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パンダの「指」はなぜたくさんなのか

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 筆者の父は、筆者が物心ついたときから左手の親指と人差し指が欠損していた。戦災で失ってしまったのだが、その左手も使いながら模型を作ってくれ、一緒に釣りに行ったりしてくれた。左手に残った3本の指を使い、器用に帆船模型のロープを張り、釣り針に餌を付けてくれたのだ。

パンダの解剖でわかったこと

 だから、指の数は必ずしも5本ではない、ということは子どもの頃から身近な事実としてあった。ところで、ジャイアントパンダ(以下、パンダ)の指が「5本」ではないことも有名な話だろう。

 1869年にパンダの存在を最初に世界へ報告したのはバスク出身のフランス人宣教師、アルマン・ダビッド(Armand David)だったが、近代西洋の解剖学により最初に詳細な記録を付けたのはドワイト・デイヴィス(Dwight Davis)だ。デイヴィスはオスのスーリン(Su Lin)を解剖し、その他の骨格標本などと一緒にパンダを分析し、結果を1964年に発表する(※1)。

 スーリンは、米国の女性ファッションデザイナー、ルース・ハークネス(Ruth Harkness)により、まだ生後9週のときに中国から米国へ運ばれた。1936年のことだ。シャーリー・テンプルなどが見に来るような人気者になったが、1938年4月、生後16ヶ月のときに米国のシカゴ動物園で肺炎にかかって死んでしまう。

 デイヴィスは保存されていたスーリンを解剖したのだが、約四半世紀後でも筋肉や内臓、神経などの組織の状態は良好だったらしい。彼の分析により、パンダがクマの仲間であることがはっきりし、歩き方などもクマと同じであることがわかった。最近の遺伝子解析などによっても、彼の知見は支持されている。

 だが、パンダとクマとでは違う部分も多い。例えば、前足の内側、手の平の側の違いは特徴的だ。パンダには肉球のような突起があり、これが「第6の指」として有名になったのは米国の進化生物学者、スティーブン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould)の著書『パンダの親指(The Panda's Thumb)』(1980)の影響だろう。

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パンダ(左)とアメリカクロクマ(右)の違い。パンダの前足の内側の下のほうに肉球のような突起が2つあるのがわかる。Via:D. Dwight Davis, "The Giant Panda." Fieldiana: Zoology Memoirs, 1964

 グールドは生物の各部位が持つ機能の融通無碍な魅力を語っているが、クマの仲間であるパンダの前足は親指も2次元的な放射状で、我々人間のように親指がほかの4本の指と対向して3次元的に物体をつかむことが難しい構造になっている。パンダの主食は竹だが、竹をつかんで引き寄せたり、食べる際に保持するには、この前足では不自由だ。

第7の指とは

 だからパンダは、前足の種子骨(しゅしぼね)を進化させ、撓側(しゅがわ)種子骨をあたかももう1本の親指(ニセの親指)のように発達させて竹の保持に使っている、とグールドは解説している。つまり、パンダの前足は本来の5本の指と手の平のニセの親指で物体をつかむことができるように進化した、というわけだ。

 だが、上の図をよく見ると手の平の肉球がもう一つあることに気付く。日本の比較解剖学者である東京大学の遠藤秀樹教授らは、パンダの前足をCTスキャンし、放射状の前足が物体をつかむためには「第7の指」が必要であることを指摘した(※2)。

 遠藤らは、第6の指である種子骨は固定されており、内側に反転してもしっかり物体をつかめないのではないかと考え、第7の指である小指側の副手根骨の存在が重要と考えた。この第7の指とも言える副手根骨があることで、パンダが前足を内転させると3次元的な空間が形成され、竹などの物体をつかむことが可能となる。

 ホメオティック(Homeotic)遺伝子(Hox遺伝子)は生物の発生の初期に身体の組織などを決めることに深く関わっているが、脊椎動物の四肢の場合、その先端の発現パターンはホメオティック遺伝子によって5つに分割される。5つしかないから四肢の指は5本ずつになるしかない(※3)。

 だが、生物の身体というのはグールドが言うように融通無碍だ。筆者は、父が欠損した左手の親指と人差し指の付け根にできた突起を器用に使っていたことを思い出す。竹を主食とするパンダは、代替的な2本の指を手の平に発達させたのだ。

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上野の国立科学博物館にあるパンダの前足の骨格(レプリカ)と1997年に死んだメスのパンダ、ホアンホアンの剥製。親指側に撓側種子骨が、小指側に副手根骨があるのがわかる。写真:撮影筆者

※1:D. Dwight Davis, "The Giant Panda." Fieldiana: Zoology Memoirs, Vol.3, 1964

※2:Hideki Endo, et al., "CT examination of the manipulation system in the giant panda (Ailuropoda melanoleuca)." Journal of Anatomy, Vol.195, Issue2, 295-300, 1999

※2:Hideki Endo, et al., "Carpal bone movements in gripping action of the giant panda (Ailuropoda melanoleuca)." Journal of Anatomy, Vol.198, 243-246, 2001

※3:Clifford J. Tabin, "Why we have (only) five fingers per hand: Hox genes and the evolution of paired limbs." Development, Vol.116, 289-296, 1992

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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