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18歳成人、有権者、特定少年、こども基本法…~学校は18歳までにどのような教育をすべきか~

神内聡スクールロイヤー・兵庫教育大学大学院教授
(写真:イメージマート)

昨日は民法の成人年齢が18歳に引き下げられてから最初の成人の日でした。

多くの自治体ではこれまでの成人式を「二十歳の集い」と改称してそのまま継続しているようですが、時期をずらして18歳、19歳を対象にした式典を実施する自治体もあるようです。

今後は20歳の時点では式典を行わず、同い年全員が18歳を迎えた後のどこかのタイミングで式典を実施する自治体が増えていくかもしれません。

成年者・有権者だが心身の発達段階にある18歳

2022年4月から改正民法が施行され、法律上は18歳で成人する時代になりました。

18歳になれば自分で契約を締結して自分で責任を負います。親の同意なく結婚することもできます。

あくまでも理念上の話ですが、これからの学校は18歳までに「自分で契約を締結しても問題ない人間」「親の同意なく結婚しても問題ない人間」を育てる責任があります。もちろん、学校だけではなく、家庭も、ひいては社会全体がその責任を負います。

既に選挙権に関しては18歳に引き下げられているので、学校も家庭も社会も18歳までに有権者として民主主義を担う人間を育てる責任を負っており、実際に「主権者教育」という概念自体は学校現場でも広く認識されています(ただし「主権者教育」という語は安易に用いると、選挙権を持てない外国籍の子どもに対してはやや差別的なニュアンスを含んでいることは否めないため、筆者は「市民性教育」「政治教育」といった語を用いることが多いです→こちらの記事を参照)。

つまり、18歳という年齢は法律上も教育上も重要な「目安」となる年齢です。

一方、18歳になればあらゆる事項について大人と同じように扱われるのかと言えばそうではなく、例えば飲酒・喫煙できる年齢は健康上の理由から20歳のままに据え置かれています。

また、少年法の適用年齢も20歳のままになっており、18歳・19歳は「特定少年」という扱いをしています。この点に関しては、法務省は「18・19歳の者は、成長途上にあり、罪を犯した場合にも適切な教育や処遇による更生が期待」できるとしつつ、「選挙権年齢や民法の成年年齢の引下げにより、重要な権利・自由を認められ、責任ある主体として社会に参加することが期待される立場」になったと理解しています(→こちらを参照)。

さらに、最近制定された法律では、18歳という年齢による区別がもはや存在しない法律も現れています。

今年の4月から施行されるこども基本法の「こども」は、年齢による定義ではなく、「心身の発達の過程にある者」と定義しています。つまり、18歳になり、自分で契約を締結して責任を負う主体になったとしても、心身の発達の過程にある者であれば「こども」に該当します。こども基本法の理念の背景に存在する子どもの権利条約では「子ども」の定義は18歳未満とされていますが、18歳であっても心身の発達の過程にある可能性は十分にあることから、こども基本法は「こども」の概念を広く捉えています。

また、昨年制定・施行されたAV出演被害防止・救済法は、元々は未成年者取消権がなくなる18歳・19歳のAV出演を懸念して制定されたものでしたが、実際に制定された法律は年齢に関わらずAV出演契約を取り消せる法律になっています。

これらの法律のスタンスを概観すると、18歳で一人前の成年者・有権者として扱う一方で、18歳はまだ心身の発達・成長段階にあり、完全な責任を負わせることは難しい、という価値観が存在しているように思われます。

18歳までに学校がすべき教育とは~18歳成人時代の生徒指導の在り方~

子どもは生まれてくる環境を選べません。能力も平等に備わって生まれてくるわけでもありません。

そうした自己責任に問い得ない面も含めて、18歳という年齢になれば「とりあえずは」自分で責任を負うという制度になったわけですが、今の日本の学校では18歳までにどのような人間を育てることができるでしょうか。

