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日本のベッキーとは違う。スプラッター映画『Becky』の主人公の壊れ具合

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
“ホーム・アローン”の彼女は次々と死の罠を用意する。狂気を感じさせる演技と演出だ

シッチェス・ファンタスティック映画祭に集まるお客さんは血が大好きだ。

同じスペインのサン・セバスティアン映画祭とは客層が全然違う。あちらは上品なおじさん、おばさんもいるが、こちらは長髪、ピアス、刺青、ヘビーメタルや日本のアニメの黒Tシャツ姿の若者が多い。

血しぶきがどのくらい上がるかを楽しみに来ているお客もたくさんいて、残酷描写に遠慮がない園子温監督や三池崇史監督が人気があるわけだ。園子温監督の『リアル鬼ごっこ』で、数十人の女子高生たちの首が飛び血がビューと飛び出るシーンで上がった、シッチェスの人々の拍手喝采が忘れられない。

今年のシッチェスで見た『Becky』もスプラッターである。映画評では「スリラー」とか「アクション」とか呼ばれているが、そんな要素はほとんどない。ドキドキも怖い想いもしない。謎解きもない。画面から目を背けたくなるシーンはあるけど。ちなみに、主人公は13歳だが、「ロリータ」の要素もまったくない。

ストーリーはあの『ホーム・アローン』そのもの。ただ、罠で泥棒が滑って転んだりするのではなく、大量の血を流し激しく痛がり死ぬだけだ。

■続編ができるなら主人公は殺人鬼Becky

この残酷描写を正当化し主人公をヒロイン化するために、いろいろ工夫はしている。

敵はネオナチの殺人鬼。どうしようもない人間で、そんな奴、思う存分殺しても誰の良心も痛まない。迎え撃つ主人公は13歳で、思春期と反抗期に入ろうとする難しい年代である。母の死後、喪に服すことなくすぐに恋人を作った父親にも腹を立てている。結婚間近の父の子連れの恋人はすでに母親気取りである――。

そんなこんなで溜まっているBeckyの怒りが、正当防衛が許される状況で、思う存分殺してもよいネオナチに向かって噴出する、というわけだ。

だが、血を血で洗う惨劇は、こうした事情だけで正当化できるレベルにはない。見終わって、「Becky、頑張ったね」とは言えない。

Becky、全然、他人と共感している様子を見せない。ネオナチはもちろん、父とも、彼の恋人とも、その連れ子とも。殺されても殺しても、悲しんだり後悔したりする様子はない。怒りが他のすべての感情を押し殺してしまうかのようだ。

殺しの後のその叫びはやばい、その表情はやばい。

Becky、君、死の罠に落とすのを楽しんでない?

もし『Becky2』ができるとしたら、殺人鬼の彼女で続編が作れそうだ。

13歳らしくリスの帽子姿で、武器はおもちゃだが、殺傷力抜群
13歳らしくリスの帽子姿で、武器はおもちゃだが、殺傷力抜群

『Becky』の公式予告はこちら

■Beckyと『初恋』のベッキーの違い

Becky繋がりで、日本のベッキーのことも書いておこう。

三池崇史監督の『初恋』を見た。この作品のベッキーの演技、「怪演」と呼ばれているようだが、そんなに壊れているようには見えなかった。

これは演出とも関係するのだろうけど、女をヤク漬けにして売春させるヤクザの情婦であれば、もっと凄み、人であることを捨てた鬼畜の部分があってもよかった。どんなに悪い言葉を使っても、叫んでも、ボロボロの格好をしても、いつもの良い人ベッキーに見えてしまうのだ。

これはモニカ役の女優も同じ。あんなに悲惨な境遇を生きてきた、ヤク中の女には見えない。表情、身振り、考え方、佇まいが、どちらかと言えば裕福な生活をしてきた普通の娘さんなのだ。

凄みを出させるには、少し“汚す”ことも必要ではないか。モニカを虐待するシーンを入れるとか、精神的なバランスが崩れていると感じさせるシーンを入れるとか。

ベッキーがBecky並みであればよかった。モニカの初々しさはまさに初恋なわけなのだけど。

※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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