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追悼 坂本龍一さん YMOと70年代ソニー『ウォークマン』テクノロジーとマーケティング

神田敏晶ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント
出典:ソニーミュージック

KNNポール神田です

坂本龍一さんが2023年3月28日に永眠された。哀悼の意を表します。

1979年の『Solid State Survivor』を改めて聞きなおしている。今年で2度目だ。

YMOのドラマーの高橋幸宏さんの命日からたったの2ヶ月後だ…。2023年1月11日永眠。

坂本龍一さんはグレー一色のツイートをその時には残されました…。

■世の中のすべてが変わった1979年の夏

イエロー・マジック・オーケストラのデビューは1978年11月25日その頃、17歳のボクは『YMO』をまったく知らなかった…。

しかし、1979年夏。時代は大きく変わった…。それは『ウォークマン』の登場だ。

1979年7月1日、ソニーの『初代ウォークマン(TPS-L2)』が登場した。

マスメディアのCMもキャンペーンもすごかったのを覚えている。高校3年生だった。ボクは喫茶店でのアルバイトのお金で、定価3万3,000円の『ウォークマン』をディスカウントしてもらい、すぐに入手した。

 すでにあるカセットテープのステレオ音源で新たなメディアの環境の変化に驚愕した。それは音楽を持っての外出ではなく、外の世界が自宅の部屋の延長になった感覚に近かったからだ…。

その『ウォークマン』発売2ヶ月後に登場したのが、YMOの『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』だ。これが大ヒット。1979年9月25日の発売だ。

https://www.sonymusic.co.jp/artist/YellowMagicOrchestra/

親戚のアニキにオーディオマニアがいて、YMOの『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』をカセットテープに録音してもらった…。むしろ、アニキの家にある何十万円もする『システムコンポーネント』のステレオ同等の音が、たった3万円の『ウォークマン』で再現できるのだからこんなにコストパフォーマンスが高いAV体験はなかった…。むしろ、音質よりも『ポータブル』で『モバイル』になったことが最大の体験だ。

■初代ウォークマンの衝撃!

なんと言っても、45分テープに録音された音源がいつでも持ち歩け、バスや電車で見る光景がまったく別の世界に見えたのを覚えている。しかも、ステレオの右と左の音の違いが明確で電車の風景が『映画』のワンシーンのように変わった。乾電池なので充電を気にする必要もなかった。ステレオのフェーダーも搭載されている。

出典:butsuyoku.net
出典:butsuyoku.net

初代ウォークマンのユニークだったのは、オレンジ色の『HOT LINE』ボタンだ。ヘッドフォンミニプラグは2個装備され、二人で音楽を聞くことができ、ここを押すと音楽がミュートされヘッドフォンのマイクからの音声で会話ができるというものだ。ヘッドフォンをはずさず、トランシーバーのような機能として使える。

https://www.butsuyoku.net/legend/tps-l2/

この機能は、現在ならば、『2台のAirPodsを同時にiPhoneとペアリングする方法』で実現可能なので、あとはこの初代の『HOT LINE』機能をiPhone側につけてくれれば音楽の途中でも会話ができそうなものだ。

なんといっても、ソニーはこの初代ウォークマンを、実はあまり苦労することなく販売することができた。それは、先行して1968年から販売し、50万台売れていた『プレスマン』というデバイスを流用できたからだ。

『プレスマン』は、モノラルの録音ができ、スピーカーで再生できる取材用のデバイスとして販売していたからだ。

音大出身のソニー名誉会長の大賀典雄が飛行機の中でも、クラッシクをステレオで聞きたいので、『プレスマン』の録音はいらないからステレオ、ヘッドフォンだけで聞くのでスピーカーもいらないとの要望に伝えて、試作機が完成する。

その試作機の出来具合を見た会長の盛田昭夫は、『金型』は流用すれば良いので学生の夏休みまでに『録音なしのプレスマン』の販売を指示した。

出典:MacTechnologyLab.
出典:MacTechnologyLab.

https://appletechlab.jp/blog-entry-1353.html

■『ウォークマン』+『YMO』効果は絶大だった

新たな『ウォークマン』に『YMO』の全く新しいサウンドを、持ち歩くことによって、街の色をすっかりと替えてしまったことを今でも記憶している。

まるで、自宅の延長のように街角から交通機関までが、すべて自宅のリスニングルームへと変化した。移動時間がまったく苦にならない。さらに読書の世界に浸りこむことができる…。

なんといっても、YMOの今までになかった音を、はじめてウォークマンで聞いた人の反応は、すごかった!

『Tokio』のシンセサイズボイスで入り、疾走感と浮遊感のあるサウンドは、電車の車窓からの眺めとシンクロして聞かせるとみんなが悦にはいっていた…。『デバイス』が人を感動させる瞬間を、ボクは初めて体験したのだ。まさにそれは来るべき80年代の音楽だった!

