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なくならない体罰、現場教員が『離れ方』を提案

石井志昂『不登校新聞』代表
校舎(イメージ写真)(写真:アフロ)

今月に入ってから、体罰に関する報道が相次ぎ、あらためて体罰に注目が集まっている。学校全体の体罰問題を考えるため、そもそも体罰とはどんな問題なのかを児童精神科医にうかがったうえで、教員やフリースクール関係者に取材した。

体罰による影響

そもそも、体罰を受けた子どもにはどんな影響があるのだろうか。児童精神科医・高岡健さんは、体罰を受けた影響は大きく2つあると指摘する。

一点目は「なんらかの理由を説明されて暴力を受けるため、体罰は本人の自尊心をズタズタにしてしまう」という点。

二点目は「自尊心を奪われた人は、自身も体罰をふるってしまう危険性がある」という点。

児童精神科医・高岡健
児童精神科医・高岡健

前者は自傷や自殺につながり、後者は体罰の連鎖から他害へとつながる。これらが、いかなる理由があれ体罰が問題である根拠だと、高岡さんは指摘する。

体罰は2年連続減

文科省が発表した「体罰の実態把握について」によると、2015年度に小中高で発生した体罰は890件(前年度比236件減)。被害を受けた児童生徒は1699人(前年度比291人減)。全児童生徒数に占める割合は0.01%(前年度同率)であった。

体罰の発生件数
体罰の発生件数

2012年12月23日、大阪市立桜宮高校2年生のバスケットボール部主将の男子生徒(17歳)が自殺。男子生徒が書き残した手紙には体罰が「つらい」と記されていた。この問題を受け、文科省は2013年に実態把握の徹底を通知。こうした影響を受け、2012年度分の調査結果は突出して多くなっている。

現在、体罰はクローズアップされているが発生件数自体は減少傾向にある。この調査結果は現状を反映しているのだろうか。

40年以上、公立小学校教員を務めている岡崎勝さん(名古屋在住)は体罰の傾向について「長期スパンで見ると下げ止まり感はある」と話す。

過去15年間の推移(体罰に係る懲戒処分等)を見ると、2001年度から11年間は400件台近くを推移。2012年度、2013年度は突出し、その後は減少している(※)。

過去15年間の体罰にかかる懲戒処分等の推移
過去15年間の体罰にかかる懲戒処分等の推移

岡崎勝さんによれば、すでに「愛のムチ」として公に体罰を肯定する教員は存在しない。現在起きている体罰は「教員が言うことを聞かない子どもへの怒りをコントロールできないで、見下されたと思い込み、パニックになって手が出してしまったなどのケースがほとんどではないか」と岡崎さんは言う。

つまり、体罰を容認する教員はほとんどいないが、体罰がなくなりきらないのが現状だ。

その背景として岡崎さんは「学校から生徒への要求が細かくなった点」と「大人も子どもも『トラブルの回収』が下手になってきた点」を挙げた。

現場の知恵を共有することで

「トラブルの回収」とは、ケンカや規則違反などが起きたときに、どこで教員と子どもが「落としどころを見つけるか」である。子どもどうしや対教師とのトラブルが生じた際、「落としどころ」をおたがいが見誤ると、問題がこじれ、最悪の場合は体罰にもつながりかねない。

体罰に発展しないためには「トラブルの状態のうちに、うまく解消してあげないといけない」と岡崎さんは言う。

そしてトラブルの解消、ひいては体罰予防のための具体策として、岡崎さんは自身の経験から二つのことを決めているという。

一点目は「生徒を叱るときは叱るパターンとゴールを原則的にとりあえず決めておくこと」。

二点目は「トラブルが起きた際、怒りが爆発しそうなときは、ほかの教員に請け負ってもらうことも視野に入れること」。

子どもが密集する学校現場では、もめごとや規則違反といったトラブルは日常茶飯事。トラブルが起きた場合に、教員も生徒も感情的にならないよう「離れ方」を覚えていく必要がある。

人との「離れ方」などは教科学習に含まれていないだろうが、人と人が暮らすうえで大事な処世術。

体罰がなくなりきらないのが現状であれば、こうした現場で積み重ねてきた「知恵」が共有されるべきであろう。

体罰が起こりえない場?

