連合が残業手当ゼロ法案に賛成したワケ

先日、連合が高度プロフェッショナル制度の導入に条件付きながら賛成に回ったことが話題となりました。「年収1075万円以上で為替ディーラーやアナリスト等の専門職」にかぎって時給管理を外すという制度で、朝日新聞や連合自身が“残業代ゼロ法案”と呼んでこれまで一貫して反対し続けてきたものです。

地方組織の反対が根強いため26日には賛成姿勢をいったん撤回する形となりましたが、なぜ連合は“残業代ゼロ法案”と自ら呼んできたものに賛成したんでしょうか。そもそも、労働者にとって高度プロフェッショナル制度は損得どちらが大きいんでしょうか。30代以降のキャリアを考える上で重要な論点なのでまとめておきましょう。

大企業と中小企業で違う残業手当の意味合い

以下は全部「労働時間に成果の比例しないホワイトカラー」の話です。従業員数1万人の大企業A社と100人のB社があるとします。わかりやすくするために月の一人当たりの人件費は同額の50万円とします(ボーナスや社会保険料等は無視します)。

大企業だとニュース価値もお金もあるので、メディアや労働弁護士が常に粗さがししているものです。なので大企業はコンプライアンスにとても気を使っています。もちろん残業代もその一つであり、A社は従業員のだいたいの残業時間の目安を出したうえで、平均的な従業員の給料をこんな具合に残業手当と基本給に分けます。

残業手当:20万円

基本給 :30万円

一方のB社はいちいちそんな面倒なことはせず、「残業代として月10時間分までは出すからヨロシク」くらいの感覚です。

残業手当: 5万円

基本給 :45万円

A社の場合、確かに同僚たちよりすごくいっぱい残業する人はトクはしますが、定時で仕事を終わらせて早く帰るような人は損をすることになります。また、無駄な仕事を減らそうという空気にもなかなかなりません。これこそが長時間残業の原因ですね。

【参考リンク】1万人に聞いた「残業する理由」、1位は「残業代がほしいから」

さて、昨年くらいから大企業はどこも徹底した労務回りのコンプラチェックと残業自粛を続けています。不幸な労災が続き、世間の目が厳しくなった結果ですね。会社にもよりますけど「残業は40時間未満に抑えるべし」といった管理部門からの一律のお達しが出ている企業が多いです。

こうなると、A社の残業手当は減少し、実質的な賃金カットになってしまいます。実際、その点は既に懸念され始めています。

【参考リンク】「働き方改革」で残業代減少、政府部内にも消費減退の懸念

きっと勘の良い読者の中には「でも、人件費が一定だって言うなら、残業手当が減った分は時給以外の形で基本給やボーナスなどに上乗せされるんじゃない?」と思う人もいるでしょう。理論的にはそうなります。なので、組合としては早急に、残業手当以外の方法で減った分を増やしてもらう方法を交渉するのがベスト、ということです。

そう、それはつまるところ「時間給ではなく成果に応じた報酬を導入する」というホワイトカラーエグゼンプションそのものですね。これが、連合がさくっと方針転換した事情でしょう。この点からは、連合がもはやかつてのような長時間残業天国には戻れない、あるいは戻すべきではないと現状認識していることがわかります。とすると、現状では上記のように対象が厳しく限定されていますが、これを先鞭としてゆくゆくは他のホワイトカラー職にも広げていくはずです。

従来の労働組合は雇用の保証にくわえてとにかく時給で払えが信条で、過労死などの労災には目をつぶるくらいのスタンスでした。“成果評価”という形式をとるよりも、確実に働いた分だけ貰う方が、自分たちがイニシアチブを握れるからです。「いうこと聞かないと評価してやらないぞ!」という具合に経営側の立場が強くなることを恐れてるんですね(まあ実際は終身雇用の日本人サラリーマンの方が世界的に見て異常に立場が弱いんですが)。

ただ、さすがにもうそういう時代じゃないだろうと(少なくとも上層部の中では)考え始めているように筆者には思えます。ひょっとすると、不幸な労災が続いたことも、見直しの理由かもしれません。少なくとも連合の中でも頭の良い人たちは、ホワイトカラーの時給管理は上記のように長時間残業を助長こそすれ、抑止効果はほとんどないことはよく分かっていますから。長時間残業を社会が許容しない以上、時間によらず成果で評価する報酬制度の議論は不可欠です。いずれまた連合は交渉のテーブルにつくことになるでしょう。

ちなみに、筆者は「残業代を青天井で出す会社」は長時間残業が慢性化する傾向が強いのでおすすめはしませんね。そういえば霞が関の官僚の皆さんは毎月の残業手当の上限があらかじめ決まっているそうです。頭の良い人はみな「世の中にタダ飯はない」「朝三暮四」といった言葉の意味をよく理解しているということです。