昨年改訂された生徒指導提要では、学校で行われる生徒指導もまた、成年年齢が18歳に引き下げられたことを受けて、児童生徒が社会の中で自分らしく生きることができる存在となるように適切な働きかけを行うことで、社会的自立に向けた取組を日常の教育活動を通じて実施することが留意点として示されており、18歳になれば学校教育法上も保護者がなくなるため「生徒の自立が制度的に前倒しとなる部分がある」と記載されています。

18歳になれば自分で契約を締結して自分で責任を負う、自分で結婚もできる、有権者として一票を投じる「社会的・政治的に自立した人間」になることが想定されているわけですが、校則に関しても18歳で成人する人間を育むためのルールであることが求められていると考えられます。言うなれば、校則自体が生徒の社会的自立を阻害するような内容であれば議論の余地があるし、校則の運用や指導も社会的自立を促すための目的が重要になってきます。

この点で生徒たちが主体となって校則の在り方を考えたり、議論したりするルールメイキングの取組みは効果的な教育活動だと考えられます。

(ただし同時に法律は18歳が未だ心身の発達・成長段階であるとも考えているため、生徒によってはこの点にも配慮した校則や生徒指導も必要になります)

一方で、18歳になれば自分で締結した契約上の責任を負う責任主体ともなるわけですが、学校は子どもたちに対して法的責任をどのように意識させていくべきでしょうか。

学校には成年者と未成年者、犯罪が成立する子どもとそうでない子ども、民事上の責任能力が認められる子どもとそうでない子ども等、法的責任の異なる様々な子どもが混在しています。弁護士にとって法的責任の判断は最重要事項ですが、生徒指導も含めて教員や児童生徒が普段の教育活動の中で法的責任を意識する機会は多くありません。

子どもの権利を議論する際にはどうしても子どもの権利が侵害される「被害者」の立場を想定しがちですが、実際には子どもは他の子どもとの関係でも、時には大人との関係でも「加害者」になり得ます。多くの場合、加害者が心身の発達・成長の過程である「こども」だからといっても被害者が納得してくれるわけではありません(特に少年事件ではそのような傾向があります)。

とはいえ、18歳になれば保護者(親権者)はいなくなるわけです。実質的な賠償能力のない子どもが加害者である場合に被害者が泣き寝入りしないようにするための法律論を構成することは重要な論点ですが(有名な最高裁判例もあります)、学校の生徒指導はあくまでも教育活動なので、法律学の論点が意識されるわけではありません。

この点で筆者が関心を持っているのは、ルールメイキングの取組みの中で、ルールに違反した場合のペナルティも生徒たちが考えたり、議論したりする活動です。

例えば、校内でのスマホやiPadの使用を認める校則を生徒たちが考案した場合に、同時に使用ルールに違反した場合のペナルティについても、どのようなペナルティであれば合理的でルールの目的を達成できるか等、生徒たちが考えて校則に明記する、といったものです。実際に、ルールメイキングの取組みではそうした活動も行われているケースがあります。

ルールに違反した場合のペナルティも生徒が自分たちで考えることによって、いずれ責任主体として法的責任を負う立場になることを意識する教育的効果があると考えています。

18歳成人時代の生徒指導の実践はまだ始まったばかりですが、18歳の者が社会的・政治的にも自立した成年者・有権者であるとともに、法的責任を負う責任主体になることや、心身の発達・成長の過程にある点にも考慮したバランスの中で、校則や生徒指導の在り方が議論されていくのではないかと考えています。

スクールロイヤー・兵庫教育大学大学院教授

スクールロイヤー。日本で初めて法曹資格を持つ教師として活動し、現在は教職大学院で「チーム学校」や外部人材の効果検証、教師文化、法教育等の研究活動を行う。また、教師の経験を活かし、学校現場に詳しい弁護士として様々な学校のスクールロイヤーを担当する。専門は学校経営論。高校では公共・世界史の授業や部活動顧問等を担当。東京大学法学部卒業、同大学院教育学研究科修了。専修教員免許(中学社会・地理歴史・公民)を取得。著書に『学校弁護士 スクールロイヤーが見た教育現場』(角川新書)、『スクールロイヤー 学校現場の事例で学ぶ教育紛争実務Q&A170』(日本加除出版)等。

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