プレステ20年、最大の貢献者は任天堂

KNNポール神田です!

http://www.jp.playstation.com/20th/

1994年12月03日に初代プレイステーションが発売となった。それから20年。

ボクはゲームを全くやらないが、プレイステーションは持っている…。

プレイステーション2は、DVDの普及期と重なり、プレイステーション3はブルーレイの普及期と重なっていたからだ。

プレイヤー単体でも3万円近くするのならば、あと1万円程度での追加で、プレイステーションが買えるというお得感があったからだ。

プレイステーションの累計販売台数

世界累計1,000万台のPS4(2014年8月10日時点)

世界累計8,000万台のPS3(2013年11月2日時点)

世界累計1億5,000万台のPS2(2011年1月31日時点)

初代プレステ発売から20年なので、稼働しているのをPS2以降としても2億4,000万台のプレステが世界で存在していると考えられる(PS初号機からの累計は3億5,000万台)。しかし、iPhoneスマホの普及で確実に、累計販売台数は増加しない構造になってしまっている。PS3が8,000万台に到達するのに7年を要しているので、この伸びは鈍化していく傾向にある。

また、ネットワーク対応による、パッケージフリー型ソフト、、SNS連動などと新たな曲面をハードウェアビジネスは迎えている。

プレイステーションは、任天堂の裏切りで誕生した鬼っ子

プレイステーションは、生まれるべくして生まれてはいなかったマシンだ。

1990年代、ゲームマシンは、任天堂(スーパーファミコン)とセガ(メガドライブ/Genesis)の2強の時代。NECがPCエンジン(1987年)、松下(現・パナソニック)が3DOで1993年に参入する時代だった。

当初ソニーは、任天堂のスーパーファミコン用のCD-ROMドライブ「プレイステーション」を任天堂端末の周辺機器として、発売する計画と契約だった。

しかし、1991年6月、任天堂は突如フィリップスとの契約へと変更を発表した。

ソニーは、ゲームの実績も経験もない。また中途半端な参入は避けたかった。しかし、ソフトが、ROMカセットからCD-ROMへの変化すれば、価格や容量での圧倒的な差別化。すべて社内生産が可能で価格弾力性もある。音楽CDにおける生産・流通実績があるのでソフトの量産も可能だ。

久多良木は、ソニーの役員を説得するがいい返事が得られなかった…。しかし、社長の大賀の英断でソニーは「プレイステーション」で、ガリバー市場となるゲームマシン業界に参入する。

問題はソフトだ…。

任天堂と不仲なナムコとのつながり

当時、任天堂はガリバーゆえの優位的競争力で、ソフトウェア会社に強い立場にいた。それに不服とするソフトウェア会社は少なくなかった。ナムコは、NECのPCエンジン用にもリリースするが、ハードウェアの普及が任天堂に追いついていなかった。そんな時に、ソニーからのプレイステーションの話が登場する。ナムコにとっては「鉄拳」や「リッジレーサー」でプレイステーションのスタートを飾ることとなった。

プレイステーションは後発なので、あらゆる点で任天堂の裏をはったことがサードパーティーの参入を促進する。なによりも任天堂のスーパーファミコンはROMカートリッジなので、量産効果のコスト面でソフトは高価になるが、CD-ROMのCDとなると、一枚の単価は限界的にゼロ円に限りなく近くなる。音楽CDで自前の工場をソニーは持っているからだ。すると、ソニーはサードパーティーの開発者の敷居を下げ、より多くのタイトルを生み出し、利益を確保し、ゲームプラットフォームとしての座を広げ、任天堂に追いついた。

スクエアのファイナルファンタジーVIIの投入

プレイステーション陣営にとって、圧倒的なスケールアウト化を実現したのが、スクエア参入による「ファイナルファンタジーVII」の発売(1997年1月31日)だった。

任天堂のNINTENDO64に搭載の予定がスケジュールが合わず、スクエアはソニーとのタッグを選んだ。

ナムコにしろ、スクエアにしろ、任天堂との契約条件がもしも有利に変わってさえいれば、決してソニーと組むことはなかったであろう。

また、当然ながら「プレイステーション」をスーパーファミコンのCD-ROM周辺機として、任天堂が販売しライセンス契約をしていれば、プレイステーションというライバルは登場しなかっただろう。

この頃の任天堂は、まるで「軍師官兵衛」の豊臣秀吉のようでもある(笑)天下人になって目先がみえなくなっていたようだ。

プレイステーション20周年の最大の貢献者は?

未来を読むとくのは、非常に難しいが、未来から過去を読み解くのはとても明解である。

歴史にもしも…の設定は無用だが、プレイステーションが今日、存在するのも、任天堂の経営判断の偶然重なったタイミングでしかなかったのだ。ガリバーの判断こそとても重要だ。

その後、ゲーム機器におけるポータブル戦争が勃発し、任天堂からWiiがDSが、ソニーからPSPが登場する。そして、ガラケーが進化し、iPhoneが登場してからの7年。ゲームの課金制度が変わり、コンプガチャなどの課金も生まれる。ゲームのプラットフォーマーの勢力図が大きく変わりはじまる。

花札やトランプを作っていたゲーム会社 任天堂が、1980年4月28日(34年前)に、ゲームとデジタル時計をセットにした「ゲームウォッチ」を発売したことにより、任天堂がゲームのビジネスモデルに触発された。3年後の1983年7月15日(31年前)任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売する。世界が大きく変わった。

そして、その日から、11年後の1994年12月3日(20年前)にソニーが「プレイステーション」を発売する。あれから20年。

人類の可処分時間は、リビングや応接間の、テレビを見ていた時代から、テレビにつないで何かをする時代に変わった。そして、現在、テレビではなくタブレットやスマホでネットにつなぐようになった。一人で遊ぶから、見知らぬ世界の人と繋がって遊ぶようになった。すでにゲームだけでなく、ゲーム実況の視聴やコミュニケーションの場となっている。

自宅のリビングや、公園の広場は、もはや世界とつながっている。この環境で育った世代にしか、次の世代は創れない。何が面白くて流行るのかは、ゲームに興味がなくても触れておかなければとうてい理解できない。

これからの子どもたちには、世界各地のローカルの文化や宗教や教育よりも、もしかするとゲームの世界観のほうが正しく感じるのかもしれない。人間の本能に忠実なゲームを創造できれば、後天的な教育や思想による争いを世界からなくせるのかもしれないと感じた20周年だ。