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「脳腫瘍」の状態を「少量の血液」から判別が可能に、東北大学の研究

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
写真は記事と関係ありません(提供:イメージマート)

 悪性脳腫瘍である神経膠腫については、外科的な切除手術の前に悪性度を知ることで術後の経過を知ることが重要だ。神経膠腫の悪性度などについて、少量の血液検査で判別することのできる技術を東北大学の研究グループが開発し、学術誌に発表した。どんな技術なのだろうか。

神経膠腫という脳腫瘍とは

 脳腫瘍には良性と悪性があるが、がん転移ではない原因が不明な原発性の悪性脳腫瘍の一つが神経膠腫という脳腫瘍だ。原発性脳腫瘍の種類は約150種類にもなるが(※1)、その中で神経膠腫(星細胞腫、乏突起神経膠腫、上衣腫などの種類がある)は全体の1/4以上で最も多い(※2)。

 神経膠腫の治療には主に外科的な手術が用いられるが、放射線治療や化学療法も行われる。外科的な手術では周辺部位へ浸潤した腫瘍を完全に取り除くことができないこともあり、再発防止や再発を遅らせる観点から術後の治療や予後の観察が重要になる。

 手術前に予後を含んだ治療戦略を立てるため、患者の神経膠腫の遺伝子を調べ、異常の度合いを評価することが必要だ。神経膠腫の外科手術では、再発を防いだり再発を遅らせるため、腫瘍の切除範囲を広く取ると術後の患者のQOL(生活の質)が大きく低下する一方、狭い範囲の切除では再発などの危険性が高まる。

神経膠腫に関係する遺伝子変異

 がん細胞で最も変異している遺伝子の一つにイソクエン酸デヒドロゲナーゼ(IDH, IDH1-3)という脱水素酵素(脱メチル化酵素)に関する代謝遺伝子があり、神経膠腫や急性骨髄性白血病などの悪性腫瘍の判別に使われる。

 IDHにIDH1、IDH2、IDH3の3つがあり、活性酸素(ROS)から細胞質を保護したり、ミトコンドリアの中でクエン酸回路を調節するなどの役割をになっている。これまでIDH1とIDH2の遺伝子変異が、悪性度の低い神経膠腫で確認されているが、IDH3について腫瘍との関連は報告されていない(※3)。

 これらIDHの変異は、細胞内で遺伝子の発現パターンを撹乱し、遺伝子を不安定化させて発がん性を生じさせ、がんの環境適応や増殖などに関与することが知られている。

 神経膠腫に含まれる種類によってもIDHの遺伝子変異の状態が異なり、そのため、どの種類の神経膠腫かを知るためにもIDHの判別は重要だ。

 脳腫瘍では、がん組織そのものへのアクセスが難しいため、神経膠腫の状態の判別は、手術で腫瘍を切除後、細胞を検査分析、IDHの遺伝子変異を調べることで可能となる。

 だが、治療戦略のためには、手術後での判別ではなく、手術前や手術中にIDHの遺伝子変異の状態を知ることが必要だ。

 そのため現在は、プロトン磁気共鳴(MRS)分光法や磁気共鳴画像をAIで解析するラジオミクス、液体クロマトグラフィー質量分析法といった診断ツールでIDHの遺伝子変異の検出を行っているが、コストや標準化、人材などの点から実際の臨床現場で使うには難しいという課題があった。

手術前の血液から神経膠腫の状態を判別

 これらの問題を解決するため、患者の血液検査によってIDHの遺伝子変異を判別する技術が期待されてきたが、東北大学の研究グループ(※4)は血液をバイオマーカーとして用い、血液の赤外吸収スペクトルを解析することで、神経膠腫の発症とIDH遺伝子変異の状態を早期に判別する技術を開発し、学術誌に発表した(※5)。

 物質の分析法に、赤外線を物質に照射して透過したり反射したりした光を測定することで、物質の構造を解析したり定量分析をすることのできる赤外分光法という技術がある。赤外吸収スペクトルとは、赤外分光法で赤外線を照射した物質の分子の振動や回転によって生じる変化をグラフ化したものだ。

 赤外分光法は特に新しい技術ではないが、同研究グループは小型化した赤外分光法(赤外フーリエ変換減衰全反射プリズム分光法、FTIR-ATR)装置を独自に開発し、20マイクロリットルという微少量の血液でIDHの遺伝子変異を判別し、手術前の血液から神経膠腫の有無、悪性度を知ることができた。

同研究グループが開発した赤外分光法装置による血液を解析した赤外吸収スペクトルのグラフ。東北大学のリリースより。
同研究グループが開発した赤外分光法装置による血液を解析した赤外吸収スペクトルのグラフ。東北大学のリリースより。

 また、この技術による赤外吸収スペクトルの解析では、血中成分のタンパク質の立体構造の変化などを知ることができるが、IDHの遺伝子変異のある血液ではタンパク質の分子量が多くなったり(重合)凝集度が高くなるといった特徴があった。

 同研究グループは、こうした血液中のタンパク質の変化は脳神経へのダメージを反映し、またアルツハイマー病の血中バイオマーカーであるアミロイドβなどの発現量との関係も考えられ、神経膠腫が悪化する仕組みを解明する糸口になるのではないかという。

 今後、同研究グループは開発した技術を用い、神経膠腫の治療後の血液を赤外吸収スペクトルで解析し、経過的に調べることで再発予測などに生かしていきたいとしている。

※1:David N. Louis, et al., "The 2007 WHO Classification of Tumours of the Central Nervous System" Acta Neuropathology, Vol.114(2), 97-109, 6, July, 2007
※2:成田善孝、渋井壮一郎、「脳腫瘍の治療結果を可視化する大規模データの収集・臨床試験の必要性─脳腫瘍全国集計調査報告の活用について─」、脳神経外科ジャーナル、第24巻、第10号、2015
※3:Georgios Solomou, et al., "Mutant IDH in Gliomas: Role in Cancer and Treatment Options" cancers, Vol.15(11), 2883, 23, May, 2023
※4:東北大学大学院医工学研究科、松浦祐司教授の研究グループ、同大学院医学系研究科神経外科学分野、金森政之准教授ら
※5:Saiko Kino, et al., "Distinguishing IDH mutation status in gliomas using FTIR-ATR spectra of peripheral blood plasma indicating clear traces of protein amyloid aggregation" BMC Cancer, Vol.24, article number 222, 16, February, 2024

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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