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あいちトリエンナーレとコスプレサミットが示すコントラスト|「表現の不自由展」最終日を見る

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
筆者撮影

あいちトリエンナーレの展示「表現の不自由展・その後」を、結果的に最終日となった3日朝に見た。

会場の愛知芸術文化センター(名古屋・栄)では、展示室前に入場待ちの行列が伸び、同日夕にはその数は400人ほどにもなったという。

「表現の自由」の現在地は、どうなっているのか?

企画への反発を含めて距離感はそれぞれでも、その疑問を確かめようとした人たちが、それだけの数に上ったということだろう。

この展示室を4日以降閉鎖する、という判断が3日夕の主催者側記者会見で示された。その直接的な理由として挙げられたのは、開催会場へのテロ行為を思わせる脅迫を含む、大量の抗議だ。

脅迫などの犯罪の疑いがある行為については、警察の捜査と摘発を待つことになる。

表現が脅迫や政治家を含む多数の抗議に直面する、緊迫した現場。その一方で、まったく同じ会場の中では、表現を心底楽しむ人々のイベントも開かれていた。

今年で17回目を迎える世界コスプレサミットだ。これまでで最大、40カ国のチームが参加し、動員規模は30万人近くに上るという。

ほんの数十メートルを隔てて同時進行していたこの二つのイベントのコントラストもまた、「表現の自由」の現在地だ。

●「表現の不自由展」の最終日

表現の不自由展・その後」は、あいちトリエンナーレのうち、愛知芸術文化センター(名古屋・栄)内の愛知県美術館を主会場とする「国際現代美術展」の展示の一つ。

筆者撮影
筆者撮影

私が「不自由展」の展示室に入ったのは開場から30分後の午前10時半すぎ。

通路のようなエリアを抜けると、幅11メートル、奥行き8メートルほどの展示スペースが広がる。

その真正面に、焦点となった「平和の少女像」(キム・ソギョン/キム・ウンソン)が展示されていた。

手前には「時代(とき)の肖像ー絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳ー」(中垣克久 )、その奥には「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」(白川昌生)という大型の展示作品。

さらに左側の壁には8枚のポートレート「重重―中国に残された朝鮮人日本軍『慰安婦』の女性たち」(安世鴻)、そして写真「ラッピング電車の第五号案『ターザン』」とポスター「暗黒舞踏派ガルメラ商会」(いずれも横尾忠則)が掛かる。

「少女像」の裏では、映像作品「気合い100連発 」「耐え難き気合い100連発」(Chim↑Pom)が上映されていた。

まだこの時の入場者はまばらで、スタッフ、メディア関係者などが目につく、内覧会的な雰囲気だった。

「少女像」は、大小2つ。ソウルの日本大使館前に設置されている像のレプリカということだが、個人的な感想としては、だいぶ印象が違った。

報道などで繰り返し目にする大使館前の「少女像」はブロンズ製のため、無機的で硬質な印象があるのに対し、展示されていた「少女像」のうち等身大のものは繊維強化プラスチックにアクリルで着色されており、まったく別物のように見えた。

ブロンズ製のものも展示されていたが、そちらはミニチュアのため、等身大の像のようなインパクトは感じなかった。

そして、徐々に入場者の人数が増えてくると、「少女像」の隣の空いた椅子に座って記念写真を撮る人たちも出てくる。だが、私が目にした限りでは、トラブルらしいトラブルはなかった。

むしろ強い調子の声が聞こえてきたのは、展示室入口からの通路のようなエリアに展示されていたテレビ画面の周辺からだった。

ここでは、映像作品「遠近を抱えてPartII」(大浦信行)が上映されており、作家の作品が燃える場面に、昭和天皇と見える画像も写っている。

狭いエリアに人だかりができ、その上映に強い調子で抗議する複数の入場者もいた。

だが、展示室内にいる間に目にした緊迫した場面は、その時ぐらいだ。

展示室に40分ほどいて外に出ると、すでに入場待ちの行列ができていた。

50人ほどの列は、すぐに100人ほどになり、「『表現の不自由展・その後』は大変混雑しているため、現在、入場をお待ちしております」との説明書きが出された。

朝日新聞によると、閉館間際には400人ほどの行列になっていた、という。

筆者撮影
筆者撮影

「不自由展」の行列の影響もあったのか、その他の展示スペースは、目立った混雑もなく、とても鑑賞しやすい状況だった。

筆者撮影
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●ハレーションのシナリオ

「表現の不自由展・その後」に展示された作品のそれぞれは、様々な理由から各地の美術館などで展示不許可などの経緯をたどってきたものばかりだ。

2015年に「表現の不自由展」として展示したものに、新たな作品を加えてアップデートしたのが「その後」だという。

これに対するハレーションが、あることが前提となる企画だ。

同センターの40ほどの展示スペースは、チケットセンターがあるメインの入り口の10階と第二会場的な8階に分かれており、「不自由展」の展示室は8階の南東奥、別の展示室を通り抜けた先の角部屋(A23)だ。

筆者撮影
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順路としては、10階の展示を見終わり、8階の半分ほどの作品を鑑賞済みの入場者がたどりつく場所だ。

その意味では、センター内の観客の導線の中で、万が一、中止となった場合でも、他の作品への人の流れの影響は限定的になる――そのように、あらかじめ設計されているような印象もある、”盲腸”のようなロケーションだ。

