「1%の可能性を信じて…」東京五輪延期で引退撤回した“北島2世”山口観弘の胸中
「まだやめられない」
2012年に競泳男子200メートル平泳ぎで世界新記録を出し、"北島2世"とも称された山口観弘(25)。
18歳で世界記録保持者となってからは記録が伸び悩み、憧れのオリンピック(五輪)に出場できないまま選手として年齢的にも限界に近づきつつあった。
4月の東京五輪代表選考会に最後のチャンスを賭け、今秋にも引退する意向を示していたが、新型コロナウイルスの影響で東京五輪が1年延期に。
引退を撤回して、来年4月にずれ込んだ代表選考会に挑むか否か――。悩んだ末に選んだのは、現役続行の道だった。"元世界記録保持者"の胸中に迫った。(4月23日に電話インタビューを実施)
「入水した瞬間に世界記録出たな」
2012年9月の岐阜国体、男子200メートル平泳ぎ。自信に満ちた怖いもの知らずの18歳には、世界新記録の光景がはっきりと見えていた。
「(世界)記録を出せる自信はありました。あの時は入水した瞬間に、あ、これは世界記録出たなと」
きっぱりとそう言ってのけるほど、山口は心身ともに充実していた。当時の世界記録は同年のロンドン五輪でダニエル・ギュルタ(ハンガリー)が出した2分7秒28。山口の自信には裏付けとなる根拠があった。
「時差ボケで出た大会でも、疲れもたまっているなかで世界記録に迫る2分7秒台が出た。疲れを抜いて一発に賭ければ、絶対に出る」
予感は的中し、2分7秒01をたたき出して世界新記録を打ち立てた。一気にスポットライトを浴びた。
日本人としては戦後初となる高校生での快挙。周囲の見る目はがらりと変わった。平泳ぎで五輪2大会連続金メダルの北島康介がいたこともあり、何かあるたびに比較対象となった。
“北島2世” 、“後継者”の言葉が独り歩きした。
「注目されるのはとてもうれしかった。僕は北島さんのことをすごく尊敬しているので、嫌な気分はなかったです。そう言われるからには、しっかりと結果を残さないといけないと思っていました。自分の性格からして、周囲の評価はあまり気にしないので、プレッシャーはなかったですね。ただ、当時はそっとしておいてほしいなというときもありました(笑)」
一人取り残された世界記録保持者
世界記録保持者に待っていたのは苦悩の日々だった。山口は高校卒業後に東洋大学に進学したが、結果がなかなかついてこなかった。
「練習はすごく頑張っていたつもりですけど、やっぱり高校から大学になったときに、体が追いつかなくなったというのはあります。練習量でいうと1週間の距離が4~5倍ぐらい増え、トレーニング時間も高校のときよりも3倍ぐらい増えました」
練習量が増え、体は悲鳴をあげた。肩は4つの合併症があり、今も悩みの種だという。
「思いどおりに動かないので、今はそれをどうやって動かしていくかという状態です。水泳のために生活の順番を考えるようになったときに痛めてしまって、僕としては、それが合わなかった。“自分の生活の中に水泳がある”というスタイルが合っているのだと思います。生活を水泳中心に考え始めると、いろいろと疲れたり、時間に追われるような感じがあったので、合わなかったのかなと」
実際、山口は2012年に世界記録を出して以降、思うような結果を残せておらず、むしろタイムをみるみる落としていった。2013年の世界選手権は表彰台にすら上がれなかった。
五輪という最高峰の舞台を目指していたが、2016年のリオデジャネイロ五輪では代表選考会でまさかの予選敗退。どん底を味わった。“黄金世代”と呼ばれた同世代の瀬戸大也と萩野公介は五輪の切符を勝ち取り、メダリストとなって帰国した。
周囲から見れば、一人取り残された孤独感があったのではないかとも思うが、山口はこう断言した。
「自分自身がどうなるかが一番大事であって、周囲のことは気にしません。それに種目も違います。たとえ種目が同じでも、自分はそうとらえません」
「世界新を出した当時の体に戻りたい」
やがて後輩たちが力をつけ、2017年1月に渡辺一平に200メートル平泳ぎの世界記録を破られる(2分6秒67)。ちなみに現在の世界記録は2019年世界選手権でアントン・チュプコフ(ロシア)が出した2分6秒12。
山口はというと、2019年の日本選手権では、2分14秒36とかつての泳ぎには程遠く、今は少しでもタイムを縮める努力を続けている。 “自己ベスト”も8年前に世界新を出したときのままだという。
少しの沈黙のあと、山口はこう切り出した。
「(世界新を出した)当時の体に戻りたいと思うこともあります。あの時の映像は今もよく見ます。世界新を出した試合だけでなくて、そのあとの良くない泳ぎも見ます。何ができて、何ができていないのかがよくわかりますから」
心技体がそろった泳ぎの感覚は、今も鮮明に記憶に残っている。体だけでも昔の自分に戻れるなら――。そう思えば思うほど、五輪への想いは強くなった。
