「映画祭」と聞くと有名スターが練り歩くレッドカーペットを想像する人が多いだろう。サン・セバスティアンにも立派なのがある。メイン会場クルサールを横断するように数十メートルほど。いつも大勢のファンや観光客がカメラを持って入り待ち・出待ちしている。

前にも書いたように、この人ごみが上映会場へ遅刻しないで行くのに大きな障害なのだが、せっかくの映画祭、スターに会わないと嘘だろうと、27日夜モニカ・ベルッチのドノスティア賞授賞式を見に行った。過去の受賞者はウディ・アレン、ロバート・デ・ニーロ、オリバー・ストーン、カトリーヌ・ドヌーブ、デニス・ホッパー、リチャード・ギアなど多様で、言葉は悪いが”来てくれる有名人にあげた”という印象が強い。要は功労賞的な性格のもので、真の狙いは、映画祭のゴージャスさをアピールするものなのだ。

で、ゴージャスさ「だけ」が売り物のセレモニーであった。

美しいモニカ・ベルッチは「この賞をもらえてうれしいです」とか一言だけコメントを発し、名誉審査委員長のジョン・マルコビッチとともにカメラの方へ微笑み終わると5分で退場。例えば『ツイン・ピークス』でのエピソードを聞くなら、26日午後の記者会見の方に出るべきであった。もっとも、会見はダーレン・アロノフスキー監督の『マザー!』上映と重なっていた。これが凄い作品だったので、モニカ・ベルッチの話を聞けなくてもまったく後悔していない。

まず26日に見た映画から。

『FROM WHERE WE'VE FALLEN』は見直す

14本目『FROM WHERE WE'VE FALLEN』(上映おすすめ度?)

メモ取りに夢中になっていたせいか、字幕読みに追われていたせいか、謎解きの鍵となる重要な一瞬のシーンを見逃したことで、物語が十分理解できず。これは完全に私のミスでWang Feifei監督のせいではない。一緒に見たアジア映画の評論家は高く評価していたことを付け加えておく。公開されればもう一度お金を払って見に行きます。

15本目『MARROWBONE』(上映おすすめ度4)

ドラマ中心のこの映画祭では珍しいホラー。子供だけの童話的な生活はやはり童話であり、その裏には恐ろしい真実が……。伏線の散りばめ方、クライマックスへ向けての加速具合、サプライズも良い。だが心理ホラーから逸脱するラストは余計だった。

16本目『MORIR』(上映おすすめ度2)

スペイン語の題名を訳すと「死ぬ」あるいは「死にゆく」となる。ネタバレが嫌なので作品紹介には具体的な記述を避けてきたが、題名が題名なので、死に至るプロセスを描いたもの、とは言ってもいいだろう。ラストをハッピーエンドだと思うか、悲劇だと思うかでこの作品の捉え方は異なる。ハッピーエンドだと思う私は、だからこそ苦しみの描き方が足りない、という不満を持った。

ハネケとアロノフスキー作は超おすすめ

モニカ・ベルッチのせいで夜の上映に行けなかった27日も3本のみ。満点の5点が2本と濃かった。

17本目『HAPPY END』(上映おすすめ度5)

ミヒャエル・ハネケ監督の描く人間関係の空虚さ。充実するコミュニケーションツールが家族の絆を強くすることに何の役にも立っていない。舞台に資産家一家を選んだのは、資産という”絆”で結び付いていることで空虚さがより際立つからか。使用人の子供にお見舞いを渡すシーンのイサベル・ユペールの演技と演出が鋭い。笑えて怖い。

18本目『THE SOWER』(上映おすすめ度4)

女性にとって戦争とは、戦いではなく男性の不在である、という視点は、この間見たばかりのソフィア・コッポラ監督のリメイク作『白い肌の異常な夜』と同じ。こちらはサスペンスではなくドラマ。異性の目を気にして村が活気づき、嫉妬してコミュニティが壊れる。男って必要悪なのだろうか?

19本目『マザー!』(上映おすすめ度5)

ダーレン・アロノフスキー監督が選んだテーマはまたもやアーチストの「業」である。芸術のためには何でも犠牲にする。それが自然であり当然である。この作品や『ブラック・スワン』を見ると、芸術の才に恵まれなくて本当に良かったと安堵する。酷評されているようだが、それは共感できない健全な人が多い証拠なので良いことだと思う。そんなことを気にせず絶対に見るべき。