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映画『ジョーカー』、日本語吹き替え版は無くともスペイン語版はあり。それも、常識外のやつが!

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
スペイン語圏を『ジョーカー』は無視できない(写真はチリで現在進行中の反政府運動)(写真:ロイター/アフロ)

この記事を書くにあたって調べたが、映画『ジョーカー』の日本語吹き替え版は無いんですね。ちょっとびっくりである。というのも、スペイン語版はやたら力を入れて作られていたからだ。

なんと、吹き替えはセリフだけでなく、書き文字にも及んでいた。アーサーの日記も、母の手紙も、デモ隊のプラカードまでスペイン語だったのだ!

吹き替えだけでなく「書き替え」もあり!

デジタル的処理なのか、別撮りした結果なのかは鑑賞時にはわからなかった。

今回これを書く前に、英語版スペイン語版の予告編を見比べていてデジタル処理であることがわかった。あの有名なフレーズ、「WE ARE ALL CLOWNS」(我われはみんなピエロだ)は、スペイン語バージョンでは、「TODOS SOMOS PAYASOS」となっているのだが、言語以外はまったく同一であることがわかる(ともに1分18秒のあたり)。

とはいえ、すべてをデジタル処理するのは不可能だ。

注意して見ていたが、アーサーの手からスペイン語が綴られる映像は無かったと思うし、鏡に殴り書きされたやはり有名なフレーズ「PUT ON A HAPPY FACE」は加工しようがないので英語のまま。デモ隊のプラカードもスペイン語なのは目立つところだけで、その他大勢は英語のまま、となっていた。

よって、“ジョーカーはヒスパニック系の貧しい移民でバイリンガルなのかと思った”という笑い話のような反応もこちらでは起こっている。

この二言語混在による混乱がスペイン語版のマイナス点。混乱を避けるためにアーサーが日記を書くカットなどが削られているとしたら、それもマイナス。プラス点としては、ジョーカーの内面が綴られる日記をスペイン語で読めたのは、ストーリーの進行を邪魔せず良かった。これが字幕なら追い切れなかったろう。

吹き替え大国スペインのレベルは高い

もちろん、ホアキン・フェニックスの声の演技が消されたのは明らかなマイナスなのだが、スペインの吹き替えレベルは高いので、それは最小限に収まっていた、と期待したい。

オリジナルバージョンでの上映がほとんどないこの国では、声優がプロとして尊重されており、例えば人気タレントによる吹き替えなんて馬鹿げたことは聞いたことがない。今回もホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロについては、聞き慣れたいつもの声優が担当していた。

もっとも、どんなに声優が上手くてもオリジナルとは違う。そこは間違いなく、マイナスであることも間違いない。

だが、ホアキン・フェニックスの演技を損なうことを恐れて日本語吹き替え版を作らなかったという噂すらあるほど、この作品の芸術性を尊重したワーナー・ブラザースが、スペイン語版に関しては書き替えまで行ったのは、マイナスを補うプラスがあったからだろう。

それが、世界人口の約7.6%、5億7700万人を超えるスペイン語話者へのすり寄りであったことは間違いない。

ついでに言えば、独立問題を抱え『ジョーカー』さながらの暴動が起きているスペインを含め、スペイン語圏の国はほぼ政情不安でデモやストが頻発しており、そもそもジョーカーに感情移入しやすいお国柄、という“メリット”もある(そのせいか、スペインの一部の上映館では、ジョーカーの扮装をして鑑賞することを禁止した過剰反応もあった)。

吹き替えで“喜劇”になった作品例

音とイントネーションがコミカルなスペイン語はコメディに向いている、と思う。例えば、ウディ・アレンの作品は、オリジナルバージョンよりもスペイン語吹き替え版の方が笑えるくらいだ。

もっとも、吹き替えによって期せずして喜劇になってしまった作品もある。

例えば『シックス・センス』のブルース・ウィリスがテープ中の奇妙な声に気が付き、いろいろ調べて「俺は死にたくない」というメッセージだと判明するシーン。あれ、スペイン語ペラペラの主人公は辞書すら引く必要はない。だって、あのメッセージ(YO NO QUIERO MORIR)はスペイン語だったのだから。

また、『ターミネーター2』ではアーノルド・シュワルツェネッガーが武器調達先のメキシコ人に「アスタ・ラ・ビスタ、ベイビー!」(あばよ!)という決め台詞を学ぶのだが、最初からスペイン語ペラペラの主人公でこれはおかしい、ということで、吹き替え版ではなんと「サヨナラ、ベイビー!」に変わっていた。英語話者にとってのスペイン語と同じくらい、スペイン語話者にとっての日本語はエキゾチックに響く、ということだろう。

あと、『ゴースト・イン・ザ・シェル』でビートたけしにスペイン語をしゃべらせたのはいいが、スペイン人声優による肝心の日本語が滅茶苦茶で、字幕を読まないと理解不能ということもあった。

話がそれた。

デジタル技術の進歩で吹き替えならず書き替えも可能になったことを、今回の『ジョーカー』スペイン語版は教えてくれた。このワーナー・ブラザースのチャレンジに追随する者が現れるのかに注目したい。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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