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「秘密保護法案」スパイは自由と民主主義を守る?

木村正人在英国際ジャーナリスト

反対強い秘密保護法案

国家機密を漏洩した公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案が今月7日の衆院本会議から審議入りしたが、ネット世論を見ると、この法案への風当たりが相当厳しいことがわかる。

大手検索サイトYahooのリアルタイムで「特定秘密保護法」と入力すると、ソーシャルメディアのTwitterやFacebook上の書き込みを感情分析(ベーター版)した結果が表示される。

17日現在、特定秘密保護法に「反対です」「陰謀」「腹が立つ」など否定的な書き込みは全体の52%、「いいね」「欠かせない」「賛成です」など好意的な書き込みはわずか9%にとどまっている。

「何が秘密なのか秘密?! アブナイ特定秘密保護法」(民主党の辻元清美衆院議員)

「この法案は国民主権と基本的人権を侵害する恐れがある。行政が特定秘密の指定を専管すれば、憲法上国権の最高機関であるはずの国会議員の国政調査権も空洞化する」(内田樹・神戸女学院大学名誉教授)

「公安警察が藤原紀香を監視!? 特定秘密保護法で『警察の監視が広がる』と元警察幹部が懸念」(ジャーナリストで法政大学教授の 水島宏明氏)

これまで開示されていた情報まで「特定秘密」に指定され、「知る権利」が制限されるとの懸念が広がり、国家権力による監視は今のままでも十分という意見が世論の圧倒的多数を占めているようだ。

ちなみに「安倍晋三」をリアルタイムで感情分析すると、「嫌だ」「理不尽」など否定的な書き込みは62%、「欠かせない」など肯定的な書き込みは5%。

参院選で勝利した後、国家色が強い政策を推し進める安倍首相の人気がネット上で急落していることが見て取れる。

ドイツでは米国の盗聴を討議

元米中央情報局(CIA)職員エドワード・スノーデン容疑者の機密漏洩事件をきっかけに、世界中でスパイ国家(秘密国家)をめぐる議論が紛糾している。

スノーデン容疑者の暴露で、米国の情報収集がドイツのメルケル首相の携帯電話を盗聴したり、メキシコやブラジルの大統領の電話や電子メールを傍受したりするなど、世界中に及んでいたことが白日の下にさらされた。

日本では、日露戦争で明石元二郎大佐がロシア革命を支援するなどの工作を行ったことが有名だ。しかし、戦前の特別高等警察に対する強烈なアレルギー反応が残っている。

ドイツでは旧東ドイツ出身者の間に国家保安省(シュタージ)の秘密ファイルが今でも暗い影を落としている。

メルケル首相も旧東ドイツ出身だ。しかも、自分の携帯電話が米国の情報機関に盗聴されていたとあっては、いくらメルケル首相が米国との間で波風を立てたくなくても、放置はできない。

ドイツ議会は18日に米国の盗聴問題について集中討議を行う予定だという。

スノーデン事件の波紋

英紙ガーディアンは6月以降、スノーデン容疑者から入手した機密資料をもとに、米国家安全保障局(NSA)や英政府通信本部(GCHQ)が広範囲にわたって個人情報の収集活動を行っていたことを暴露し続けている。

ガーディアン紙がスクープを連発しているのに対して、他の英メディアは必要最小限の追いかけ記事を掲載しただけ。

「ソーシャルメディアの普及で個人データの量も情報活動の範囲も飛躍的に拡大する中で、個人データに対する情報活動の是非を問い直す必要がある」というガーディアン紙の主張に、他メディアは同調していないように見受けられる。

なぜか?

英国では大衆日曜紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド(廃刊)の組織的盗聴事件をきっかけに報道苦情処理委員会(PCC)の自主規制強化策が議論されている。

情報活動という国家の秘密を突きすぎて、「ヤブ蛇で自主規制が強化されるのは真っ平御免」とばかりに、ガーディアン紙以外のメディアは知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる面は否定できない。

影から出てきたスパイの元締め

人気スパイ映画「007」のジェームズ・ボンドは秘密情報部(MI6)の諜報員という設定だ。旧知のMI6元副長官で現在は英シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)のインクスター氏はことあるごとに「テロを未然に防ぐためには、情報活動は不可欠だ」と強調している。

しかし、盗聴、テレビカメラによる監視、クレジットカードの使用履歴などを活用してテロリストや敵国スパイの活動を監視する情報機関の活動は「チェック・アンド・バランス」と国民の理解なしには成り立たない。

今月7日、そのMI6や保安局(MI5)、政府通信本部(GCHQ)のトップ3人が、英議会の情報・安全保障委員会に出席し、委員たちの質問に答えた。90分間に及んだやりとりは2分遅れでテレビ中継された。

英議会で証言する情報機関トップ3人(BBCホームページより)
英議会で証言する情報機関トップ3人(BBCホームページより)

「2分遅れ」はトップ3人の安全を保障するための措置である。

情報機関のトップ3人がそろって公の場に姿を現すのは前代未聞の出来事だ。例えばMI6の存在は冷戦終結後の1994年まで公式には認められておらず、長官は初代のカミング長官の頭文字を取って「C」と呼ばれる習わしだった。

「スカイフォール」の再現

昨年公開された007映画「スカイフォール」では英議会の公聴会で、英女優ジュディ・デンチ演じるMI6の局長「M」が糾弾されるシーンが出てくる。「M」は「世界には危険な勢力が存在し、その勢力と戦う組織が必要なのだ」と強調する。

