塩村都議への性差別ヤジ 日本の女性は生ぬるい

「笑ってごまかそうと思った」

18日の都議会で、妊娠・出産・不妊に悩む女性への支援を訴えた女性都議、塩村文夏(あやか)さん(35)に対し、「自分が早く結婚すればいい」「産めないのか」というヤジが飛んだ。こんな差別をいつまでも許していてはいけない。

塩村さんは朝日新聞の取材に次のように語っている。

「私も結婚や妊娠に悩む世代の当事者。あんな風に言われると、悲しい」

――塩村さんもヤジを受けて一瞬笑った

「苦笑です。えっ、なんだよと。笑ってごまかそうと思ったが、別のヤジも飛んできてボディーブローのように効いてきて、ごまかしきれなくなった」

――その場で反論しなかったのはなぜか

「本当に不意打ちだった。返せなかった。不規則発言だと議長にアピールして議事録に残す方法は知らなかった」

都議会という地方自治の片翼をなす公式の場で公然と行われた性差別に対して、被害者である当の女性都議がこの程度の憤りしか表明できないようでは、日本の「性の平等」はとても先進国には追いつけない。

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上のグラフィックは世界経済フォーラムの「グローバル・ジェンダー・ギャップ・インデックス2013」だ。赤くなるほど性差がひどいことを表している。日本の「性の平等」は136カ国中、105位で中東や北アフリカの国々より少しだけマシというレベルなのだ。

英国では怖くてとても口にできない

筆者は英国で暮らすようになって約7年になるが、塩村都議に向けられたような言葉は公の場ではもちろん、友人たちとの私的な集まりでも、家庭の中でも口にできない。そんなことは怖くて、とても口にできない。

2011年5月に英国のクラーク司法相(当時)が英BBC放送のラジオ番組で、強姦犯を含め犯罪者が早く有罪を認めた場合、刑期を半分にする考えを明らかにした際、強姦(レイプ)について「重大なレイプ」とデート中に望まぬセックスを強制される「デート・レイプ」を区別してしまった。

「レイプに重大も、そうでないもない。レイプはレイプよ」と瞬く間に大騒ぎになった。発言後、総勢30人以上、女性記者という女性記者がクラーク司法相を追いかけ回した。そして、その映像が24時間TVニュース番組で延々と流され続けた。

結局、クラーク司法相は「私の見解はすべてのレイプは重大ということだ。もし、それと違った印象を与えてしまったとしたら、それは間違いだ。誤った言葉の使い方だった」という釈明に追い込まれた。

英国の女性記者は男勝り。「男前」というか格好良い人が多くて、惚れ惚れする。筆者はBBC深夜報道番組ニューズナイトのEmily Maitlis、Kirsty Wark両女史の大ファンだ。インタビューの切れ味が鋭くて、容赦がない。

あまりに日本的な反応

性差に徹底的に厳しい文化に日頃からどっぷり漬かっているものだから、性差別ヤジ騒動で注目を集めた塩村都議に「美しすぎる」「美人」という形容詞が冠される日本の風潮には違和感を覚える。また、塩村都議の反論がいかにも日本社会を反映していて、悲しい。

上司や同僚、クラスメート、恋人からの性差別に対して、日本女性は事を荒立てないよう「笑ってごまかす」ことが賢明な処世術になっていないか。おしとやかで賢明、優しすぎて世界的に評価が高い日本女性に、壮絶すぎる英国の女性参政権運動の歴史をお伝えしたい。

すべての英国の女性には「女性参政権運動」のDNA(遺伝子)が刻み込まれているのだと常々思う。

ここまでやるのか、英国の女性参政権運動

大正3年(1914年)の「万朝報」は英国の女性参政権運動を社説で取り上げている。 神戸大学付属図書館のデータから紹介しよう。

「『我は吾が義務を為した。婦人は皆な吾が為せる如く為すべし』。この語は、英国婦人参政権運動者の一人が、王立美術展覧会に掲げられし画を破壊して捉えられたる際叫んだ言葉である」

