旭川14歳凍死事件でいじめ「重大事態」認定~スクールロイヤーが事件から考えること~

(写真:アフロ)

いじめの「重大事態」について-統計から考える

先日、旭川市で女子中学生が亡くなったという痛ましい事件が報道されました。本件に関しては現時点ではまだ週刊誌報道による事実関係以外に公的機関から発表されたものがほとんどないため、事実関係に関する論評については差し控えますが、市教育委員会がいじめ防止対策推進法の「重大事態」と認定し、調査を開始することを発表しましたので、この点から解説したいと思います。

いじめ防止対策推進法28条1項は、

①いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑いがあると認めるとき(1号・生命心身財産重大事態)

②いじめにより当該学校に在籍する児童等が相当の期間学校を欠席することを余儀なくされている疑いがあると認めるとき(2号・不登校重大事態)

の2つのケースについて、学校又は設置者の下に調査組織を設置して調査することを義務付けています。

この調査組織に関しては、公平性・中立性の観点から利害関係のない第三者や弁護士などの専門家を含めることがガイドラインで推奨されています(もっとも、第三者を含めることが必ずしも法的義務ではない点は注意しなければなりません)。また、保護者が申し立てた時点で学校が「いじめの結果ではない」「重大事態とはいえない」と考えたとしても、重大事態が発生したものとして調査することとされています。

この重大事態に関しては文部科学省が『児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査』で毎年度調査をしていますが、その統計を見てみると、重大事態の発生件数は実質的に調査が開始された平成25年度から比べると令和元年度は4倍以上に増えており、そのうち不登校重大事態が全体の65%以上を占めています。また、生命心身財産重大事態の内訳は「精神」に対する重大な被害が最も多く、半数以上を占めています。

重要な点は、重大事態調査の結果いじめが確認されたケースは90%以上に上ることです。いじめ防止対策推進法は23条2項でいじめに係る通報や相談があった場合はその時点で速やかに事実関係などを確認するために必要な調査をすることを初期対応として学校に義務付けていますから、それにもかかわらず、重大事態調査でいじめが確認されるということは、

①学校が23条2項の調査をする必要があったが、しなかったために重大事態が発生した

②学校が23条2項の調査をしたが、いじめを確認できず、重大事態が発生した

③学校が23条2項の調査をしていじめを確認したが、重大事態の発生を防止する対応ができなかった

④学校に23条2項の調査が必要となる通報や相談がなく、いきなり重大事態が発生した

というパターンが考えられます。

報道から推測すると、おそらく旭川市の事件は①~③のいずれかに該当する可能性が高いかもしれません。

重大事態調査は発生件数が非常に多いにもかかわらず、法制度上での調査の支援体制が不十分であり、調査組織の人材確保や調査権限にも限界があることから、現状では調査に相当な負担が生じていることが指摘されており、制度の改善や解釈指針の変更が必要だと考えられます。

スクールロイヤーの葛藤-いじめ対応の切り札にはなれない

私は最近話題になるようになった「スクールロイヤー」という弁護士の仕事をかなり前からしていますが、普通のスクールロイヤーと違うのは教員も兼務している点です(大学の仕事が忙しくなったので現在は非常勤ですが、以前は担任などもしていました)。つまり、「学校の中ではヒラ教師、学校の外ではスクールロイヤー」という、とても珍しい立場です。

ほとんどのスクールロイヤーは学校には現れずに外から相談や助言をしていますが、私のように教員経験のあるスクールロイヤーや、弁護士以外の立場で学校現場にアクセスするスクールロイヤーも、少数ですが存在しています。例えば、教育委員会の職員として勤務するスクールロイヤー、スクールソーシャルワーカーとして勤務するスクールロイヤー、部活動指導員として勤務するスクールロイヤーなどです。そうした学校現場にアクセスするスクールロイヤーは、学校の外から助言するスクールロイヤーとは違って、法律論の綺麗事では済まされない学校現場の現実に直面し、法律家としての悩みや葛藤、ジレンマ、そして弁護士としてのリスクなどを多かれ少なかれ抱えながら活動しています。

私もまた、そうした悩みや葛藤を昨年出版した『学校弁護士 スクールロイヤーが見た教育現場』(角川新書)に綴りました。

いじめ事件では教師の責任が当然議論されます。

個人的経験を踏まえて教師にできるいじめの対応を考えてみると、私も小中学校の頃は容姿や外見でよくからかわれていました。今から思えば、あの頃いじめ防止対策推進法があれば、同法の「いじめ」の定義に該当することだったかもしれません。ただ、周囲からからかわれていることを教師に相談することもありませんでした。「自分は外見にコンプレクスがあるから、その分他の事で頑張ろう」という気持ちでいたので、それほど深刻に考えていなかったこともありますが、教師に相談したら解決するという期待感がなかったことも事実です。何か悩みを相談できる大人としても、教師は想定していませんでした。

それから年月が経って、私自身が教師として働くようになった時、子どもの時に見えていた景色と違う景色を教師の目線から見るようになりました。1人の担任が40人以上の子どもたちの気持ちに寄り添い、一人ひとりの人間関係や親子関係を理解しなければならない立場とプレッシャーも実感しました。生徒から毎日のように相談を受ける中で、教師が子どもたちに何をすべきなのかを日々模索するようにもなりました。

