定型のフェミニズム映画にうんざり…なら『You Won’t Be Alone』を見よ!
昔、『転校生』という名作があった。あれは男と女が入れ替わるだけ。ここでは女が女を、女が男を、女が女の子を体験する。しかも殺して食べるという方法で――この設定が天才的である。
フェミニズムをテーマにした映画は、次のステップを踏み出す時期にある。
まず、男の悪さが暴かれて、次に、女が復讐を果たし、今はもう、男は脇役か不要、という作品の時代になっている。その次は何か?
第1期:男による被害を告発する映画
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第2期:男を見返したり復讐する映画
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第3期:男不要。女が主導・主役の映画
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第4期:???
私は「男と女の理解が進み、それぞれの居場所を探す」ではないか、と思っている。男と女が敵対し、女が勝利する。その次に女がやるのは「女社会を築いて男を虐げる」という、男の愚を繰り返さないはず、と勝手に期待しているのだ。
■体の中に入れば文字通り、「身に沁みる」
エンターテイメントという観点からして、社会的な意義があるからといって、定型的な女の物語ばかりを見せられるのは飽きる。次に女が提案するものをぜひ見たい。オリジナリティと独創性あるフェミニズム作品をぜひ見たい。
そこで『You Won’t Be Alone』である。
男が女を、女が男を理解するのに、体が入れ替わることに勝る方法はない、と思う。
体が入れ替わることで、生物学的な性差が体験できる。
頭で理解することと、体で実際に感じることの間には雲泥の差がある。例えば、出産の痛みは男には理解できない。が、女の体の中に入ることができればはっきり確実に当事者意識を持ってわかる。
さらに、体が入れ替わることで、性がもたらす社会的な差も体験できる。女として扱われるとはどんなことか? 女にはどんな役割が与えられており、何が期待されているか? それがどこまで正当で、どこからが不当なのか?
つまり、中身が男のままで体が女になると、生物学的に社会的に女とは何か?が身に沁みてわかる。逆も同じ。中身が女のままで体が男になると、生物学的に社会的に男というものが身に沁みてわかる。
■魔女の目で知る、男とは?女とは?人間とは?
『You Won’t Be Alone』の主人公は女である。魔女なのだが、女である。男ではない。これが物語のテーマに大きく関わっている。
魔女という女が、人間の女になったり男になったり女の子になったりする。そうして、大人の女を知り、大人の男を知り、女の子を知る。
男と女の入れ替わりものの古典である『転校生』の主人公たちは、思春期の男と女の違いを知るに過ぎなかったが、『You Won’t Be Alone』の主人公はもっといろいろ体験できる。その体験を通じて、男とは何か、女とは何か、女の子とは何か、そして結局、人間とは何か、を我われは考えさせられることになる。
もう一つ、この作品の素晴らしさは魔女が魔女であり続けたことだ。
魔女だから人間に共感したり感化されたりしない。“人間の男に恋する魔女”なんて、お決まりの結末は用意されていない。
この作品はファンタジーであるだけではなく、血も臓物もふんだんに出てくるスプラッターでもある。魔女なんだから人間なんて迷わず殺す。指先一本で殺す。殺しても葛藤や後悔などない。
が、そんな魔女がいとおしい。ヒューマニズムとは正反対の魔女にヒューマニズムを感じさせられるお話だ。
日本公開は未定だが、チャンスがあればぜひ見てほしい。
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※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