『iPod』や『iPhone』が普及している今なら、ごく普通のことだが、当時は重たいカセットデッキを担いではじめて体験できたリスニング経験が、ポケットにはいるデバイスでできるテクノロジーの進化に驚いた。

日常の世界とは全く違う非日常の『音楽のある新たな日常』が生まれた。音楽が家から飛び出し、本当の意味で民主化した年代だった。同時に、FMラジオにとっては強力なライバルの誕生の1980年代を迎える。1981年8月1日には『MTV』が開局し、24時間音楽のPVが流れる時代となり、マイケル・ジャクソンらのスターを生んだ。

■ウォークマンのためにステレオコンポーネントを見直すという逆転現象

むしろ『ウォークマン』の大ヒットを契機にして、レコードの聞き方が大きく変わった…。レコードは、針ですり減るので、カセットテープに録音し、カセットをメインに聞くというリスニングスタイルだ。著作権侵害にならない『私的使用』の範疇だ。

当時は、レコード音源とカセットテープ音源も同じ値段。しかし、レコードがあればカセットテープは何個でも複製が可能だった。なので、レコードを持っている人のところでカセットテープに録音さえしてもらえれば、ウォークマンで音楽が自由にいつでも聞けるという夢の時代を迎えた。ヘッドフォンさえあればステレオサウンドを手に入れることができたのだ。

同時に、ラジオFMの『エアチェック(FMの放送をカセットに録音すること)』よりも、レコードをコピーしてカセットで聞くという聞き方が主流になりつつあった。

それまでは、FMの放送内容を専門の週刊誌『FMレコパル』などで確認し、家にいない時にはその時間に作動するようなタイマーやFMアンテナを増強して『レコード』を買わずに機材に投資し、録音も『オープンリール』から手軽な『カセットシステム』へという時代が続いていた。

しかし、1979年の『ウォークマン』登場以降は、『プレーヤー』と安物の『プリメインアンプ』と『カセットデッキ』さえあれば、『ウォークマン』用の音源工場が自宅に持てることになった。さらに、雨後のたけのこのように、1980年からはレンタルレコード店が開店した。すると、『FMチューナー』も『スピーカー』も不要となる。スピーカーで鳴らさないのでご近所から叱られることもなくなった。

■1980年に登場のレンタルレコード店が、カセットテープ全盛時代を生んだ

当時は『ウォークマン』のヒットにより、カセットテープで聞くというスタイルが定着し、1980年に『黎紅堂』『友&愛』などの『レンタルレコード店』が誕生した。そして店舗はフランチャイズ方式で全国中に増えた。そう、日本には昔から『貸本屋』という市場が存在していたからこそ、『貸しレコード屋』という存在は認知されやすかった。そして貸本屋同様に、著作権の貸与権が、後付けで審議され、1984年にレンタルレコード店の著作権使用料の合法化がなされた。

また世界的にも、日本は特殊なお家事情だった。ハードウェアを販売するソニーとソフトのレコードを販売するソニーが一緒だったからこそ、レコード販売よりも、むしろハードウェア販売が多く見込める『レンタルレコード店』が合法化されたと記憶している。

また、ソニーは、録音機能は別途必要な人が買えば良いという判断だった。

当時の1970年代は『生録ブーム』もありオーディオマニアは集音マイクなどでSLの蒸気機関車などの音を『カセットデンスケ』で収録していた。

https://fabcross.jp/topics/dug/20201126_panasonic_rf-u99.html

そして、さらに衝撃的だったのが1981年2月1日『ソニーウォークマンII』の発売だった。『初代ウォークマン』発売の1年半後には、ほぼカセットテープのケースサイズとなったからだ。

これもすぐに購入し、カセットサイズと比較して楽しんだ。

その後、AIWAや東芝、パナソニック、サンヨーなども参入で一大、カセットステレオプレーヤーとWラジカセなどのAV家電ブームとなる。

ソニーはその後、1989年に、ビデオカセットレコーダー『CCD-TR55』でも、パスポートのサイズのカメラ一体型ビデオ(それまではデッキとカメラはケーブルでつなぐ必要があった)『パスポートサイズ』という、サイズのコンパクトさで市場を席巻していった。

ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント

1961年神戸市生まれ。ワインのマーケティング業を経て、コンピュータ雑誌の出版とDTP普及に携わる。1995年よりビデオストリーミングによる個人放送「KandaNewsNetwork」を運営開始。世界全体を取材対象に駆け回る。ITに関わるSNS、経済、ファイナンスなども取材対象。早稲田大学大学院、関西大学総合情報学部、サイバー大学で非常勤講師を歴任。著書に『Web2.0でビジネスが変わる』『YouTube革命』『Twiter革命』『Web3.0型社会』等。2020年よりクアラルンプールから沖縄県やんばるへ移住。メディア出演、コンサル、取材、執筆、書評の依頼 などは0980-59-5058まで

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