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【さいとう・たかをさん死去】見本にしたい先見の明 「ゴルゴ13」のスゴさと“常識”を変えた偉業を解説

河村鳴紘サブカル専門ライター
外務省のイベントに登場したさいとう・たかをさん(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 マンガ家のさいとう・たかをさん(84)が9月24日、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなりました。小学館のビッグコミック編集部と、さいとう・プロダクション公式サイトが発表しました。冥福を祈りつつ、さいとうさんの功績を振り返ってみます。

◇半世紀前に分業制確立

 一つ目は、さいとうさんの訃報を伝えると同時に発表された「ゴルゴ13」の連載続行宣言です。何気なく発表されていますが、作者の訃報と連載続行の発表がセットになったのは、おそらく史上初ではないでしょうか。

 「ゴルゴ13」は、国籍や年齢、名前のすべてが不明の超A級スナイパー(狙撃者)が、さまざまな依頼を受けて遂行する物語で、さいとうさんの代表作の一つです。タイトル名の「ゴルゴ13」は、「デューク東郷」と名乗る主人公のコードネーム。数カ国語を駆使し、部屋の中では壁を背にして立ち、握手はしない……という徹底した警戒をします。クールに仕事を遂行するゴルゴの姿に、憧れを抱いた人も多いのではないでしょうか。

 マンガの執筆は、アイデアを生み出すマンガ家本人へかかる負担がすさまじい上に、アイデアを持つマンガ家の死はそのまま作品の危機となります。しかし分業制を確立した「ゴルゴ13」は、マンガ家が亡くなっても、連載の続行が可能というわけです。

 分業制ゆえに、人物の作画、武器の作画、ストーリーなど分かれています。脚本も外部の力を借りて、名前をクレジットする徹底ぶり。一人の力に頼りませんからネタも豊富になり長期連載はもちろん、複数作品の並行連載もできます。マンガの連載で「当たり前」の休載も、「ゴルゴ13」はコロナ禍までありませんでした。特定の力量に依存しないシステムを構築したという意味では、ビジネスの見本にもなる話で、画期的とも言えます。

 ――ストーリーを考える脚本家、作画する先生と、作業ごとに細かくスタッフを割り振っています。なぜ分業体制を敷くのですか?

 本来ドラマを考える才能、絵を描く才能、構成する才能は別なんですよ。才能を持ち寄ればもっと完成度が高いものができます。最初から分業だと思っていました。

ゴルゴ13、時代の善悪とっ外し 連載50年、川崎で展覧会(2018年10月13日 朝日新聞社 東京夕刊)

 分業制は、取り入れるマンガ家も増えてきましたが、まだまだです。そう考えると、半世紀以上前からプロダクション体制を導入して、軌道に乗せた時代を先取りする眼は「すさまじい」の一言です。

 さいとう・プロダクションができたのは、ゴルゴ13の連載が始まる前の1960年。1974年にはプロダクションから出版事業を分離、リイド社が誕生します(ここも時代の先取り感があります)。同社の社長あいさつにもありますが「ローリスクローリターンの経営」を掲げており、作品の企画から編集、コミックスの出版まで担っています。

 マンガのビジネスは、特定の才能に頼る、一匹狼的な側面があります。しかし、さいとうさんの進めてきたことを考えると、作品のエンタメ性を高いレベルで維持した上で、スタッフの生活を念頭に置いているのは明らかです。マンガ家の才能に加え、ビジネスのセンスも抜群で、ここまで考えた上で実行できる人は、なかなかいないのではないでしょうか。

◇「本物志向」とリアリティー

 もう一つは徹底した「本物志向」です。「ゴルゴ13」の連載初期は、米国と旧ソ連(現ロシア)の冷戦下。旧ソ連に属する情報を手に入れるのは至難でしたが、あらゆるツテを使ってマンガの資料となる写真や情報などを手に入れたことも知られています。メディア顔負けでそれゆえ、作品中の国際情勢の分析は実にリアリティーがありました。ネットなんて存在しない時代の話です。

 「ゴルゴ13」の舞台は世界各国だ。舞台としてかいたことのない国はほとんどない。が、どの作品でもリアルにかかれている。それは、冷戦時代の旧ソ連の設定で、ロシア人が読む新聞をかくために苦労して「プラウダ」を取り寄せたという、さいとう氏の仕事に対する情熱からくるものだ。

 ち密にかくためには資料が欠かせない。さいとうプロには、世界のほとんどの国の写真がある。「海外に出掛ける人に、何でもいいからカメラスケッチをお願いするんです」。さいとうプロ資料室にある、膨大な写真のスクラップブックの量は図書館並み。「かくときに信号機や公衆便所などが盲点になる。生活様式と街のにおいをち密にかくことでマンガのリアリティーも増す」という。もちろん、この資料を保存、整理、そして新しい資料を加えるのもスタッフの大事な仕事だ。

