Yahoo!ニュース

「さまよえる靖国」戦争の真実と和解(12)ロスト・イン・トランスレーション

木村正人在英国際ジャーナリスト

スイスのダボス会議で、現在の日中関係を第一次大戦前夜の英国とドイツにたとえた安倍晋三首相の発言が波紋を広げている。どんなやりとりだったのか。モデレーターの英紙フィナンシャル・タイムズの著名コラムニスト、ギデオン・ラクマン氏はこうブログに記している。

I asked Mr Abe whether a war between China and Japan was “conceivable”.(中国と日本の間の戦争は考えられるか、と私は安倍氏に質問した)

ラクマン氏は「Whether」と聞いているのだから、当然、「No」という答えが返ってくると想定していたのだろう。これは引っ掛け質問でも何でもない。

この質問を安倍首相サイドはどうとらえ、どう答えたのか。日経新聞を引用しよう。

ラクマン氏「日中が武力衝突に発展する可能性はないのか」

安倍首相「今年は第1次世界大戦100年を迎える年だ。当時英独は多くの経済的関係があったにもかかわらず第1次世界大戦に至った歴史的経緯があったことは付言したい。質問のようなことが起きると、日中双方に大きな損失であるのみならず、世界にとって大きな損失になる。このようなことにならないようにしなくてはいけない」

「War」を「武力衝突」と訳すのか、それとも「戦争」と受け止めた方が良いのか。筆者はラクマン氏の記事は注意深くフォローしているので「戦争」以外に思い浮かばなかった。これをラクマン氏がどう聞いたかは、前回のエントリーで書いた通りだが、再掲しよう。(筆者の仮訳)

「中国と日本の緊張は第一次大戦の数年前のドイツと英国のライバル関係に良く似た状況だ」

「現在の中国と日本にも、100年前のドイツと英国と同様、非常に強い貿易関係がある。しかし、第一次大戦ではドイツと英国の貿易関係は大戦勃発を防ぐことはできなかった」

「偶発的な紛争勃発は災厄だ。日本は中国に対して、中国人民解放軍と自衛隊の対話チャンネルを開くよう繰り返し求めている」

英国の名誉毀損訴訟は原告に有利で賠償額も破格に高く、英メディアは発言内容の引用には日本以上に慎重だ。だから、ラクマン氏は会場で同時通訳された内容をそのまま記したとみるのが妥当だろう。

年末の靖国参拝で「やはり安倍首相は歴史修正主義者」という見方が強まっている上、今年は第一次大戦の開戦から100年に当たるため、尖閣が導火線になって日中、引いては米中が戦争になることへの懸念が欧州で強まっている。

安倍首相は英語で「No」と完全否定した上で、日本語でも良いから偶発的な衝突を避けるために日本が行っている努力を説明すべきだったのだろう。

ちなみに英メディアでは、現在の米国を第一次大戦当時の「英国」、日本を「フランス」、中国を「ドイツ」にたとえることが多い。

通訳の仕方、予備知識、文化の差によってパーセプションに違いが出るのは避けられない。片方に先入観があればパーセプションに大きな開きが出るのはなおさらである。

東京を舞台にしたソフィア・コッポラ監督の出世作『ロスト・イン・トランスレーション』で描かれたように、とかくコミュニケーションを取るのは難しい。

ロンドンを拠点に活動する国際政治経済アナリストで「Komatsu Research & Advisory」代表の小松啓一郎氏は著作『暗号名はマジック』で日米開戦前の交渉のパーセプションギャップと日本側暗号文の誤訳問題を取り上げている。

パーセプションギャップの問題を相手の「曲解」「誤解」で済ましてしまうのは良くない。なぜなら、多くの戦争はパーセプションギャップが埋めきれないほど広がったときに起きるからだ。

22日、ロンドンで英国王立統合軍防衛研究所(RUSI)が日本国際問題研究所と一緒に「東シナ海と日中関係」という勉強会を開いた。この中でも、英国と日本の間で大きなパーセプションギャップが出た。

ダボス会議で安倍首相も中国の研究者も、尖閣諸島をめぐる偶発的な衝突に対応するため「自衛隊と中国人民解放軍間の対話チャンネル」の開設を求めた。だが、日中間で危機管理のメカニズムが果たして機能するのかという疑問が今、日本の安全保障専門家の間で頭をもたげている。

米ソ両国は冷戦時代、1961年のベルリン壁建設、ソ連が弾道ミサイルをキューバに配備し始めたために起きた62年秋のキューバ・ミサイル危機など、軍事衝突、核戦争のリスクをぎりぎりのところでコントロールしてきた。

こうしたメカニズムは双方に偶発的な衝突が戦争に発展するのを防ぎたいという共通認識があるとき初めて機能する。中国は尖閣をめぐって日に日に、日本への挑発と圧力を強めている。いつか、衝突を求めて、最後の一線を越えてくるのではないか。

安倍首相にも、日本人にも、そんな共通した潜在的な危機感がある。

一方、米国は、中国とは仲良くやりたいオバマ政権と、中国はやがて米国と国際秩序に挑んでくると危惧するグループが二分する。

欧州はといえば「尖閣は極東の、人が住まない島というより岩礁だ。そんなことにかかわるより、中国と経済関係を強化して成長につなげたい」と考える国が多いのだ。フランス、ドイツは言うに及ばず、来年に総選挙を控える英国の保守党も中国に秋波を送り始めた。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事