情報機関のトップ3人が出席した情報・安全保障委員会では、まさに映画と同じやりとりが繰り返されたのだ。

MI5のパーカー長官「2005年7月のロンドン同時爆破テロ以降、34件のテロが防止された」「われわれの活動が自由と民主主義を損なっているというより、むしろ守っているのだ」

「情報活動に対する20億ポンド(約3230億円)の年間予算は、国家が直面している脅威に対する釣り合いのとれた投資だ」

MI6のサワーズ長官「スノーデン容疑者による漏洩は非常に大きなダメージを与え続けている」「漏洩はわれわれの活動を危険に陥れている」

GCHQのロバン長官「われわれは大多数の人の電話や電子メールを傍受するために時間を費やしているのではない。大多数を対象にした活動は釣り合いを欠き、それは非合法になるだろう。われわれはそんなことはしていない」

「GCHQによる情報活動が成果を上げる秘訣は国家の敵がわれわれの情報収集方法に気づかないようにすることだ」

同じ島国でも日本と正反対の英国

YouGov世論調査から筆者作成
YouGov世論調査から筆者作成

英国では驚くべきことに、スノーデン容疑者の暴露にもかかわらず、情報機関への信頼は揺らいでいない。世論調査会社YouGovが10月10~11日に行った英国内アンケートで「英国の情報機関は一般国民を監視するために過剰な能力を与えられていると思うか?」と質問したところ、42%が「バランスがとれている」と回答。

22%が「能力を強化すべきだ」と答え、「能力は過剰に与えられているので減らすべきだ」と回答したのはわずか19%だった。

米紙ニューヨーク・タイムズは、ガーディアン紙のフリードランド記者による寄稿「なぜ監視は英国民を恐れさせないのか」を掲載したほどだ。

英国は昔からスパイ活動で国難をしのいできた。古くは、エリザベス1世のスパイマスター(スパイ組織のリーダー)として知られるフランシス・ウォルシンガム(1532~1590年)はスペイン無敵艦隊の情報を収集した。

第二次大戦では、ドイツ軍のエニグマ暗号の解読に成功した英国のブレッチリー・パークの政府暗号学校は有名だ。それに加えて、「007」が発する「英国のスパイは正義の味方」という強烈なメッセージ。これも英国の情報活動の一環なのだ。

これに対して、ソ連国家保安委員会(KGB)に寝返ったフィルビー、バージェスら「ケンブリッジ・ファイブ」など英国スパイの裏切り者はごく限られている。

元KGBロンドン支局長で、その後、英国に亡命したゴルジエフスキー氏は筆者に「英国の情報機関の結束は本当に固い」と称賛したほどだ。

2002年9月、当時のブレア首相が「イラクは45分以内に大量破壊兵器を配備可能」という情報機関の報告書を発表し、イラク戦争開戦を正当化したが、非は、情報機関の分析を都合よく脚色したブレア首相にあると英国民は判断しているようだ。

民主主義体制下のスパイ

英国では海外での情報活動を担当するMI6が外相に、国内での防諜活動を受け持つMI5は内相に報告する義務を負っている。

各情報機関のトップは内閣府に属する合同情報委員会のメンバーでもあり、国家安全保障会議(NSC)に参加して首相に情勢を説明する。議会の情報・安全保障委員会の監督を受けている。

英国のスパイは民主主義にしっかり組み込まれ、自由と民主主義を守っているという信頼が根付いている。

世界規模に及んだ米国の監視活動について、元MI6副長官インクスター氏は「米国がスパイなどヒューミントより通信傍受などシギントに頼り過ぎた結果だ」という。

報道の自由は制限されるのか

キャメロン英政権はガーディアン紙にスノーデン容疑者から入手した資料の破棄を命じたり、記事の執筆者であるグリーンワルド氏のパートナーを拘束して所持品を没収したりする強硬手段に出た。

「報道の自由」は「国家の治安」を守るためには制限されてもやむを得ないというわけだ。

ブラジル在住の米国人グリーンワルド氏はガーディアン紙をやめ、イーベイ創業者オミディア氏に2億5000万ドル(250億円)を出資してもらってニュースベンチャーの立ち上げ準備を進めている。

グリーンワルド氏は「正確で重要な情報を伝える」「敵対的な立場で権力をチェックする」ことの2つをジャーナリズムの使命として掲げ、オールド・ジャーナリズムは権力と慣れ合って、情報を押さえていると批判する。

これに対して、オールド・ジャーナリズムの住人たちは「ジャーナリストでもないパートナーに膨大な国家機密を持ち歩かせる行為は許されない。盗難にあったらどうするつもりだったんだ」「結局は彼のジャーナリズムはIT成金の支援なしでは成り立たない」と手厳しい。

スノーデン容疑者の暴露がなければ、米国の監視が世界に対して無制限に行われていた事実は明るみに出ていなかっただろう。しかし、その暴露によって国家と国民の安全を支える情報活動が大きな打撃を被ったこともまた事実なのだ。

国家の安全保障をめぐっては、守らなければならない秘密があるのは当然のことである。しかし、日本では、政治や政治家、国会、行政府に対する国民の信頼がなさすぎる。

特定秘密保護法案が日米同盟の要請でどうしても必要なら、有識者の報告を受けて内閣が立法化を急ぐより、国会で時間をかけて修正し、事実上の議員立法で仕上げなければならないと筆者は考える。

そうでなければ「チェック・アンド・バランス」を最初から欠くことになってしまう。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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