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希望退職を「絶望」にしないために 日本も「ワサビ・ウエイター」で労働市場を活性化させよう

木村正人在英国際ジャーナリスト
「ワサビ・ウエイター」というゲームアプリ(ロックフェラー財団の報告書より)

「チュー妻」たちのお買い物

今年も東芝やシャープなど上場企業が希望退職を募るニュースが相次ぎました。しかし、東京商工リサーチによると、2015年上半期に希望・早期退職者の実施を公表した主な上場企業は18社で前年同期より3社減り、2000年以降、最少ペースになっています。アベノミクスで円安になり、輸出企業が息を吹き返したからです。

人数ではシャープの大募集が影響して6598人(前年同期3395人)。1年を通すとどうなるのでしょう。新卒で入った会社で定年を迎えるのは難しい時代になりました。グローバル化とデジタル化が急激に進み、産業構造の転換が求められているからです。4年前の人事院調査でも、早期退職優遇制度を導入している1千人以上の民間企業は43.9%にのぼっています。

問題は、希望退職に応じる人にあるのではなく、日本が時代の変化に合わせて労働市場を改革できなかったことにあります。明治政府は「四民平等」を掲げて、国民のやる気を引き出し、奇跡的な発展をもたらしました。バブル経済の崩壊後、雇用の過剰を解消するため日本は非正規雇用を増やしました。非正規と正規の格差が生まれました。

ロンドンで暮らしていると、日本人は見えない差別構造をつくるのが本当に好きなんだなと痛感することがあります。「チュー妻」という言葉をご存知でしょうか。駐在員の妻たちという意味です。ロンドンの高級百貨店ハロッズでの買い物に飽きたらず、日帰りで国際列車ユーロスターに乗ってパリまで出かけて、買い物やおしゃべりを楽しんで帰ってくるそうです。

駐在員の妻というだけで、まるで大名の奥方です。海外の邦人企業には駐在員の下にローカル採用の日本人スタッフがいて、現地のスタッフがいます。国内では「正規」と「非正規」という階級、海外には「駐在員」「ローカル採用の日本人スタッフ」「現地スタッフ」という壁が築かれています。これで組織の士気が上がるでしょうか。

人材アナリティクスのゲームアプリ

ビル・エモット元英誌エコノミスト編集長から話をうかがっていても、日本に大切なのは労働市場の改革だと強調します。早期退職者に限らず、若者や女性の非正規の問題を見ていても、日本の労働市場は本当に硬直化しています。

非正規を増やせば労働市場が活性化すると考えているとしたら、その人は大馬鹿者です。人件費を削れる企業は一時的にハッピーになれるかもしれません。しかし、意に反して非正規で働かされる労働者はハッピーではありません。企業だけがハッピーというマッチングは成功とは言えません。

出生率が落ち、企業が過去最高益なのに消費が思うように伸びないのも、限られたプレーヤーしかハッピーになれていない証拠です。

アルビン・ロス米スタンフォード大教授
アルビン・ロス米スタンフォード大教授

「ワサビ・ウエイター」という人材アナリティクスのアプリがあります。ノーベル経済学賞を受賞したアルビン・ロス米スタンフォード大教授のマッチング理論をゲームにしたアプリです。スシ・レストランが舞台になっています。

求職者がスシ・レストランの店員「ワサビ・ウエイター」になり、お客さんのニーズを見抜いて、お寿司や焼き鳥を出すなどして店をやりくりし、制限時間内にスコアを競うゲームです。ゲームにすることで参加者が本気になるので、1メガバイトのデータを収集するのに15分もかからないそうです。

マッチング理論とは

マッチング理論とゲーミフィケーションを組み合わせたところがアプリのミソです。マッチング理論とは分かりやすく言えば、A夫婦とB夫婦の間で、実はA夫とB妻、B夫とA妻が愛し合っているという不幸な状態が起きないようにするにはどうしたら良いかを数学で解き明かしたものです。

ロス教授は、米国の医学部を卒業した学生が研修医になって働く研修制度の病院選びを手伝ったそうです。既婚の研修医カップルの病院を選ぶ場合、片一方の希望の勤務地を優先させ、もう一方がそれに合わせて病院を探すようにしたところ、どうもうまく行きません。そこで別の勤務地で2人が気に入る病院を見つけた方が幸福度が増すことに気づきました。

腎臓移植のドナー(提供者)とレシピエント(受容者)探しでも、血液型が合わずに夫婦間の腎臓移植が難しい場合、ドナーとレシピエントの類型を集めて、血液型がAのレシピエントとBのドナーの夫婦、BのレシピエントとAのドナーの夫婦をマッチングさせるようにすればうまくいくそうです。

「ワサビ・ウエイター」で収集した求職者のビッグデータと企業の求人のベストマッチを見つけるアルゴリズムをつくり、就職のお手伝いをしようというのが狙いです。

若年失業は社会的な損失だ

米国のロックフェラー財団は、世界的に若者の失業率が高いことは大きな損失だという懸念から、「ワサビ・ウエイター」を開発した米シリコンバレーの人材アナリティクス会社「Knack」と協力して調査に取り組みました。米国では、就業年齢に達してから最初の10年の間に賃金上昇の3分の2が起きています。若年失業は格差の大きな原因になります。

Knack社は「ワサビ・ウエイター」など3つのゲームアプリを使って若者の失業者600人について財務分析、顧客サービスなどの能力を調査したところ、83%が企業で働いている人と同レベルかそれ以上のパフォーマンスを見せたそうです。

経済協力開発機構(OECD)諸国の中でも日本の若年失業率は一番低くなっています。だから若者は幸せかと言えばそうではないようです。

出典:OECDデータより筆者作成
出典:OECDデータより筆者作成

年齢別に見ると、非正規雇用の若年労働者が不本意だと感じている割合が一番多くなっています。

出典:厚生労働省データより筆者作成
出典:厚生労働省データより筆者作成

お寿司もゲームも日本の専売特許だったはずなのに、「ワサビ・ウエイター」はシリコンバレーで開発されたアプリです。悔しくありませんか。なぜ、なんでしょう。

日本の企業が情報工学を学んだ将来有望な若者たちを下請け化して人件費をケチってきたためです。利益の最大化という企業だけの幸福を追い求めた結果です。シリコンバレーではアイデアと才能を持った若者に発表の場が与えられ、開発資金が集まってきます。未来の才能にオカネが集まる仕組みが米国にはあります。

「一億総活躍」掲げる安倍政権

チュー妻たちがパリに日帰りで買い物に出かけられるほど異常にハッピーなのに、非正規として不本意なまま働かされている若者がたくさんいます。過労死したり、うつ病になったりする人もいます。こんな状態で労働生産性を上げろという方が無理なのです。

「一億総活躍」を掲げる安倍政権は是非、「ワサビ・ウエイター」のようなゲームアプリを使ってチュー妻も含め、正規雇用の社員、非正規の若者・女性、シルバー人材を含めた大掛かりな人材アナリティクスを実施することをおすすめします。

その結果に基づいて早期退職者も、非正規の若者、女性も、シルバー人材も、そして採用する企業の側も、働き方をデザインし直す必要があります。早期退職者にはどんな新スキルが必要なのかを見つけ出し、社会人大学院のプログラムを構築してはどうでしょう。早期退職者の失業保険を手厚くするより、社会人大学院の授業料を支援した方が良いような気がします。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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