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「歯垢」からわかる喫煙の歴史〜先住民族とタバコ

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:Andina Agency/ロイター/アフロ)

 タバコの煙は部屋の壁などにヤニをつけて汚す。筆者もタバコを吸っていた頃、歯の裏がヤニで真っ黒だった。一方、考古学的な遺跡から発掘された遺体の歯からヤニを検出し、タバコと喫煙の歴史を探ろうという研究もある。

喫煙は宗教的儀式だった

 今や世界中に拡がっているタバコと喫煙習慣は、大航海時代に新大陸からヨーロッパへもたらされたとされている。アジアを含めた旧世界がタバコを知ってから、せいぜい500年くらいしか経っていないというわけだ。

 新大陸の先住民族の間でタバコがどれくらい前から吸われていたのか、その考古学的な証拠はまだはっきりされていないが、紀元前2100年頃とされるアルゼンチン北西部の遺跡からはタバコのパイプが発見されている。タバコという植物自体は南米原産でその後、北米大陸などへ拡がっていったようだ(※1)。

 南米の先住民族にとってタバコは、幻覚作用をもたらす祭事的な薬物だったらしい。スペイン人による征服以前の南米の多様な文化圏で発見されたミイラの頭髪からは、アルカロイド系自然幻覚物質のジメチルトリプタミン(N,N-dimethyltryptamine、DMT)、セロトニン(神経伝達物質)やメラトニン(睡眠に関係するホルモン)などのトリプタミン類とともにニコチンが検出されている(※2)。

 北米大陸では紀元前2000年頃の遺跡からパイプが発見されているが、これでタバコを吸っていたのかどうかはわからない。今のところ、はっきりとニコチンが検出されているのは、紀元前300年頃の米国バーモント州Boucher遺跡で発見されたパイプからだ(※3)。

 狩猟採集社会だった北米の先住民族の場合、石のパイプでもタバコを吸っていた。少なくとも西暦860年ごろまでさかのぼる北米西海岸の遺跡から発見された石製のパイプからはニコチンやニコチンの代謝物コチニン、南米原産のキダチタバコ(Nicotiana glauca)に含まれる毒素の強いアナバシン(anabasine)、植物性フェノールのアルブチン(arbutin)が検出されている(※4)。

 南米の先住民と同様、北米大陸の先住民族も狩りの成功や収穫を祈願する宗教的な儀式としてタバコを吸っていたのではないかと考えられている(※5)。だが、喫煙はやがて北米の先住民のほとんどの部族へ蔓延し、祈祷的な儀式のツールから習慣化していったようだ(※6)。

歯垢による初めての考古学研究

 これまでタバコや喫煙についての考古学的な証拠は主にパイプという喫煙具の遺物から得ていたが、米国のワシントン州立大学の研究者が遺跡から発見された遺体の歯垢からニコチンを検出する方法を新たに編み出したと発表した(※7)。

 前述したように、遺跡からパイプが発見されたからといってタバコを吸っていたかどうかわからない。また、石製のパイプは残るが有機物で作られたパイプが長期間、保存されることは少ないだろう。ミイラの頭髪にしても同様だし、喫煙の習慣が部族社会のどれだけ広まっていたかどうかもわからない。

 今回発表された手法は、従来ほとんど無視されてきた遺体の歯垢から喫煙の痕跡を探ろうとするものだ。歯垢にこびりついたタバコのヤニは、時間とともに厚くなり、喫煙の度合いにより個々人で異なる。また、タバコのヤニ以外にもタンパク質や口中菌のDNAなども分析できるかもしれない。

 研究者は、米国カリフォルニア州サンフランシスコ湾のオローニ(Ohlone、あるいはコスタノ)族という先住民族の協力を得て、300〜6000年前に埋葬された8人の歯から歯垢を採取し、ニコチンを液体クロマトグラフィー・質量分析法によって分析した。すると8人のうち2人にニコチン陽性反応があったという。2人のうち、1人の成人男性はパイプとともに埋葬され、1人の高齢女性の臼歯からニコチン反応が出た。

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喫煙をするヨクツ(Yokuts)語族の女性。1945年に撮影されたもの。Via:Jelmer W. Eerkens, et al., "Dental calculus as a source of ancient alkaloids: Detection of nicotine by LC-MS in calculus samples from the Americas." Journal of Archaeological Science: Reports, 2018

 出産や育児期の女性には禁じられていたのかもしれないが、高齢女性の喫煙が社会的に容認されていたのではないかと研究者はいう。今回の研究は歯垢を用いた初めての考古学的なアプローチで、ニコチン以外の物質の探索が進められていく可能性を秘めている。

※1:Elisa Guerra-Doce, "Psychoactive Substances in Prehistoric Times: Examining the Archaeological Evidence." The Journal of Archaeology, Consciousness and Culture, Time and Mind, Vol.8, Issue1, 2015

※2:Javier Echeverria, et al., "Nicotine in the hair of mummies from San Pedro de Atacama (Northern Chile)." Journal of Archaeological Science, Vol.40, Issue10, 3561-3568, 2013

※3:Sean M. Rafferty, "Evidence of early tobacco in Northeastern North America?" Journal of Archaeological Science, Vol.33, Issue4, 453-458, 2006

※4:Shannon Tushingham, et al., "Hunter-gatherer tobacco smoking: earliest evidence from the Pacific Northwest Coast of North America." Journal of Archaeological Science, Vol.40, 1397-1407, 2013

※5:Dennis B. Blanton, "Evolution of a Ritual: Pipes and Smoking in Etowah’s Realm." Perspectives on the Archaeology of Pipes, Tobacco and other Smoke Plants in the Ancient Americas, 2016

※6:Joseph C. Winter, "Tobacco Use by Native North Americans: Sacred Smoke and Silent Killer (The Civilization of the American Indian Series)." University of Oklahoma Press; Second Printing edition, 2001

※7:Jelmer W. Eerkens, et al., "Dental calculus as a source of ancient alkaloids: Detection of nicotine by LC-MS in calculus samples from the Americas." Journal of Archaeological Science: Reports, Vol.18, 509-515, 2018

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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