展示室の入口ではツイッター、インスタグラム、フェイスブックのロゴにかぶせた禁止マークとともに「撮影写真・動画のSNS投稿禁止」と掲示していた。

筆者撮影
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トリエンナーレ全体では、基本的に写真撮影、ソーシャルメディアなどへの投稿は自由だという。だが、「不自由展」に限っては、撮影は自由だが投稿は禁止、とした。

その理由として、「実物を見て判断してほしいという企画趣旨から、会期中の作品や資料の写真・動画の投稿を禁止とします」とある。

これもまた、ハレーションへの設計のようだ。

さらに、「表現の不自由展・その後」の作家、作品などを紹介するウェブサイトは、あいちトリエンナーレとは別のドメインを使って開設されている。ドメイン取得は、トリエンナーレ開催の40日ほど前の、今年6月半ば。

セキュリティ対策なのか、「不自由展」実行委員会としての情報発信手段の確保という意味合いなのかはわからないが、ハレーションをめぐる議論があったことは伺える。

そして今回のハレーションには、日韓関係の緊張の高まりという背景も加わってる。

●想定を超えた事態

開催2日目の8月2日、自らもトリエンナーレの会長代行を務める河村たかし・名古屋市長による「不自由展」の視察があり、「日本国民の心を踏みにじる行為」だとして、会長を務める大村秀章・愛知県知事に対し、展示中止などの申し入れを行っている

菅義偉官房長官も同日の閣議後会見で、「補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と述べていた

ただ、「不自由展」中止決定について3日に開かれた、津田大介・芸術監督による記者会見の報道によると、これらの発言は展示中止の直接的原因ではないようだ。

「抗議が殺到するのは想定していた。電話が来ること、街宣車が来ること、脅迫なども全て想定していた。その中で、現実のリスクが大きいものが出てきた場合は中止もやむを得ないと」

「かなり準備をしたつもりで予想もしてきた。警察や弁護士、警備の専門家にも知見を聞き、かなりやってきたつもり。電話回線の増強、推進室を自動音声システムにするなど、円滑な運営の対策を考えてきたつもりだ。時間と人をかなり使ってやってきたつもりだったが、一言で言えば、想定以上のこと、とりわけ電話の対処は不可能になることを、痛感した」

出典:津田大介氏「電話で文化潰す悪しき事例作ってしまった」(朝日新聞デジタル)

想定を上回る大量の抗議電話と深刻な脅迫によって、中止決定の判断を下したのだという。

ただ、この中止決定については、「一方的な中止決定に対しては、法的対抗手段も検討している」とする「表現の不自由展・その後」実行委員会の委員5人の抗議声明も明らかにされている

●同時進行していた「コスプレサミット」

愛知芸術文化センターと向かい合う大型複合施設、オアシス21。

その間のオープンスペースには、この日朝から思い思いのキャラクターに扮したコスプレイヤーの人たちが目についた。

その人出は、正午をすぎると、同センターの内外を埋め尽くすような規模にまで膨らんでいた。

筆者撮影
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名古屋を中心に開催されていた「世界コスプレサミット2019」の参加者たちだ。

この日正午からは、オアシス21を会場に、大村知事、河村市長も登壇するオープニングステージ。そして同日午後1時からは、トリエンナーレと同じ芸術文化センターにある愛知県芸術劇場の大ホールでワールドコスプレチャンピオンシップが行われていた。

世界40カ国のチームが参加。動員規模は30万人にも上るという。

参加者たちは、それぞれの表現としてのコスプレを、本当に楽しんでいる様子だった。

センター2階のエントランス前には、トリエンナーレの出展作品のひとつ、実物大のドローンの機影をトレースした「ドローン・シャドー002」(ジェームズ・ブライドル)が展示されている。

そのドローンの機影とともに、記念写真を撮るコスプレイヤーの姿も見られた。

筆者撮影
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表現の自由をめぐって緊迫するセンター8階の「不自由展」展示室と、同じセンターの1階から5階までを占める芸術劇場大ホールでのコスプレチャンピオンシップ。

トリエンナーレ会長の大村氏、会長代行の河村氏がコスプレサミットに登壇したように、芸術監督の津田氏も、昨年はコスプレサミットで審査員を務めている。

あいちトリエンナーレの設計の中には、当然、この世界コスプレサミットとの同時開催が念頭にあっただろう。

この日の愛知芸術文化センター周辺は、表現の不自由と表現の楽しみ方、そのいずれもの現在地を同時に刻む風景でもあった。

「不自由展」最終日の入場者は、その両極の風景を、一度に目にしたわけだ。

●日本の現在地

これは、海外から見れば、日本の現在地だ。

すでにロイターAFPは、「脅迫を受け、韓国の”慰安婦”像の展示が中止された」と報じている。

さらに波紋は広がるかもしれない。

津田氏は2日の会見で明らかにしたステートメントで、「不自由展」の趣旨について、改めてこう述べている

日本の公立美術館で、一度は展示されたもののその後撤去された、あるいは展示を拒否された作品の現物を展示し、撤去・拒否された経緯とともに来場者が鑑賞することで、表現の自由を巡る状況に思いを馳せ、議論のきっかけにしたいということが展覧会の趣旨です。

その議論は、まさに広がっているように見える。

※本稿はジャーナリスト、森健氏とのやり取りの中で、多くの論点をいただきました。

(※2019年8月4日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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