連載 コミック王国(5)ゴルゴ13 リアルな話は特派員の情報提供(1995年10月6日 日刊スポーツ)

 情報の蓄積も、チームの力が発揮されるところで、それは他のマンガ家との差別化でもあります。今でも、リアリティーの追求は健在で、サイバー攻撃や仮想通貨すらもマンガの題材になるほど。長期連載になっても、貪欲に挑戦しているのです。

 「ゴルゴ13」が始まった1960年代は、梶原一騎さんもいて、劇画は人気を博しました。そして「子供のもの」だったマンガは、青年や大人も楽しめる大衆娯楽として定着しました。

 「ゴルゴ13」のコミックス全巻を読まずとも、どこから1話だけ読んでも話の筋が分かり、読者のハードルが低いのが「ゴルゴ13」の魅力です。クールで生き方がぶれない主人公は読者にも分かりやすく、マンガファンでなくても「知っている」という存在でした。

 (2008年当時、連載)40年は読者の支持があったから。正義や悪は時代の都合で変わるが、そういうことに一切振り回されない人物として描いてきたから、いつになっても読んでもらえるのでしょう

さいとう・たかをさん『ゴルゴ13』連載40年 「読者の支持あったから」(2008年12月16日 産経新聞 東京朝刊)

◇メディアの取材にもサービス旺盛

 そして、さいとうさんはメディアの取材に対しても、よく対応していました。読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞の記事検索データベースで「さいとう・たかを」と検索すると770以上の記事がヒットします。

 インタビューも何度も掲載されており、主人公・デューク東郷の名前は、中学時代の恩師・東郷先生から取っており、顔は高倉健さんをモデルにしていることも触れられています。

 もともと絵が好きで、19歳で漫画家になりました。1968年に連載を始めた「ゴルゴ13」の日本名「デューク東郷」は、先生の名前から取りました。読み切り作品では、その辺にある名前を付けたりするのですが、ゴルゴは10回くらい連載するつもりでした。ちゃんとした名前にしようと考えていて、パッと浮かんだのが先生の名前でした。

 キャラクターは俳優の高倉健さんをイメージしたので、先生には似ていません。でも、ゴルゴはどんなに難しい仕事でも、いったん引き受けたら必ず責任を果たす。そこは、責任を持って行動することの大切さを教えてくれた先生との共通点かもしれません。

[先生のコトバ]ありのままで(3)名前… さいとう・たかをさん(2019年12月20日、読売新聞 東京朝刊)

 また最終回についての質問にも、しっかり答えています。そこまでしゃべらなくても……と思うほどのサービスぶりです。ちなみに、さいとうさんにはイベントでお目にかかったことがありますが、気さくな方で、多くの方に愛されていたと思います。このときも「最終回」のネタを口にして、メディアが記事が書きやすいよう配慮してくれたのでしょう。

ーー最終回の内容は?

 細部まで決まり、コマ割り(紙面構成)までできています。だから、今描いているのは、結末までの「挿話」なんです。

[読者の夢インタビュー]さいとう・たかをさん(中)ゴルゴは死なず!?(2009年4月3日 読売新聞 大阪朝刊)

 2018年には、川崎市の川崎市市民ミュージアムで、「連載50周年記念特別展『さいとう・たかを ゴルゴ13』用件を聞こうか……」が開催されていたように、年齢を感じさせず精力的に活動していました。

 さいとうさんの軌跡を追って感じるのは、強いプロ意識です。

 ビジネスで「業界の常識を疑え」というのは、いまでこそ広く知られているセオリーの一つです。そして働き方改革もあって注目されるようになった分業制ですが、当時は否定的に言われたそうです。半世紀も前に、マンガ業界の“常識”をうのみにせず、自分で考え抜いたからこそ、さまざまなことを成し遂げたのではないでしょうか。その姿勢はビジネスマンこそ学ぶべきと思うのです。

 9月29日、加藤勝信官房長官が記者会見で、さいとうさんの死去に弔意を示しました。新型コロナウイルスのワクチン接種で政府広報に協力したためですね。多くのマンガ家も弔意を示したように、改めて影響力の強さを実感します。

 さいとうさんのご冥福をお祈りいたします。

サブカル専門ライター

ゲームやアニメ、マンガなどのサブカルを中心に約20年メディアで取材。兜倶楽部の決算会見に出席し、各イベントにも足を運び、クリエーターや経営者へのインタビューをこなしつつ、中古ゲーム訴訟や残虐ゲーム問題、果ては企業倒産なども……。2019年6月からフリー、ヤフーオーサーとして活動。2020年5月にヤフーニュース個人の記事を顕彰するMVAを受賞。マンガ大賞選考員。不定期でラジオ出演も。

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