最近、弁護士が学校教育に関して書いた本がたくさん出版されています。

これまでも弁護士が教育関係の本を出版することはありましたが、最近の傾向は少し変わってきているように思います。

数年前までは弁護士が書いた教育関係の本の大半は「学校事故」や「法教育」の本でした(弁護士による法教育の実践授業自体は現在もさかんに行われています)。

しかし、最近は「いじめ」や「スクールロイヤー」に関する本が主流になっています。また、法律論とはやや離れて、教育論について書いた弁護士の本も増えています。

学校教育はほとんど誰もが経験していますし、保護者としても学校と関係を持つので、その気になれば誰でも教育評論家になれますし、書こうと思えば誰でも本が書ける特殊な分野なのですが、法律の専門家である弁護士が教育関係の本をかなり書いていることを不思議に思う人もいるかもしれません。

弁護士が書いたいじめの本が増えたのは、2013年にいじめ防止対策推進法が制定されたことが影響しています。また、スクールロイヤーの本が増えたのは、2017年から文部科学省が予算を付けて調査研究事業を始めたことも影響しています。

もっとも、実際にはスクールロイヤーをしている弁護士も含めて、教育関係の本を書いている弁護士の多くは、教師として学校現場で働いた経験や教育学の専門的な知識があるわけではないので、経験論や実証的な学術研究に基づいた本というわけではありません。

スクールロイヤーに教師の経験は必要?

ただ、私自身はスクールロイヤーには教員免許も教師の経験も必要ないという考え方もあり得ると考えています。スクールロイヤーの役割をどのように理解するかにもよりますが、法律の専門家としてあくまでも法的な視点からのみに基づいて学校現場に関わることが求められるのであれば、むしろ弁護士としての経験が豊富な人のほうがよいはずだからです。

スクールロイヤーが生半可な知識や経験で、専門外である教育や福祉、心理学などの多面的な視点を織り交ぜて学校と関わることは、かえって子どもたちや教師、ひいてはスクールカウンセラーなどの他の専門職にとって有害になる可能性すらあります。

もっとも、公立学校が税金で経験豊富な弁護士に関わってもらうのであれば、納税者である保護者の側も公費で弁護士にアクセスできる制度が整備されなければ公平とは言えないでしょう(このことはこちらの記事で紹介しています)。

また、弁護士同士でのやり取りでトラブルが迅速に解決することもあります。保護者側に弁護士が付くことで、学校側にとっても負担が少なくなるケースも少なくありません。

ただ、学校という場に弁護士が積極的に介入することが望ましいかどうかは当然議論の余地があります。

弁護士と教師は仲良くできる?

一方、どのような立場であれ、弁護士が教育問題に関わるのであれば、スクールロイヤーに限らずたとえ経験豊富な弁護士であっても、弁護士という職業が教師からどのように思われているかは一応自覚しておく必要はあると思います。

私は昨年出版した『学校弁護士 スクールロイヤーが見た教育現場』という本の最初に、ベテラン弁護士の方と一緒に小学校に調査に訪問した際に現場の先生から投げかけられた言葉を紹介しています。それは、「あなたたち弁護士は現場のことを何もわかっていない」という言葉でした。

もちろん、教師にこう言われればカチンとくる弁護士のほうが多いでしょう。

しかし、それは弁護士も同じことです。弁護士が一生懸命被告人や非行少年の人権のために頑張っているのに、それを弁護士以外の人間から批判されれば、「あなたたちは人権のことを何もわかっていない」と言い返す弁護士のほうが多いと思います。

なぜ、教師は一般的に弁護士に対してあまり良い感情を持っていないのでしょうか。

それは、これまでの弁護士と学校との関わり合いが必ずしも協調的なものではなかったことにも一因があります。

むしろ、これまで学校の事件に関わってきた多くの弁護士は、校則や体罰、いじめなどが問題になれば、弁護士の常識である人権の概念からすればおよそかけ離れたコンプライアンス意識の学校教育の現実を批判し、教師と対立的な関係を築いてきたと思います。

教師の中には「わいせつ教員」のように、誰がどう考えても法の制裁を受けなければならない者が存在していることも真実です(私自身もわいせつ教員の免許は失効させるべきだと考えています)。また、そのような教師を自浄的に排除できない学校現場の構造にも問題はあると思います。

ただし、弁護士と教師が対立的な関係になっているケースの中には、見方を変えれば、弁護士が法律学の演繹的な思考の下で優先している価値判断を、経験的・帰納的に対応しなければならない学校現場の現実に押し付けているケースも少なからずあるのではないかと思います。

現場で何かあれば責任を負わなければならない教師の立場からすれば、責任を負わなくてもよい弁護士が主張する法律論を素直に理解しろと言われても、心情的には難しい面があるでしょう(私自身も教師としてはそう思うケースが少なくありません)。

しかも、実際には法律のほうが日本の学校の現実に必ずしも適合していない内容を含んでいる場合だってあり得るのです。

学校現場では弁護士の演繹的思考だけではどうにもならない現実がたくさんあります。

例えば、同じ中学2年生なのに、なぜ14歳の誕生日を迎えている中2には犯罪が成立し、そうでない中2には犯罪が成立しないのか。「法律がそうなっているから」という回答だけでは子どもたちも教師も納得してくれません。

教師が校則の根拠を合理的に説明できないこともあれば、弁護士も法律の根拠を合理的に説明できないことだってあるのです。

確かに、学校や教師の価値観は社会の動向と比べると遅れているところもあります。しかし、それはどの業界だってあることです。

例えば、学校のオンライン化の遅れを批判する弁護士もいますが、当の弁護士業界は未だに裁判の書類を送るのにメールではなくFAXを使っているのです(というより、メールで送るのは禁止されているのにFAXで送るのはOKという、不思議なルールです)。

「チーム学校」は子どものために互いの立場を理解し合うこと

前述のように、私はスクールロイヤーには必ずしも教師の経験は必要ないと述べましたが、それは法的な視点だけで学校と関わるスタンスを徹底する場合です。

スクールロイヤーの役割については様々な議論がありますが、もし、教育的視点も踏まえて学校と関わることをスクールロイヤーの特徴として重視するならば、教師の経験はあったほうがよいと思いますし、同様に、スクールロイヤーが福祉的視点も踏まえて関わるならば、福祉の専門家として活動した経験があったほうがよいでしょう。

なぜなら、そうした経験があれば、弁護士以外の専門職の立場から見えている景色が理解できるからです。

このことは、2015年に中央教育審議会が発表した答申「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」において、「多様な経験や専門性を持った人材を学校教育で生かしていくためには、教員が、子供たちの状況を総合的に把握して指導を行い、成果をあげている面にも配慮しながら、教員が担うべき業務や役割を見直し、多職種による協働の文化を学校に取り入れていくことが大切である。」(15頁)として、学校における「協働の文化」を創り出していくことにも関連します。

子どもたちに関わる様々な専門職同士が、お互いの立場が理解できていなければ、子どものために「協働の文化」を創り出していくことは困難だからです。

スクールロイヤーがいじめや不登校などの学校が直面する問題に対して「チームとしての学校」の一員として関わっていくのであれば、教師の経験や福祉の専門家の経験などの他の専門職の経験があったほうがよいですが、もしないのであれば、研修などを通じて異なる専門職間の立場を理解する機会を増やしていくことが必要だと思います。