を受賞した著名コラムニストが「カトリック教会の神父に対して80人の児童性的虐待の告発があるのに教会は疑惑を全面否定、証拠は裁判所が非公開にしているため真相は藪の中だ」と書いていたのです。
ユダヤ教徒で野球にはまったく関心がないというボストンでは完全なアウトサイダーのバロン編集長は「じゃあ裁判所に情報公開を求めよう」と提案し、スポットライト班のキャップや記者に取材を命じます。バロン編集長が秀でているのは、何人の神父が児童性的虐待に関わっていたかよりも、カトリック教会の組織的な隠蔽を暴こうとしたところです。
ジャーナリズムに求められる最も大切な資質
筆者は映画を観ている最中、新聞記者として走り回ったさまざまな思い出が胸の中を駆け巡りました。ジャーナリズムに求められる最も大切な資質とは、文章力でも、当局に食い込んで特ダネを取ってくる能力でもなく、おかしなことはおかしいと言える人間として当たり前の勇気だと思います。
児童性的虐待の被害者や弁護士が神父やカトリック教会を告発するのに勇気がいるように、カトリック教会という権威を追及する新聞社の編集長や記者にも勇気がいります。
映画『スポットライト』は人間として当たり前の勇気に光を当てることで、バロン編集長と調査報道班の陳腐なスクープ物語や手柄話にせず、希望と苦悩が入り混じった人間ドラマを描き出します。真実を追い求めると会社や地域、社会の中でほされたり、村八分にされたりすることがあります。
ジャーナリストも間違える人間だ
カトリック教会による児童性的虐待の組織的な隠蔽で、問題のある神父は野放しにされ、移動先の教会で児童性的虐待を繰り返しました。ボストンでは数十年もの間、カトリック教会の犯罪が見逃され、実はスポットライト班のキャップも事件をニュースで扱いながら、その重要性にまったく気づかず、掘り下げないまま放置していたのです。
ジャーナリストもやはり間違える人間なのです。
デジタル化が急激に進む米国では、多くのジャーナリストが職を失いました。新聞の発行部数や広告収入が減り、編集局の人員整理が進んでいるからです。ボストン・グローブ紙も例外ではありません。そんな中で、映画『スポットライト』はジャーナリズムの存在意義をジャーナリストにも読者にも問いかけています。
収まらない憤り
バロン編集長がワシントン・ポスト紙に書いたコラムによると、ハーバード大学教授で後に駐バチカン米国大使になるメアリー・アン・グレンドン女史が当時、「ボストン・グローブ紙にピュリツァー賞を与えることはウサマ・ビンラディンにノーベル平和賞を贈るようなものだ」とスピーチしたそうです。この場面は映画では描かれていませんが、バロン編集長の怒りはまだ収まっていません。
しかし、カトリック教会内部から児童性的虐待を追及してきたトーマス・ドイル神父はバロン編集長に次のような手紙を送ります。「カトリック教会による児童性的虐待の隠蔽は信者である子供たちと親たちを裏切った。神父や社会も裏切られた。あなた(バロン編集長)やボストン・グローブ紙のスタッフがいなければこの悪夢はずっと続いていた」
バロン編集長はボストン・グローブ紙を去ってワシントン・ポスト紙に移るまで、ずっと机の上にこの手紙を置いていたそうです。ジャーナリズムが権力に添い寝するのではなく、声なき声や社会的弱者に寄り添うのなら、どんな苦難が待ち受けていようとも、きっと生き続けるはずです。
(おわり)