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「さまよえる靖国」戦争の真実と和解(10)アベノミクスとナショナリズム

木村正人在英国際ジャーナリスト

日本ウォッチャーの1人、英紙フィナンシャル・タイムズのアジア担当部長デービッド・ピリング記者は新著『Bending Adversity: Japan and the Art of Survival』を出版したのに合わせて、ロンドンで相次いで講演会を行った。

「困難をやわらげる:日本とサバイバル術」と直訳すれば良いのだろうか、明治維新、第二次大戦の敗戦で見事に再生した日本の柔軟性がこれからも発揮されるかについて書かれた本だ。ピリング流「日本論」というべき力作だ。

「失われた20年」について、ピリング氏は「こんな不況なら大歓迎だ」と日本を視察した英下院議員の声を紹介している。2002年以降の日本人1人当たりの実質所得は毎年0.9%上昇、米国や英国よりも速いペースで成長している。失業率も欧米に比べてはるかに低い。

ピリング氏は、少子高齢化が進む日本はいかに先進国が低成長と省エネ、犯罪率の低さ、社会の調和を実現できるかを実践しているように見えるという。

筆者も講演会を聴きにロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に出かけていったが、ピリング氏は「安倍晋三首相の特徴は経済政策アベノミクスとナショナリズムを組み合わせていることだ」と手厳しかった。

米国メディアはどうしても米国中心の見方になるのに対し、英国メディアは国際情勢の風向きを敏感に読み取ろうとしているように感じられる。

安倍首相の靖国神社参拝後、フィナンシャル・タイムズ紙の著名コラムニスト、ギデオン・ラクマン記者が第一次大戦開戦100年に合わせたコラムで「(宥和主義が大戦を招いた)ミュンヘンより(介入が大戦を拡大させた)サラエボに学べ」と書いたのが印象的だった。

尖閣諸島をめぐって日本と中国が突発的に軍事衝突しても「巻き込まれるな」という警鐘だった。

ピリング氏は著書の中で、「中国・韓国政府が自分たちの都合に応じて歴史問題を持ちだしている。日本は過去を直視できないため、中国や韓国にたくさんのカードを与えている」と客観的に指摘している。

講演の中で、ピリング氏は「尖閣は石油やガス、漁業権の利権争いと言われているが、そうではない。帝国列強に蹂躙された中国が歴史の屈辱を晴らすためのシンボルなのだ」と指摘、「個人的な見方だが、尖閣をめぐって日中は衝突する」と予測した。

その上で、日本は米国の「不沈空母」、そして「弟分」という2つの宿命を負わされており、中国はそこをうまくついていると分析する。

日米同盟で日本は「不沈空母」の役割を押し付けられながら、尖閣について米国は領土問題には立ち入らず、「日本の施政権下にあり、(米国による日本防衛義務を定めた)日米安保第5条の適用対象」という立場から踏みだそうとはしない。

日本の施政権が崩されそうになった場合は当たり前のことだが、日本単独で対処しなければならない。中国は、尖閣に巻き込まれたくない米国の本音を見透かしながら危険なゲームを日本に仕掛けているというのがピリング氏の見方だ。

安倍首相が靖国を参拝した理由について、ピリング氏は「明らかに歴史修正主義者の空気がある。靖国参拝は戦後レジームから脱却するというシンボルだ」と言い切った。一時はA級戦犯に問われた祖父の岸信介首相の名誉を安倍首相は回復しようとしているとも語った。

しかし、欧米で「歴史修正主義者」のレッテルをはられるということは「まともには相手にしない」という意味だから気をつけた方がいい。安倍首相や日本のナショナリズムに巻き込まれて米中大戦勃発というのは、欧米にとって避けなければならない最悪シナリオだ。

第一次大戦開戦100年に合わせて今年、こうした見方が増えてくるのを筆者は恐れる。日本のナショナリズムが高まれば高まるほど、欧米では「巻き込まれたくなければ、尖閣にかかわるな」という論調が強まってくるだろう。

安倍首相の再登板が実現したのは、対中関係の緊張がもたらしたナショナリズムとアベノミクスのおかげだ。では、安倍首相の靖国参拝の真意は何だったのか。

(1)心底、戦没者に追悼の意を表したかった

(2)自民党党首選、衆議院選、参議院選で勝利したことに対する日本遺族会へのお礼

(3)東京裁判史観を否定し、戦後レジームからの脱却を目指す象徴的な行為(歴史修正主義)

小泉純一郎首相の靖国参拝は(2)で簡単に説明がついた。日中、日韓関係は冷却化したが、小泉首相は「植民地支配と侵略」を認め、靖国神社に合祀されているA級戦犯を参拝するのではなく、一般の戦没者を参拝していると明言した。中国人民抗日戦争記念館まで訪問している。

郵政民営化を進めた小泉首相の場合、全国特定郵便局長会(当時)など集票マシーンの郵政団体を敵に回してしまったため、日本遺族会の支持を取り付ける必要があった。

これに対し、安倍首相の靖国参拝は説明不足のため、(3)の歴史修正主義ではないことを納得してもらうのが欧米では難しくなってきている。安倍首相を「プラグマティスト」とかばってきた知日派も「もう終わったことだ」と靖国参拝をトーンダウンするように努めている。

中国の劉暁明・駐英大使は英紙への寄稿で、魔法使いの人気映画シリーズ「ハリー・ポッター」の悪役ヴォルデモートを例に引き、「魂を分割した7つの分霊箱(ホークラックス)を破壊され、ヴォルデモートは死んだ。軍国主義が日本のヴォルデモートのようなものなら、靖国神社は、国家精神の最も暗い部分を体現する分霊箱のようなものだ」と安倍首相の靖国参拝を非難した。

しかし、ロンドンの講演会や討論会で中国大使館の外交官や中国メディアは安倍首相の靖国参拝についてまったく質問せず、不思議な沈黙を守っている。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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