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「抱きしめたい」歌詞問題に見る「正義に溢れかえる社会」

神田敏晶ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント

KNNポール神田です!

「ぬくもり」は2015年5月発売のシングル「愛・佐世保」のカップリング曲。「抱きしめたい」の冒頭が「出会った日と 同じように 霧雨けむる 静かな夜」であるのに対し、「ぬくもり」は「出会った日と 同じように 霧雨の降る かがやく夜」と極めてよく似たもの。

出典:平浩二さんの楽曲「ぬくもり」がミスチル「抱きしめたい」の歌詞に酷似していると炎上 レーベルは「現在調査中」

平浩二さんの名前を久しぶりに聞いた。そしてその5月に発売になったシングルのカップリング曲、つまりB面の歌詞が、Mr.Childrenの「抱きしめたい」にそっくりということで『ネットで話題』がマスコミのバラエティ番組のネタとして物議を醸しているようだ。

しかし、冷静に考えてみると、今年の5月のことがこの年末になってテレビにまで登場するようなニュースになるようなことだろうか?しかも、平浩二さんのB面の歌詞である…。一体、どこの誰がこの歌詞問題に気づいたのかだろうか?それはそれで、怒る権利はMr.Childrenの桜井和寿さんにしかない。テレビのコメンテーターが怒る権利はない。

歌詞がそっくりという単なる「パクリ疑惑」

このマスメディアをふくめてのバズり方は、「五輪エンブレム」同様の「パクリ疑惑」だからだ。今回のケースもどう考えても、作詞された方の立場は悪い。ただ、そこまでである。しかし、最近のSNSでは、最初のネタ感覚でのポストから、拡散されればされるほど、無関係な人までが、勝手に「怒り」をあらわにしはじめる。

何よりも、寄ってたかって、反論できない人を一斉に虐めるのと同様だ。今回のような「単なるネタ」がテレビのネタになるくらい世の中はヒマなのかもしれない。ワイドショウ番組は、わざわざ、「抱きしめたい」のカラオケを「ぬくもり」の歌詞で歌いにまでいくという番組づくり。ワイドショウが「軽減税率」から「"抱きしめたい"の歌詞」にまで、わかりやすく、わかりやすく、超がつくほどバカ真面目に取り組めば取り組むほど、テレビがつまらなくなっている。

■「正義に溢れかえる社会」への違和感

かつてテレビは、クリエイティビティに溢れていた。乱暴なイタズラ番組に、深夜枠には「おっぱい」もたくさん露出されていた。しかし、現在のテレビは自主規制の中で、痛くも辛くも、感動もできない番組だらけになってしまっている。しかもネットから拾ってくるネタで構成ができる時代になってからは、さらに、「ささいな悪」「ささいなグレーな問題点」にまで、懇切丁寧に追求の手を仕向ける…。

さらに、ネットの中では「正義に溢れかえる社会」時代が到来しており、少しでも、社会に対して「ささいな悪」を見つけたら、血祭りにあげるかのように集団で叩きのめすのだ。それがストレス発散かガス抜きかわからないが…disる為に、よってたかって集まってくる。このネット上での集団暴力には、社会全体が正義に溢れかえっているので誰も止めようともされない…。

佐村河内守さん、小保方晴子さん、佐野研二郎さん、そして今回の作詞家の沢久美さん。きっと、昭和の時代にここまでのバッシングは起きなかっただろうし、番組の作り手がそれに頼ることもなかったはずだ。何人の人をあやめたのだろうか?何億円のカネを横領したのだろうか?人々の関心を煽る「ささいなグレーな問題点」がここまで取り上げられることも問題だ。

■どこからが「ネットで話題」といえるのだろうか?

また、「ネットで話題!」という「話題」ほど、可視化しずらいものはない。映画の「絶賛上映中」と同じくらい測定不能だ。ヤフーのリアルタイム検索でもそのほとんどが、マスメディアに影響を受けている。

http://search.yahoo.co.jp/realtime

さらに、「最新つぶやき」

http://searchranking.yahoo.co.jp/realtime_buzz/

となるとマニアックなTweetが多くて、意味不明なものが多すぎる。

「ネットで話題」と二桁代の話題でも、マスメディアに取り上げることによって、大ヒットの話題になる。それを各局が同様に取り上げ、表現方法に各々が工夫をするという流れだ。毎日、ニュースを流さなければならないということがあるが、一般個人のネタの取り上げ方には、もう少し配慮があってもよいかと思う。

今回の件も、最終的に作詞者であるMr.Childrenの桜井和寿さんが、サラリと気の利いたアンサー・ソングをアップしておしまいという結末で幕をひいてもらいたいものだ。

■ゆきすぎたマスメディアの自主規制の結果

BSやCSの昔の映画を見るとほとんどの映画が「時代性を考慮してオリジナルのまま放映しております。ご理解のほどお願いします」というようなテロップが出るほど、現在の自主規制は恐ろしく厳しくなっている。マスメディアに「清く正しく」を求めれば求めるほど、つまらないことを大きく取り上げる。また、番組出演者も棘のある出演者がいなくなり、ありきたりの安全なコメントを安定している人しか登場しなくなる。ビデオリサーチがついにスマホまで、視聴率調査についに乗り出さないといけなくなるくらいテレビ離れが進んでいるのだ。

視聴者やエンドユーザーが、インターネットを手にした事によって、ごく一部のダイレクトな少数の意見が広告主にも届くようになった。そこで広告主は批判を恐れて、番組から手をひく可能性がある。それでは成立しないから、過激な表現はなくなる。

いっそ、昭和時代の過激な番組を有料でやってみるのはどうだろうか?スポンサーや社会の声、ネットの声を恐れずに、クリエイティビティを発揮してもらいたい。東京オリンピックまで、地上波テレビが維持できるのか、とても心配である。テレビでできなければ、LINE LIVEニコニコ生放送で有料というのはありかと思う。

ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント

1961年神戸市生まれ。ワインのマーケティング業を経て、コンピュータ雑誌の出版とDTP普及に携わる。1995年よりビデオストリーミングによる個人放送「KandaNewsNetwork」を運営開始。世界全体を取材対象に駆け回る。ITに関わるSNS、経済、ファイナンスなども取材対象。早稲田大学大学院、関西大学総合情報学部、サイバー大学で非常勤講師を歴任。著書に『Web2.0でビジネスが変わる』『YouTube革命』『Twiter革命』『Web3.0型社会』等。2020年よりクアラルンプールから沖縄県やんばるへ移住。メディア出演、コンサル、取材、執筆、書評の依頼 などは0980-59-5058まで

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