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2001年「決まり手改定」の裏側とは? 決まり手係・大山親方が試行錯誤の歴史語る

飯塚さきスポーツライター
2002年9月場所、朝青龍が貴ノ浪に伝え反りで勝利(写真:日刊スポーツ/アフロ)

「決まり手係」を30年以上務める、大山親方(元幕内・大飛)のインタビュー後編。大相撲の決まり手は、2001年1月に12手追加されて、現在の82手に整理されたのだが、それを進めたのが大山親方だった。今回は、大山親方が見てきた決まり手の歴史と、決まり手係としてのこれまでの歩みについて伺った。

(前編はこちら

話を伺った大山親方(写真:筆者撮影)
話を伺った大山親方(写真:筆者撮影)

大山親方が決まり手係になるまで

1983年に引退後、新弟子力士たちを教育する「相撲教習所」の担当になった大山親方。当時指導してくれた竹縄親方(元幕内・鳴門海)が決まり手係も担当していたため、大山親方もその職務に就くことになった。

「決まり手の本をいつも持ち歩いて、まずは技の名前を覚えるところから始まりました。当時はビデオ判定もなかったので、決まり手の判断も一発勝負。決まり手係の親方は、アナウンス係のすぐ隣や三角マスに座って、取組を見ていました。最初は怖かったですよ。一発勝負ですし、本をめくったって間に合わない。もつれたらなんて言ったらいいんだろう、みんな押し出しか寄り切りにならないかなあなんて、ドキドキしていました。とにかく慣れでしたね」

2001年1月 決まり手改定までの流れ

決まり手は、それまで雑多に存在していたものが、1955年5月に68手にまとめられ、さらに60年1月に70手に整理されて、長くその形を保ってきた。しかし、92年。初めてモンゴル出身力士・旭鷲山が入門してきたことで、大山親方のなかで課題が浮かんでくる。

「教習所で、我々が『円から出せば勝ちなんだから、押せ』と言っているのに、旭鷲山は相手を土俵の真ん中に持ってきて後ろにひっくり返したり転がしたりしようとする。いままで見たこともない技が繰り出されるわけです。こういった新しい技にも、決まり手を用意しておかなければならないのではないか――そう思ったんです」

そこから大山親方は、相撲博物館で古い文献をめくって研究を重ねた。当時の時津風理事長には、「背中を向けて寄り切ったら、寄り切りですか」と尋ねた。ラジオで寄り切りといえば、聞いている人は正面を向いて寄ったと思うだろう。しかし、古い文献にはそれを的確に示す「後ろもたれ」という技があった。理事長は納得し、決まり手改定に快諾してくれた。

試行錯誤を重ね、2001年1月。ついに、大山親方が追加した12の決まり手を合わせた82手が、正式に決まり手として制定された。大山親方の、親方としての最大の功績といえる。

これまで見てきたなかで印象に残る取組を聞くと、親方はこう答えた。

「一つ選ぶなら、2002年9月場所、朝青龍対貴ノ浪で出た伝え反り。後ろもたれなどと一緒に新しく追加した技のひとつだったからです。古い文献で見つけたときも、それが制定されたときもうれしかったけど、しかもそれが本土俵で現れた。ほらみろ!という気持ちでした」

後ろもたれが出た取組で覚えているのは、高見盛(2004年7月場所の追風海戦と2011年1月場所の豊桜戦)だという。

「自分の持ち場で頑張れたこと。できることを存分にできた気がするので、少しでも協会のお役に立てたかなと思います。長年決まり手係を務めてきて、大きなやりがいを感じた一連の出来事でした」

決まり手係の親方衆の試行錯誤が、土俵の充実の一端を支えている。82手のうち、今後いくつの決まり手が見られるだろうか。今日からの土俵も、楽しみにしていきたい。

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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