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震災復興も、東京五輪も成功させよう

木村正人在英国際ジャーナリスト

2020年夏季五輪開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会が7日開かれ、第1回投票でマドリード(スペイン)が脱落、東京とイスタンブール(トルコ)の間で決選投票が行われ、東京が選出された。

国内暴動、隣国シリアの緊迫がなければイスラム圏初開催となるイスタンブールが選ばれていた可能性が強い。英紙タイムズは総会の直前、社説でIOC委員に欧州とアジアを結ぶイスタンブールに投票するよう呼びかけたほどだ。

「安心、安全」「アスリートのための大会」をアピールした東京はIOCにとって正直なところ「第2の選択肢」だったと言えるだろう。

フクシマも、東京も

東京電力福島第1原発の汚染水問題について、東京五輪・パラリンピック招致委員会は「安全」「大丈夫」を繰り返したが、海外メディアは「汚染水漏れを制御できていないのではないか」「日本は都合の悪いことは隠蔽する」という厳しい目を向けた。

特に1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故を経験した欧州は原発事故に敏感だ。「安全だ」という言葉を聞かされるほど、「何か隠している」という思いを強めたに違いない。

政府はIOC総会が迫った9月3日、約470億円の国費を投じ政府主導で汚染水問題を解決する方針を表明。国が全額を負担して地下水を遮断する凍土壁を設置、汚染水の浄化装置を増設する計画を明らかにした。

こうした対策は東京五輪招致とは関係なく、もっと早く実施されるべきだった。しかも、「復興の加速と世界への感謝」を掲げてきた東京五輪・パラリンピック招致委員会が「福島から250キロメートル離れている東京は安全」と強調したことから「フクシマを切り離すのか」と被災地の不信感を増幅させた。

この日、最終プレゼンテーションに臨んだ安倍晋三首相は「事態は制御されていることを保証します」と強調し、汚染水対策に政府としてコミットすることを国際社会に表明した。安倍首相の力強い発言に会場から拍手が起きた。

震災復興と東京五輪は同時に成立しない二律背反の関係にあるわけではない。「五輪だけ」は許されない。震災復興も、東京五輪も成功させることが政府にとっても、国民にとっても今日から国際公約になった。

東京五輪には「2020年までに原発事故の克服、震災からの復興を実現する」という強いメッセージが込められた。

不思議な日本の報道

今回の開催都市決定は、安全な選択肢の日本をマドリードが追い上げる展開となった。英BBC放送、英紙タイムズが「日本が最有力」と報じる中、日本メディアは「マドリードがリード」と報じていた。

欧州債務危機の取材で何度かスペインを訪れたことがある。同国の不動産バブルはまだ弾け切ったわけではない。マドリード郊外には建築途中で放置され、砂埃にまみれた住宅があふれている。単一通貨ユーロ圏などに最大1000億ユーロ規模の緊急融資を仰いだ経緯を考えると、マドリードが五輪招致に名乗りを上げたこと自体、筆者には信じられなかった。

マドリード五輪招致は、巨額の借金を返すため、さらに借金を膨らませて新規事業に賭けるのと同じことだ。スペイン国内では債務危機でマドリードとカタルーニャ地方バルセロナの確執がくすぶっている。マドリードが債務を増やせばバルセロナの不満が高まりかねない。

アテネ五輪の開催が政府債務を膨張させたギリシャの教訓が目の前にある。そのギリシャは今の財政再建計画では追いつかず、さらなる救済が必要とみられている。欧州出身のIOC委員にとって今回、マドリードという選択はなかったのではないか。

オリンピック・レガシー

消去法で手中にした東京五輪だが、この好機を生かさない手はない。独立行政法人・日本スポーツ振興センターは、スポーツ振興政策・選手強化策などの情報収集・分析の情報戦略拠点としてロンドン事務所を設置している。

英国のスポーツ振興政策などを調査する専修大・久木留毅教授(木村正人撮影)
英国のスポーツ振興政策などを調査する専修大・久木留毅教授(木村正人撮影)

英国で今年4月からスポーツを取り巻く環境と政策を調査している専修大の久木留毅教授はロンドン事務所の参事を務めている。「ロンドンは情報の宝庫ですよ」という久木留教授から東京五輪に活用できる2012年ロンドン五輪「成功の秘訣」をご教授いただいた。

その秘訣を紹介しよう。

五輪開催準備を進める上で忘れてはならないのが「オリンピック・レガシー(五輪の遺産)」だ。

1996年アトランタ五輪が65億ユーロ、2000年シドニー五輪が56億ユーロかかったのに比べ、アテネ五輪の費用は110億ユーロ(約1兆4300億円)。うち82億ユーロが空港、地下鉄、高速道路、最新の通信施設などインフラ整備にあてられた。

アテネ五輪が終わった後、使われることのない五輪用巨大施設の多くがそのまま放置され、負債は日本円で1兆3千~4千億円(米CNBC)に達した。1976年モントリオール五輪でも市はその後30年間も負債に苦しんだ。