「『何故に斯かる乱暴を為すか』と院の委員が詰れるに答えて、彼女は更に叫んだ。『婦人が正当に投票権を与えらるれば、乱暴は自から已む』と」

「英国に於る婦人の投票権要求は、今や全く灼熱している、触るる物皆な溶かさずんば已まざる勢いである」

19世紀末の英国では、女性は夫の所有物に過ぎなかった。女性は上位階級の「既婚女性」と下位階級の「売春婦」、そして「余分の」と呼ばれる女性たちに区別された。そんな封建的文化の中で女性参政権運動が生まれてくる。

本間ひろみ著「英国における女性参政権運動の高揚について」から要約して紹介しよう。

女性参政権運動の中心になったのが、マンチェスターの中産家庭に生まれたパンクハースト夫人である。女性参政権支持者の弁護士と結婚した彼女は1889年、女性参政権同盟の設立に関わり、1894年には地方選挙で既婚女性の参政権を認めさせるのに成功する。

その後、女性の社会と政治的な連合(WSPU)を設立。しかし、炎のように燃え盛る女性参政権運動に対し、英国の男社会は氷のように冷淡だった。こうした男女対立が女性参政権運動を先鋭化、過激化させていく。

1905年にはWSPUのメンバーが政府閣僚の演説中に、「女性参政権を与える意思はあるのか」と叫び続け、収監される。07年、機関紙『女性に参政権を』の発行部数が週4万部に達し、デモ行進に25万人が集まるようになった。

08年、WSPUメンバーが下院に突入、パンクハースト夫人を含め24人が逮捕される。09年以降は政府機関の建物や高級店への投石を開始。11年、ようやく「富裕な女性に参政権を与える」という言質を首相から取り付けたものの、反故にされ、女性闘士の怒りは頂点に達する。

翌12年、公立美術館での絵画切り裂き、教会への爆弾投げ入れ、放火、郵便ポストへの薬品注入など一気にエスカレート。投獄されると釈放を勝ち取るためハンガーストライキ闘争に入る女性の鼻や口にはチューブが差し込まれ、強制的に食物が注入された。

13年、競馬の「ダービー」で国王ジョージ5世の所有する馬の鞍をつかもうとした女性運動家が死亡するという事件が起きる。第一次大戦が勃発する14年夏までに投獄された女性参政権運動家の数は実に1千人以上を数えた。

ドイツとの戦争を勝ち抜くためには女性の協力は欠かせず、英国の女性参政権運動は大きな転機を迎える。WSPUは「男は闘いなさい、そして女は闘いなさい」のスローガンを掲げ、戦時労働への貢献を約束。1918年には一定の女性に選挙権が、28年に男女平等の普通選挙権が与えられる。

日本女性は月か、太陽か

前出の「万朝報」は1914年時点でこう指摘している。

「婦人も男と同じく生存競争場裏に立たせられ、男と同じく労働し、男と同じく租税を払わせらるる以上は、当然婦人も選挙権を与えらるべきものでないか。婦人に選挙権を与えることを拒むのは、男の不条理でないか。英国の男子が一概に婦人の要求を排斥し去る態度は、婦人をして全く狂憤せしむるに充分なるものである」

なんと先進的。当時、日本の言論レベルが、西洋に負けない知的水準の高さを誇っていたことをうかがわせる。

翻って現代日本。日本には日本流の女性運動があるのかもしれないが、あまりに微温的すぎる。

「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」(女性解放運動指導者、平塚らいてう1886~1971年)

日本ではまだ女性は「蒼白い顔の月」なのか。さんさんと輝く太陽に戻すためには政党の違いを超えて、なさねばならぬ課題は山積している。その前に、日本女性にはもう少しだけ怖くなっていただきたい。

(おわり)