一方、フリースクール(※)では「体罰は起こりえない」と千葉県の「フリースクール・ネモ」代表の前北海さんは言う。

前北さんがその理由として挙げたのは「フリースクールでは大人の求める正解に子どもを合わせない」こと。

筆者も15年間の取材のなかで「フリースクールでは体罰が起こりづらい」と感じてきた。理由は前北さんと同様である。

教員は生徒を管理、コントロールせざるを得ない状況が多い。学校単位、クラス単位の人数を教員が見ていく場合、学生服、校則、授業態度など、事細かな約束事を生徒が守ってくれないと管理しきれないからだ。

フリースクールの場合は、そもそも少人数であり、本人の意思、主体性が第一。来る/来ないですら本人の意思にゆだねられる。

「本人の意思が第一」とは、どんな状況なのか。具体的に言えば、フリースクールには大人が決めつけた時間割はない。

多くのフリースクールでは、ミーティング(会議)の場で個人個人が取り組みたいこと、やりたいことを発言し、それらをまとめたものが「時間割」となる。取り組みの中身としては、教科学習もあれば、お花見に行きたい、ギターを習いたいなど多種多様。

「旅行へ行きたい」など規模が大きな提案が出ると大人と子どもが合同で委員会が持たれる。修学旅行などでは「どこに行きたいか」ぐらいは生徒の意見が取り入れられるが、フリースクールでは、行き方、宿泊数、見学場所、宿泊先なども子どもの意見が主体となり決められていく。

もちろん、ミーティングで発言したからと言ってすぐに実現しないことも多い。たとえば「サッカーがしたい」と言い出しても、学校とはちがい校庭がない。参加人数が少ないことのほうが多いため、サッカーの試合をしようと思えば、他のフリースクールと掛け合わないと試合が組めないこともある。

前北さんに言わせれば「めんどうな話し合いを重ねていくこと」がフリースクールの特徴。危険性がなければ、大人から見て遠回りだとわかっていても本人の意思が尊重されサポートされていく。

フリースクール・ネモ代表 前北海さん
フリースクール・ネモ代表 前北海さん

フリースクールは、このように本人の意思決定が最優先となる。学校と比較すると、それは「正解」を大人が決めるのか、子どもが決めるのかがちがう、ということになるだろう。

大人が決めた正解に子どもを合わせようとすれば、そこから外れた子どもは正していかなければいけない。しかし、正解を子どもの側に見出そうとすれば、子どもを正す必要性が薄くなっていく。

「子どもを正す必要性が薄い」、この点が体罰が起こりづらい状況だと言えるだろう。もちろん、フリースクール内で本当に体罰がないのかは国による調査がない。とくに矯正施設では体罰などが問題になってきた。フリースクールだから体罰が起きないという証拠はどこにもない。

しかし、一度、学者の研究などをベースに、学校と学校外の学び場におけるちがいを検討するのはどうであろうか。「体罰がなくなりきらない」学校が抱える問題を、外側から考えてみたとき、新たな視点が得られるのではないだろうか。

※体罰に係る懲戒処分等……2001年度~2011 年度は「公立学校教職員の人事行政状況調査」における体罰により処分された教員数、平成24年度以降は「体罰の実態把握について」における体罰発生件数のうち、懲戒処分等を行なった件数。

※フリースクール……過去には不登校を対象にした矯正施設などで、体罰事件などが報道された。本稿では、子どもの主体性、自主性を尊重する居場所をフリースクールと定義し、矯正施設は省く。

『不登校新聞』代表

1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2020年から『不登校新聞』代表。これまで、不登校の子どもや若者、親など400名以上に取材を行なってきた。また、女優・樹木希林氏や社会学者・小熊英二氏など幅広いジャンルの識者に不登校をテーマに取材を重ねてきた。著書に『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ社)『フリースクールを考えたら最初に読む本』(主婦の友社)。

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