東京五輪の延期と急転直下の選手権中止に呆然
東京五輪の1年延期が発表された翌日の3月25日、日本競泳界にも激震が走った。
日本水泳連盟が五輪代表選考会をかねた日本選手権の中止を発表したのだ。その2時間前には無観客での開催が決まっていただけに、“振り回された”選手の立場としての心境は複雑だったに違いない。
山口はこの発表を東京の自宅で聞いた。この時ばかりは呆然とするしかなかった。
「最初は無観客と発表していたので、『ああ、やるんだ』と思っていました。でも、正直、この判断はどうなんだろうと思いながらも、やるんだったら準備しないといけないと、気持ちを入れ直しました。そうしたら、速報ニュースで中止を知り、『この2時間は何だったんだろう』って。アスリートはみんな困っていると思うんですよ。やっぱり五輪が僕たちの見せ場というか…。普通の人でいえば、仕事場みたいなもの。それがあるのかないのか、そこの結果次第では自分の人生が変わってきますから」
しかし、新型コロナウイルスの収束が見えないなか、このまま活動を続けていいのか、不安がないわけではない。
今秋の鹿児島国体で引退を考えたが…
4月14日、日本水泳連盟は中止になった日本選手権を今年12月ごろに開催すると発表した。また、東京五輪の代表選考会は2021年4月初旬になることも決まった。
同時に山口も大きな決断を迫られていた。秋の国体を最後に引退するのか、それとも来年の選考会に向けて現役を続けるのか――。
山口は一度引退表明した理由についてこう話す。
「2020年は東京五輪と鹿児島国体があったので、そこに賭けようという思いがありました。鹿児島は地元なので、引退するなら一番いいかなと。もちろん、結果が出ていれば何歳までも続けていいと思いますが、僕の場合は結果が出ていなかったので、競技人生に一つ、区切りをつけたかった」
ただ五輪へのスタート台に立つことなく、このまま引退してもいいのか、悩みに悩んだ。
「この先、どうしていけばいいのか本当に悩みました。さらに1年伸びた五輪まで、所属がない状況で続けるのは厳しい。でも、現役中に自国で五輪が開催されるのは、なかなかないこと。そこに出るのはアスリートの夢です。だからこそ悩みました。僕らの世代には、東京五輪でなければ、4年前にやめている選手も多い。自分の国で開催される五輪は、他国とは価値が違ってくるのかなと思います」
そんな矢先、山口に朗報が届いた。昨秋まで所属していたイトマンとは契約が切れていたが、新たなポジションが見つかりそうだという。五輪に賭ける思いに火がついた。
「どうにか現役を続けられる環境が整いそうです。なので、来年4月の代表選考会に向けて、もう一度、体を作り直していかないといけません。五輪のチャンスがあるなら最後まで悔いなくやりきりたいです」
「今は貯金を切り崩しながらの生活」
山口は2018年に結婚し、昨年9月には子どもも生まれた。将来のことも考えるようになった。だが、今も妻と子どもを都内に残し、一人鹿児島で練習を続けている。
「僕が鹿児島に戻ったのが去年の10月。子どもが生まれて10日くらいだったので、連れていくわけにもいかず……。僕が単身赴任という形です。毎日、テレビ電話や動画を送ってくれるのですが、家族に会えないのはすごく寂しいですね。子どもが1歳半くらいまでは一緒に住めない可能性はあります」
寂しい思いをしながらも、大黒柱としては今後の生活も支えていかなければならない。所属を離れた今は金銭面でも苦労している。
「今夏に五輪が開催されれば、秋の国体に出て引退し、そこからちゃんと仕事をしようと考えていました。でも、収入がないなかで、五輪が延期になったので、正直、かなりお金の心配はあります。海外での合宿場所や期間によって変わりますが、だいたい1カ月で70~80万円くらいはかかります。今は貯金を切り崩しながらの生活ですね」
苦しい窮状をのぞかせるも、決して焦ってはいない。むしろ「アスリートとしての考え方や生き方は、変わっていませんよ」と前向きだ。
「妻からはわがままを許してもらっている部分はあります。納得のいくように、最後までやってほしいと。そういう考え方にすごく救われています」
だが、今の実力のままでは、現実的に「五輪出場は厳しい」ことも分かっている。「それでも…」と最後に言葉を続けた。
「やっぱり夢の舞台ですし、1回は出てみてどういうものなのかを体験したい。そこが僕たちアスリートのゴールだと思うので、そこに向けて頑張っていきたい。それに何があるのかわからないのがスポーツです。その可能性を1%でも上げられるように、取り組んできましたから。自分を信じて突き進みたい」
“元世界記録保持者”に失うものは何もない。来年4月の代表選考会のラストチャンスに競泳人生のすべてをぶつける。
東京五輪という夢舞台のゴールに向かって――。
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