デビッド・ボウイとその時代 アーティストらしい最期
「レッツ・ダンス」などの名曲を次々と生み出し、「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」にも選ばれた英国のロックシンガー、デビッド・ボウイらしい最期でした。
1947年、ボウイが生まれたロンドン南部ブリクストンの生家にはファンが訪れ、花束やアルバムを手向けました。兄や姉の影響で6歳のときからボウイを聞き始めたというナタリー・デ=ブログリオさん(52)は「昨夜、ニューアルバム『★(ブラックスター)』を聞いて、朝、目が覚めたらデビッド・ボウイは逝っていました」と言います。
ボウイは10日、1年半の闘病の末、がんで亡くなりましたが、その2日前、69歳の誕生日を記念して「★」を発売しました。「★」はボウイ自身の写真が使われていない初めてのアルバムで、「ここを見上げてごらん。僕は天国にいるよ」と自らの最期を強調した歌が収録されています。
ナタリーさんは「病院ではなく、この家で彼は生まれました。ニューアルバムを聞いて、すぐにデビッド・ボウイが死んでいくことが分かりました。だから今日は彼が生まれたこの家に来ました。デビッド・ボウイが歌に込めたメッセージは自由です。何にも縛られず、自分らしく生きることを伝えてくれました」と声を震わせました。
ナタリーさんは20歳のとき、友だちに誘われて、「ブルー・ジーン」のMTV用プロモーションビデオにエキストラとして出演しています。「ちょうどサッチャー首相の時代で、失業していました。手を伸ばせば届く距離で見たデビッド・ボウイは愛らしくて、楽しく、とても謙虚な印象がしました」
ボウイは子供のときからジャズ音楽に親しみ、13歳でサクソフォンを習い始めたあと、さまざまなバンドに所属して音楽活動を始めます。化粧をしてアンドロジナス(男女両性の特徴を持つ)・ファッションの「グラムロック」で注目を集め、1972年のアルバム「ジギー・スターダスト」は歴史に刻まれています。
「ジギー・スターダスト」のジャケットが撮影されたロンドンの繁華街リージェント・ストリートの外れにもファンが花束を持って訪れました。11歳の頃からデビッド・ボウイのファンというポーラ・ケルマンさん(56)は「彼は常に音楽やファッションの境界を飛び越えていきました」と涙を浮かべました。
マネジメント会社に勤めていたポーラさんは1998年、念願のデビッド・ボウイとの対面を果たします。「それまで仕事で彼とは電話で話したことは何度かありましたが、この目で見ることができて感激でした。彼はとてもチャーミングでした」
デビッド・ボウイ顔負けのファッションでやって来たジョージ・スケッグスさん(73)は「彼の歌からは個人、個人が大切なんだという思いが伝わってきました」と振り返りました。ジャケットの撮影現場で跪いて、口づけをする男性ファンもいました。
2013年5月には、カナダ人宇宙飛行士が国際宇宙ステーション(ISS)の中でボウイの1969年のヒット曲「スペース・オディティ」の歌詞を一部変えて歌った音楽ビデオを制作し、動画投稿サイト・ユーチューブで2700万回も再生されました。
ボウイは1976年、西ベルリンに移り住みます。1987年6月にベルリンの壁のそばでコンサートを開いて、ヒット曲「ヒーローズ」を歌います。「ヒーローズ」はベルリンの壁の傍らで落ち合う恋人たちを見て作られた曲です。
ボウイがベルリンの壁を背に「ヒーローズ」を歌う前に「私たちは願いを壁の向こうにいる友人たちに送ります」とドイツ語でアナウンスします。東ドイツ側の若者たちは、ボウイと一緒に「ヒーローズ」を歌い始めました。
ボウイは後に「若者たちが壁に分断されていることを実感し、あれほどやり切れなさが込み上げてきたことはありません」と振り返っています。
この日、ボウイの死を悼み、ドイツ外務省は「グッド・バイ、デビッド・ボウイ。あなたは今、ヒーローズの中にいます。壁を崩壊させるのを助けてくれてありがとう」とツイートしました。
英国のキャメロン首相も「デビッド・ボウイは、新しい音楽が何かを理解し、革新を続けた巨匠です」とツイートしました。
ボウイは1983年に公開された大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」で捕虜の英軍少佐役を務め、ビートたけしさんや坂本龍一さんと共演、日本でも人気があります。
ロンドンのベイカー・ストリートにあるロックのお土産店「IT’S ONLY ROCK’N’ROLL」の経営者ハワード・コーヘンさんは「1972年に10代でデビッド・ボウイのコンサートに行ったときの衝撃は忘れません。ちょうど自我が確立される時期で大きな影響を受けました」と言います。
同店で働く日本人女性の平山ナオさんはボウイの大ファン。「デビッド・ボウイは常に音楽もイメージも変えてきました。それでも1度、聞けばデビッド・ボウイだと分かります。いつも格好良かったです。グラムロック、米国の音楽、ポップ、デジタルなロックというふうに新しい自分をいつも見出していました」
ブリクストン駅前にあるボウイの壁画前には次々と花束が手向けられ、ヒット曲が合唱されました。映画館には「デビッド・ボウイ 我々のブリクストン・ボーイ。どうか安らかに(R.I.P)」と掲げられました。
(おわり)