弁護士としての法律論では頭の中で結論が出ていることであっても、教師として法律論どおりにやることは本当に良いことなのか、そんな葛藤にも毎日のように悩まされました。

弁護士としていじめの事件を手掛けるたびに、自分がこの事件での教師だったらどんなことができただろうか、そんな気持ちで事件と関わるようにもなりました。

スクールロイヤーはいじめ対応で非常に期待されている弁護士であり、文部科学省も日本弁護士連合会もそのような期待を寄せているスタンスです。しかし、実際のスクールロイヤーはそもそも明確な定義もなく、制度設計も学術的にも議論は不十分なままです。スクールロイヤーになるための研修制度すらありません。教員免許や教育学の学位なども不要です。

正直に言えば、スクールロイヤーはいじめ対応の切り札になれる存在ではないと思います。

私自身は前述の『学校弁護士』という本の中で、スクールロイヤーが機能するためには3つの改革が必要だと示しました。それは、

①スクールロイヤーが子どもに直接会える立場であること(前述の弁護士以外の立場で学校現場にアクセスするスクールロイヤーを除けば、現状のスクールロイヤーは子どもから直接相談を受けることはほとんどない)

②子どもや保護者側も公費で弁護士に相談できる制度を整備すること(納税者の視点から見れば、学校側だけが弁護士に相談できる現状のスクールロイヤー制度は不公平に映る)

③スクールロイヤーが教員やカウンセラーなどの他職種と連携し、互いの視点を勉強すること(いじめは「チームとしての学校」で取り組まなければならない)

というものです。

そもそも弁護士が教師よりも適切にいじめ対応ができる保証はどこにもなく、実証されているわけでもありません。弁護士が教師よりも豊富な社会経験があるわけでもなく、あらゆる法律に精通しているわけでもありません。

法律自体に問題がある場合もあります。例えば、前述の『学校弁護士』でも示しましたが、日本の公立小中学校はいかなる理由でも例外なく懲戒としての退学は認められず、停学は私立や国立でも認められないため、いじめの加害者に対する手段は限られています。弁護士であるスクールロイヤーが、法律の枠を超えて「超法規的」な助言をすることができるでしょうか。

現状ではスクールロイヤーがいじめで果たせる役割は限定的です。むしろ、いじめに関してはスクールロイヤーを導入することよりも私たち大人がしなければならないことは他にあると思います。それは、我々大人が「大人の同調圧力がなくならないのに、子どもたちのいじめがなくなるわけがない」ということを自覚することです。

大人が同調圧力を生む構造-Twitterで他者の見解を批判する

旭川市のいじめ事件でも、被害者が多数の加害者からSNS上で脅迫を受けていたり、画像を拡散されるなど、深刻で凄惨ないじめ(犯罪行為)があったことが報道されています。問題はこうした行為と根底を同じくするようなことが、大人の社会でも普通に起きているということです。

先日、私は知人の弁護士の人から「先生の記事がTwitterで批判されていますよ。」と教えてもらいました。私自身はTwitterをしていないので、その人からどのような批判があるかを見せてもらいましたが、それを見た時は本当に驚きました。それは、ある弁護士や研究者のTwitter利用者が、前後の文脈を無視して記事の一部だけを切り貼りしたり、出所の原著も読まずにTwitterの短文での表現で批判し、フォロワーの人たちがやはり前後の文脈も原著も読まずに拡散しているという現実でした。

表現の自由が保障される社会では、互いの意見を批判し合うことは何よりも大切なことです。Twitterで他者の見解を批判することも当然認められるべきです。

しかし、批判する表現の自由にはルールがあります。自然科学の分野で数式などの客観的な根拠を示して他者の見解を批判することは、Twitterの短文上でも可能だと思いますが、弁護士や社会科学の研究者が扱う分野は、何よりも「言葉」が大切な分野です。そのような分野では、前後の文脈から言葉の意味を適切に読み取ったり、原典に立ち返って言葉の根拠を探求しなければならないため、本質的にTwitterによる短文での批判は全く不適切です。つまり、一般人がTwitterで他者の見解を批判するのはまだしも、弁護士や研究者が他者の見解を批判するツールとしては、Twitterは全く不向きなのです。

そうした不適切な批判がフォロワーを通じて拡散していく状況を見れば、何よりも「言葉」を大切にしなければならないはずの弁護士や研究者が無批判的に「同調圧力」の担い手となっている大人の社会が存在する中で、子どもたちのいじめだけがなくなっていくはずがありません。

同調圧力というのは本当に恐ろしいことです。私自身もまた、無意識のうちにその圧力をかける側に加わっていることすらあります。同調圧力に抵抗するためには、批判することを尊重し、ルールを守って適切に批判することが何よりも大切です。大人がそうしたことを模範的に示すことで、同調圧力から生まれるいじめを少しでも減らすことができるかもしれません。

旭川市のいじめ事件は、知らないうちに同調圧力に加担している私たち大人に対して、「大人が変わらなければ子どもたちのいじめなんて絶対になくならない」というメッセージを送っているように感じています。