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カンヌ映画祭「パルムドール」って何だ

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
パルムドールを持つ是枝裕和監督(写真:Shutterstock/アフロ)

 フランスで開かれているカンヌ映画祭で、最高賞のパルムドールを是枝裕和監督の『万引き家族』が受賞した。日本人が受賞するのは1997年の今村昌平監督『うなぎ』以来21年ぶりということだが、このパルムドールとはいったい何なのだろう。

カンヌ市の紋章もパルムドール

 カンヌ映画祭のマークはパルムドール(Palme d'Or)だ。パルムドールというのは、英語でDate Palm、つまりナツメヤシ(Phoenix dactylifera L.)の葉のついた枝で、同映画祭の最高賞の名前になっている。

 ナツメヤシは日本語でシュロ(棕櫚)とも訳されるが、パキスタンを含む中東からアフリカ大陸中北部にかけて広く分布するヤシ科の常緑高木だ。その果実はデーツ(Date)と呼ばれ、分布地域で主食の1つとして重要な栄養源となり、日本でも種を取り除いて干したデーツをよく見かけることがある。

 カンヌ映画祭では1946〜1955年まで最高賞をグランプリと呼んでいたが、海辺にナツメヤシが立ち並んでいる開催地のカンヌ市に敬意を表し、それ以降、同市の紋章であるナツメヤシの枝、つまりパルムドールを受賞記念の盾の意匠にしてグランプリの代わりに最高賞をパルムドールとした。また、マルタ共和国やフランス・ロワール県のサンテティエンヌの紋章にもナツメヤシが使われている。

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カンヌ映画祭を象徴するナツメヤシの枝。Via:カンヌ映画祭のホームページ

 なぜ、ナツメヤシとその葉や枝が、象徴的なものとしてカンヌ市の紋章になったり映画祭の最高賞の名前になったりしたのだろう。

 もともとナツメヤシの枝(Palm Branch)は、古代メソポタミアや古代エジプトで永遠の生命を表すものだった。この象徴化は、当時からナツメヤシが重要な食料だったことからきていると考えられているが、古代ギリシャでも競技の勝利者に「戦捷木(せんしょうぼく)」としてナツメヤシの枝を与え、勝利と栄光を表すものともされた。

 ナツメヤシはユダヤ教やイスラム教でも収穫を祝ったり安息を表す象徴的な存在だが、キリスト教でも重要な植物だ。それは、イエス・キリストが弟子たちと山の上で「変容(Transfiguration of Jesus)」し、その後にエルサレムへ凱旋した時、民衆が手に手にナツメヤシの枝を持って出迎えたという聖書の記述にも現れている。

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紀元前5世紀のアケメネス朝のレリーフにも両側にナツメヤシが配されている。Via:「Hjaltland Collection」

デーツには抗酸化作用が

 ナツメヤシの実デーツには、抗酸化作用を持つアントシアニン(Anthocyanin)やビタミンAの元となるカロテノイド(Carotenoid)などが豊富に含まれている。だが、こうした栄養素の一部は干したり乾燥させる過程で失われるようだ(※1)。

 国連食糧農業機関(FAO)によればナツメヤシの生産量は全世界で合計846万トンとなっている(2016年)。アーモンドの生産量は年に約100万トンといわれているが、トウモロコシの約8億トン、米の約4.7億トンに比べれば少ない。寿命の長いナツメヤシは、実をつけるまでに時間がかかり繁殖力が弱いことが影響していると考えられている(※2)。

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ナツメヤシの断面図。日本でよく見るシュロとは違うことがわかる。Via:ChihCheng T. Chao, et al., "The Date Palm (Phoenix dactylifera L.): Overview of Biology, Uses, and Cultivation." HortScience, 2007

 このように中東やアフリカ大陸中部以北で重要な植物であるナツメヤシは、古くから栽培され、原産地から広まっていった。もともとの原産地については議論が続いているが、種子の形状解析によって現在では紀元前14〜8世紀にかけてオマーンからモロッコあたりまで人類の手によって運ばれたと考えられている(※3)。

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ナツメヤシの原産地からの伝播の様子。種子の形状からペルシャ湾岸のオマーン、アラブ首長国連邦、カタール、イランあたりが原産地と考えられ、大きくアラビア半島とアフリカの角であるソマリアあたりの種、トルコからクレタ島あたりの種、モロッコ沿岸の種に分かれた。Via:ean-Frederic Terral, et al., "Insights into the historical biogeography of the date palm (Phoenix dactylifera L.) using geometric morphometry of modern and ancient seeds." Journal of Biogeography, 2012

 数千種といわれるように栽培地域によって種類が多く、生育に時間のかかるナツメヤシの遺伝子解析はなかなか進まなかったが、2009年にほぼ終わり、次第にそのルーツや伝播の様子が明らかになってきている。だが、地域的な差異でゲノムサイズが大きく変わるナツメヤシでは、染色体の数も正確にわかっていないように、性染色体などによる遺伝情報から原産地や栽培の歴史を詳しく知るまでには至っていない(※4)。

 西洋や中東の文明に強い影響を与え、映画祭の最高賞の名前にもなっている植物だが、意外にもその実態は科学的にまだよく解明されていない。日本人にとっても馴染みが薄いナツメヤシだが、乾燥デーツをつまみにしつつ、是枝監督の映画『そして父になる』(2013年)でも観ることにしよう。

※1:Mohamed Al-Farsi, et al., "Comparison of Antioxidant Activity, Anthocyanins, Carotenoids, and Phenolics of Three Native Fresh and Sun-Dried Date (Phoenix dactylifera L.) Varieties Grown in Oman." Journal of Agricultural and Food Chemistry, Vol.53(19), 7592-7599, 2005

※2:ChihCheng T. Chao, et al., "The Date Palm (Phoenix dactylifera L.): Overview of Biology, Uses, and Cultivation." HortScience, Vol.42(5), 2007

※3:Jean-Frederic Terral, et al., "Insights into the historical biogeography of the date palm (Phoenix dactylifera L.) using geometric morphometry of modern and ancient seeds." Journal of Biogeography, Vol.39, 929-941, 2012

※4:Lisa S. Mathew, et al., "A first genetic map of date palm (Phoenix dactylifera) reveals long-range genome structure conservation in the palms." BMC Genomics, Vol.15: 285, 2014

※原産地からの伝播のマップを入れた:2018/05/22:13:38

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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