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5月場所新十両の風賢央「部屋のみんなで成長したい」 師匠の元豪風・押尾川親方は相撲のスピードを評価

飯塚さきスポーツライター
新十両昇進を決め、笑顔でインタビューに応えてくれた風賢央(写真:筆者撮影)

大相撲春場所で見事幕下優勝を果たし、新十両昇進を決めた風賢央。元関脇・豪風が2年前に興した押尾川部屋からは、初の関取誕生となった。押尾川部屋一期生としてスカウトし、自身の母校・中央大学出身でもある風賢央について師匠は「物静かで真面目な子。スピードのある厳しい相撲を取ります。たまにあごが上がって上体が高くなるときがあるので、そのあたりの精度を上げていければ、またすぐ上のステージにいくでしょう」と太鼓判を押す。

師匠である元関脇・豪風の押尾川親方(写真右)に稽古場で指導を受ける風賢央(写真:筆者撮影)
師匠である元関脇・豪風の押尾川親方(写真右)に稽古場で指導を受ける風賢央(写真:筆者撮影)

指導する押尾川親方は力強く語る。「礼儀正しく、ケガに強く、そして勝負強い力士の育成を目指しています。土俵の上は生き様であり、人生の縮図。逃げたりごまかしたり楽しようとするのではない、攻める相撲道の姿勢を大事にしています」と。そんな押尾川部屋で成長する風賢央とは、どんな力士なのか。本人にインタビューした。

最後の相撲では無意識の緊張も堂々の幕下優勝

――3月場所を迎えるにあたって、稽古の様子はいかがでしたか。

「2月から宮城野部屋や鳴戸部屋など近くの部屋に出稽古に行き、逆に部屋には雷部屋や九重部屋が来てくださったので、すごく充実していました」

――結果としては7戦全勝での幕下優勝でした。特によかったと思う相撲は。

「3番相撲の富士の山戦では、一気に前に出られたので、いい相撲だったなと思います」

――最後は阿武剋さんとの対戦でした。勝てば優勝のかかる一番で、緊張はありましたか。

「6番相撲までは全然緊張しなかったんですけど、優勝と新十両がかかっていたので、どこかしらで緊張していたのかなと思います。体は硬かったし、稽古場からいっちょ押しやぶつかりといった普段していることも、6番相撲までの自分の動きと全然違ったので、意識していないと思っていても無意識に緊張しているんだなと思いました。右を差されて危なかったんですが、前に出るしかないと思ってがむしゃらに出たら勝てたのでよかったです。優勝できたので、すごくいい場所でした」

――理想としているのはどんな相撲ですか。

「立ち合いではじいて相手を前に持っていき、ハズ押しで中に入っていく相撲が理想です。いま体重は155キロくらいですが、小さいほうなので、スピードで先に相手に当たって相撲を取る感じです」

――そのために稽古場ではどんなテーマで取り組んでいますか。

「スピードをもって体の重い相手にぶつかると、自分の体がはじかれて、どうしても上体が起きてしまうんです。そこから胸を合わせて負けることが多かったので、はじかれないように当たって、体を低く保つ稽古をしています。例えば、首を押さえてもらいながら、上半身をぶらさないようにお腹に力を入れてすり足をする。体の軸を鍛えれば、上にはじかれないし、下にも落ちません。去年の7、9、11月場所は負け越してしまったんですが、そのなかで多かったのが変化やはたきで負けることでした。頭からいってしまうと、はたかれたときにどうしても体が前に落ちてしまうので、手から相手の体に当たっていくこと。手から当たるイメージで取ることによって、はたかれても体が動いて落ちなくなりました」

体の軸を鍛えるためのすり足。当たったときに体がはじかれないようになるという(写真:筆者撮影)
体の軸を鍛えるためのすり足。当たったときに体がはじかれないようになるという(写真:筆者撮影)

――とってもわかりやすい!考えられた稽古ですね。いま、体重155キロとのことですが、もっと増やそうとしているんですか。

「はい、理想は160~165キロくらい。年齢も年齢なので、筋肉をつけながら、あと10キロくらい増えればいいなと思っています。親方にお金を出してもらって、みんな近くのジムに無料で行けるようになっているので、すごくありがたいです。自分でメニューを組んでウエイトをしたり、走ったり。大学時代のトレーナーさんに見てもらうときもあります」

――普段の過ごし方は。

「外出をあまりしないんですが、大阪場所でよく行ったのは温泉。寒かったので、広いお風呂に気持ちよくゆっくり入りたくて、リラックスしに行っていましたね。趣味はスポーツ観戦。兄弟子の飛燕力さんが野球好きで、僕もカープファンなので、カープの試合をテレビで見ることもあります。なかなか観戦に行く機会はないんですが、機会があればいつでも行きたいです」

コロナ禍の悔しさで入門を決意 師匠との出会いも

――相撲を始めた経緯を教えてください。

「出身は広島ですが、転勤族だったので、その後福岡、愛媛へと引っ越しました。愛媛には、小学校にひとつ土俵があるんです。地区の大会が盛んで、体重はないけど背が高かったので誘われて出たら結果が出て、松山市の春日館相撲道場という、片男波親方(元関脇・玉春日)が通っていた道場の先生にスカウトしてもらい、小学5年生から始めました」

――ほかの競技経験は。

「父がスポーツクラブの先生だったので、小学生の頃は体操、サッカー、空手をやっていて、中学は柔道部に入りました。でも、本格的に相撲を始めるために、中学2年生のときに相撲部のある野村中学校に転校して、その高校の寮に住みながら通い、高校はそのまま野村高校へ進学しました」

――そして、親方と初めて会ったのが、高校1年生のときだったんですよね。

「そうです。野村高校の上杉監督が、親方と大学の同期なんです。その縁で、自分も中央大学に進みました」

高校1年生で、初めて師匠(写真右)と会ったとき。師匠はまだ現役力士だった(写真:本人提供)
高校1年生で、初めて師匠(写真右)と会ったとき。師匠はまだ現役力士だった(写真:本人提供)

――就職する道もあったと思います。入門を決意したのはなぜですか。

「それこそ上杉監督に、大学を卒業したら市役所の職員になって、指導者として帰ってきてほしいと言われていたんですが、コロナで大会もほとんどなくなって、何も結果が残せませんでした。授業はオンラインで大学にも行けない日々。4年生になったばかりの頃、部屋を興す親方に『お相撲さんになる道もあるぞ』と声をかけてもらい、人生一度きりしかないので挑戦してみようと思いました」

――そこから、たった2年でここまで来ました。

「いえ、中学や高校から来ている子たちとは、年齢も時間も違うので、早く上がらないとという意識がずっとありました。本当は各段全部優勝していくつもりだったので悔しかったですし、稽古しても勝てない日々はもどかしく、何をしたら勝てるんだろうともがいていました。やっと上がれたな、時間がかかったなと思っています。ここからがやっと始まりです」

――次の5月場所を迎える現在の心境は。

「楽しみも緊張もあり、人からの注目もあるかもしれませんが、気にせず自分のことをするだけ。親方にはよく、自分が何をしたらいいのか、何をしたら勝てるかを常に考えろと言っていただいているので、特別なことはせず、いま自分ができることを最大限しようと思っています」

――これからどんなお相撲さんになっていきたいですか。

「22歳で入門し、ちょうど3年目に突入しましたが、角界ではまだまだ新弟子。わからないこともたくさんあります。稽古だけでなく人付き合いもして、より相撲に詳しくなって、入って来る弟弟子に教えてあげることもしたい。関取としての振る舞いを勉強させてもらいながら、部屋のみんなで成長していけたらなと思います」

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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