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「負けることは“死”」元白鵬・宮城野親方、批判されても… 横綱の品格とは何か 【断髪式に寄せて】

飯塚さきスポーツライター
横綱の品格について私見を語っていただいた宮城野親方(写真:日本相撲協会提供)

平成の大横綱・白鵬。令和3年大相撲7月場所で復活の全勝優勝を果たしたものの、翌場所を全休。そのまま約20年間の力士人生に終止符を打った。

引退届を提出してからおよそ1年4ヵ月。ついに髷との別れを告げるときが近づいてきた。優勝45回、幕内通算勝ち星1093、横綱在位84場所など輝かしい栄光をつかむ一方で、言動や取り口に批判を浴びることもあった。そういった声を受けながら、何を思い戦っていたのか。親方がいま考える「横綱の品格」とは。1月28日の引退相撲を前に、自身の相撲人生を振り返っていただいた。

土俵上の“もう一人の白鵬”が見ていた景色

――今月末、ついに髷との別れを告げる宮城野親方。現在の心境はいかがですか。

「2021年9月末に引退届を出してから1年以上。長かったですね」

――断髪式を前に、あらためて横綱としての軌跡を振り返りながら、親方の思う「横綱の品格」について深掘りさせてください。いきなり重いテーマになりますが、およそ14年4ヵ月と長く横綱として土俵に立ち続けるなかで、立ち合いでのかちあげや張り差しなどを、横綱らしからぬとたびたび指摘されることがありました。当時はそういった批判をどのように受け止めていましたか。

「そうですね。時々取り入れていたかちあげや張り差しが、いつの間にかそれをすれば話題になってしまい、なんでだろうと思っていました。直す努力もしましたが、勢いのある若手が増えてきて、自分なりに相手を分析して考えた結果の立ち合いだったんですよね。実はかなりリスクのある方法で、言ってしまえば私にしかできないので、むしろ褒めてほしいくらいの気持ちでした……。土俵上では人が変わったように、もう一人の白鵬がいました。たまに録画したものを自分で見ても、変な感じがしましたから」

――土俵に立つ「もう一人の白鵬」には、どのような景色が見えていたのでしょうか。

「人間というのは、死ぬとき、交通事故など命の危機が迫ったとき、そして脳をフルに集中させたときにスローモーションの走馬灯を見ると言われることもありますが、私は15歳のときからずっと取組がスローモーションで見えていました。でも、それが普通じゃないってこと、みんながみんなそうは見えていないってことを、4年前にやっと知ったんです。部屋の力士たちに聞いたら『(取組は)すぐ終わります』って言うから。同じ土俵に立っていても、体感時間が違うんですね。私は帰って(取組の)ビデオを必ずチェックするんですが、目で見るとたしかに速い。でも、脳がスローモーションで覚えています。専門家に言わせると、これはゾーンともまた違う現象みたいです」

――そんなふうに戦われてきたんですね…。驚きです。

「私が横綱に昇進したばかりの頃、昭和の大横綱の大鵬さんに『横綱になった瞬間、引退することを考えた』と言われました。横綱は負ければ引退。つまり、自分のなかで負けることは“死”だと思ってしまったんです。だから、取組がスローモーションに見えたり、勝ちにこだわったりしてしまったのかもしれません。自分のなかでは精いっぱいでした。現役最後の1年半は、寝るときに睡眠薬を飲んでいたほどです。気迫あふれる人間じゃなかった。弱い部分がいっぱいあります」

横綱としての振る舞いに批判も。数々の記録をもつ大横綱が「弱い部分はいっぱいあった」と吐露する(写真:日刊スポーツ/アフロ)
横綱としての振る舞いに批判も。数々の記録をもつ大横綱が「弱い部分はいっぱいあった」と吐露する(写真:日刊スポーツ/アフロ)

横綱の品格は「優しさ、そして勝つこと」

――横綱の責任を果たすために勝ちにこだわっていた。「負け=死」というのは重い言葉です。

「『日本書紀』にあるんですが、1500年前、野見宿禰(のみのすくね)が当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲を取ったとき、野見宿禰は相手を蹴り殺しました。相撲ではもともと、まさに負けが死を意味したんです。私は誰よりも稽古したと自信をもって言えていたので、最後の場所を全勝で締めくくれたのは、そんな相撲の神様が与えてくださったご褒美だと思っています。ただ、いまの土俵も実は熱くて、お相撲さんたちみんな勝ちにこだわっています。結果を出すために筋トレもするし、プロテインも飲む。1人1人の意識が高くなってきたと思いますね」

――親方が楽しく相撲を取れていたのはいつくらいまででしたか。

「関脇までです。そこからは責任感。死にに行くのに何が楽しいのか、勝って当たり前というプレッシャーのなかでしたから。その頃から、松山千春さんの『凡庸』(作詞・作曲:松山千春)という歌がすごく好きになりました。『言葉にするほど幸せでなく、涙にするほど不幸でもない』。周りから見たら、横綱っていいな、カッコいいなって思われるかもしれませんけど、“勝ってもさほど幸せではなく、負けて涙するほど不幸でもない”っていう状況だったんです」

――刺さる歌詞ですね。では、現役時にご自身が思っていた「横綱の品格」とはどのようなものだったのでしょうか。

「昔からお相撲さんは“気は優しくて力持ち”といわれます。土俵の上では鬼になるけど、土俵から下りたら我に返る。自分のなかではそういう意識があったから、品格とは『優しさ』だと思いますね。それに加えて、横綱の品格はやっぱり『勝つこと』。横綱は『力量、品格抜群』ですから。ただ、完璧な人間はいませんし、品格とはと問われてなかなかすぐに言葉は出ないと思います」

横綱の品格は「勝つこと」。その言葉通り、強い横綱として白星を重ね続けた(写真:日刊スポーツ/アフロ)
横綱の品格は「勝つこと」。その言葉通り、強い横綱として白星を重ね続けた(写真:日刊スポーツ/アフロ)

今後はさらなる相撲の普及に尽力の姿勢

――大きな相撲愛のある親方にとって、相撲の魅力はどんなところにあるとお考えですか。

「相撲のある国は、世界に二十数ヵ国あるらしいんですが、国技にまで成長したのはモンゴル相撲と日本の大相撲だけです。この素晴らしいコンテンツがあったからこそ、自分はここまで成長することができました。今度は、日本の伝統文化としての大相撲を世界に発信し、現代の侍がここにいることをアピールするための努力をしたいと思います。単なるスポーツではなく、五穀豊穣を願い、神に捧げる儀式。そういう部分を世界に伝えていきたいですね」

――日本で、そして角界で親方として生きていく選択をしたのも、そのためでしょうか。

「そうですね。いい弟子をたくさん育てて、相撲をもっと世の中に広めたいんです。世界でもトップを走る国、日本。この国から発信していくことに意味があります。レスリングの元選手でモンゴル史上初の五輪メダリストであり、モンゴル代表監督も務めて世界中を周った父の『我が道を行け』という言葉も後押ししてくれました」

――素敵ですね。では、親方は今後、角界をどうしていきたいですか。

「2022年は平幕優勝が相次ぎ、ファンは盛り上がってよかったかもしれませんが、やっぱり番付がありますからね。お客さんには『横綱、大関が強かったな』っていう思いで帰ってもらわないといけない。そういった強い横綱・大関が出てくると、負けたら『今日は珍しいものを見たな』という感覚になる。今年はそれを期待したいし、自分自身も親方として1日も早く横綱・大関をつくりたい。それが、いまの自分にできる角界への一つの恩返しであり、そうできれば、相撲道の発展につながっていくと思っています」

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スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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