五輪開催に浮かれてハコモノをどんどん建てたものの、その後まったく利用されないというのでは将来の財政破綻リスクを抱え込むのと同じだ。

5億ポンド(約775億円)以上かけて作った8万人収容のロンドン五輪スタジアム は上階の仮設観客席を解体、2万5千人のコンパクトな競技場に生まれ変わる予定だ。16年からサッカーのイングランド・プレミアリーグ、ウェストハムの本拠地として使用される。

先日、ロンドン五輪1周年大会が開催され、男子100メートルで世界記録保持者ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が優勝して会場を沸かせた。15年にラグビーのワールドカップ、17年に世界陸上が開催される。

久木留教授は「エリートスポーツ政策を担うUKスポーツという組織の中にメジャーイベントチームがあります。そのチームが大きなスポーツイベントを招致しています。五輪後に、競技施設というハード、五輪を開催した経験というソフトをフル活用して利益還元を考えています。五輪開催前からオリンピック・レガシーを入念に計画しておく必要があります」と指摘する。

英世論調査機関Ipsos MORIのアンケート(今年7月)では「ロンドン五輪は英国に良い影響をもたらした」という声が84%、その影響が1年後も残っていると回答したのは70%。ロンドン・レガシーはまだ残っている。

2020年東京五輪では15会場は既存施設を使用する。新設する20施設中、11施設は仮設会場で、残り9施設をその後も利用。2施設は計画中だ。

オリンピック・レガシーの考え方を取り入れているが、五輪開催後にどれだけ施設を有効活用できるのかが大きなポイントになる。

スポーツくじ

他の先進国と同様、財政再建に取り組む英国に財政の余裕があるわけではない。同国の文化・メディア・スポーツ省はスポーツ強化・振興費を国庫金と国営宝くじからの分配金でまかなっている。

英国は1996年アトランタ五輪の金メダル1個のどん底からロンドン五輪では同29個に見事な復活を遂げた。復活戦略の原動力となったのが国営宝くじからの分配金だ。

国営宝くじの年間収入の28%に当たる300億ポンド(約4兆6500億円)以上が社会貢献にあてられている。このうち40%が健康・教育・環境・慈善活動、20%がスポーツ、20%が芸術、20%が文化遺産に振り分けられる。

国営宝くじからの分配金は、スポーツ施設の整備、エリートアスリートの養成、国際スポーツイベントの計画、青少年スポーツ振興の費用として使われる。

エリートスポーツ政策

英国のエリートスポーツ政策を担うUK スポーツはアトランタ五輪後の1997年に設立され、約 90 人のスタッフが働く。 国庫や国営宝くじの分配金を成績に応じて各スポーツ競技団体に分配し、エリート選手の強化・育成を行っている。

ロンドン五輪では強化費(2009~13年)として五輪代表に総額2億6400万ポンド(約409億円)。パラリンピック代表に4800万ポンド(約74億円)がつぎ込まれた。良い成績を残せば残すほど手厚い支援を受けられるが、思ったような成績があげられないとジリ貧状態に陥る。

日本の強化費とは文字通り一桁違う金額だ。

UKスポーツ設立後、英国は五輪やパラリンピックで計438個のメダルを獲得した。久木留教授は「マネジメントが非常にうまいんです。どう課題を克服していくか選手と話して目標を設定していく能力があります」と成果主義にとどまらないマネジメントの妙を指摘した。

高速化、高度化、高密度化、高強度化が急速に進む近代スポーツ。UKスポーツ傘下の研究所では宇宙工学や大学と組んで最新の生理学、技術、素材を取り入れている。

2010年バンクーバー冬季五輪の女子スケルトンでエイミー・ウィリアムズ選手が英国選手として30年ぶりの冬季五輪金メダルを獲得。宇宙工学を駆使したソリがウィリアムズ選手に提供された。

「日本ではスポーツ工学、スポーツバイオメカニクスというスポーツの枠組みが残っていますが、英国では垣根を越えて良い物を取り入れています。英国ではそれができる人材が育っているのです」と久木留教授は語る。

「英国の名門オックスフォード大学からは150人ものオリンピアンが出ています。日本の東大から150人ものオリンピアンが出ることを想像できますか。今回の東京五輪招致をきっかけに、スポーツしかできない選手ではなく、いろいろなことに対応できる人材を育てる環境を作っていく必要があります」

ロンドン五輪組織委員会会長を務めたセバスチャン・コー氏は1980年モスクワ五輪、84年ロス五輪で、ともに陸上男子1500メートルで金メダル、800メートルで銀メダルを獲得した。著名アスリートという単なる飾りではなく、有能なマネージャーとしてロンドン五輪を成功に導いた。

久木留教授は「日本にも東京大学で学び、講道館柔道を創始した嘉納治五郎先生のような人物がいました。嘉納先生は日本人初のIOC委員にもなり、柔道を世界中に普及させました。東京五輪を、嘉納先生のような人材を育てる環境をつくっていくきっかけにしなければならないと思います」と話している。(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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