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「死者はこれから増える。死ぬまで助け続ける」左足を失った元復旧員に聞く 2.6万人超が癌 テロ21年

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
パークにある故人の名前が刻まれたウォール。写真:tbrnewsmedia.com

 9.11アメリカ同時多発テロから21年。

 ニューヨーク州ネスコンセットにある「9/11 レスポンダーズ・リメンバード・メモリアル・パーク」に、毎日のように足を運んでいる男性がいる。パーク内に建てられている長いウォールには、癌や気道消化器系疾患など9.11関連の様々な病気で亡くなった約2500人の人々の名前が刻み込まれている。そこには男性の親友の名前も刻まれている。

「親友は『正しいことは、人が見ていないところでするものだよ』と言っていたけど、僕はそれに反対していたんだ。僕は人が見ているところで、正しいことをしたい。だって、僕が正しいことをしているところを見た人もまた、正しいことをしようという気持ちになるかもしれないからね」

 正しいことをしてきた。男性はそう信じている。

 男性はジョン・フィールさん。9.11後、グラウンド・ゼロで行われた復旧作業のスーパーバイザーを務めていた。メモリアル・パークは2011年、フィールさんが自費を投じてつくったものだ。フィールさんはまた2005年、「フィールグッド財団」を設立し、コメディアンのジョン・スチュワートさんらと共に、9.11関連の病気で苦しんでいるファースト・レスポンダーやサバイバーのアドヴォケートとして、彼らの医療費を補償する法案を議会に承認させるべく尽力したことでも知られる。法案は2010年、「ジェームズ・ザドロガ9.11健康補償法」(以下、ザドロガ法)として結実した。

 9.11アメリカ同時多発テロから21年。9.11コミュニティーを引っ張ってきたフィールさんは今何を思うのか? Zoomを通じて話を伺った。

ファースト・レスポンダーや9.11関連の病気に罹患した人々のアドヴォケートとして、9.11コミュニティーを引っ張ってきたジョン・フィールさん。写真:flickr.com
ファースト・レスポンダーや9.11関連の病気に罹患した人々のアドヴォケートとして、9.11コミュニティーを引っ張ってきたジョン・フィールさん。写真:flickr.com

落ちてきた3.6トンの鉄骨

 フィールさんは9.11当時、建物の解体を行う企業の監督員を務めていた。9月12日、グラウンド・ゼロの復旧作業に携わってほしいと連絡を受け、現場に向かった。

「あれほど凄惨な破壊現場をおそらく世界の誰も目にしたことはないでしょう。そこには生存者は一人としていなかった。現場は、忘れることができない記憶と決して癒えることのない傷を私の中に残しました」

 フィールさんはグラウンド・ゼロで、5日半にわたり、家にも戻らず復旧活動に従事した。しかし、9月17日、事件が起きる。重さ8,000ポンド(約3.6トン)の鉄骨が落下してきたのだ。フィールさんは負傷、何度も手術をし、負傷した左足の半分を切断することを余儀なくされた。入院期間は11週間に及んだ。

「泣きました。でも、思いました。大丈夫だ、僕はこの状況を乗り越えられると。しかし、ダメだったんです」

 フィールさんは退院後、フィジカルセラピーやメンタルセラピーを受け、歩き方や考え方を学んだ。また、9.11で負傷した人々や9.11に起因する病気に罹患した人々とも出会う。苦しんでいるのは自分だけではない。フィールさんは決意した。

「9.11で負傷した人々や病気になった人々と共に闘おう」

法案承認を目指して闘う

 フィールさんの闘いは、傷ついた身体や心との闘いに止まらなかった。

 当時、議会が最初に設けた犠牲者補償基金は9.11から96時間以内に負傷した人々しか受け取ることができなかったという。フィールさんが負傷した時は9.11から120時間が経過していた。2003年、フィールさんは新たな闘いを始める。それは、9.11により負傷したり病気になったりした人々が補償を得られるようにするための闘いだった。2005年には「フィールグッド財団」を設立、議会に対する本格的なロビー活動に入った。その結果、2010年には前述のザドロガ法が承認された。その後も、フィールさんは、2015年、2019年とザドロガ法の期限延長の活動に取り組み、期限は2090年まで延長された。

「大変な仕事でした。300回以上、米国各地を訪ね、2,000回以上ミーティングを重ねました。その間、多くのファースト・レスポンダーたちが罹患していた病気で亡くなり、191回、葬式に参列しました」

 尽力の末、勝ち取ったザドロガ法。“闘ってきたフィールさんにとっては大きな勝利でしたね”と聞くと、フィールさんの顔は曇った。

「ザドロガ法が承認されたことはみんな勝利だと言います。しかし、僕はそうは思わないんです。だって、勝利はみんなで祝い、楽しみ、抱き合うものでしょう? 僕はただ、ザドロガ法を承認させることは正しいことだと信じて取り組んだのです」

 正しいと信じていることをする。フィールさんの信条だ。

手で触れることができる形あるものを

 フィールさんは2011年、メモリアル・パークつくりにも乗り出す。

「当時、9.11後に、9.11関連の病気で亡くなった人々を追悼するメモリアル・パークが存在しなかったのです。僕が尽力してきた法案は人々の助けにはなりますが、手で触れることはできません。だから、残された人々が手で触れることができる、形あるものを作りたかった。遺族が故人の名前が刻まれているウォールに手を触れて、故人のことを偲ぶことができるようにしたかった」

 9.11から21年。9.11により負傷した人たちや病気になった人たちのために走り続けてきたフィールさん。フィールさんを突き動かし続けているものは何なのか? 

「人間に対する愛です。僕は人を助ける権利は持ち合わせていません。しかし、人を愛している。僕は政治や宗教については人と意見を同じくしないかもしれませんが、人をただ愛しているのです。同時に、自分の信念やモラルを曲げることなく、正しいことをしたいという思いもあります。また、個人ではなく、多くの人々を助けたいのです」

退役軍人や食べ物が得られない家族も助けたい

 フィールさんがしたい“正しいこと”は今や、9.11には止まっていない。

「9.11は大惨事でした。しかし、大惨事から良きことが生まれたと思います。人助けに取り組む人々が生まれたからです。「フィールグッド財団」は、最初は9.11関連の病気に罹患した人々を助けることを目的としていましたが、今では、9.11に限定せず、退役軍人たちを助ける活動もしています。8月には、バイデン大統領が、戦地で有毒ガスを浴びた退役軍人に対する医療給付を拡大する法案に署名しました。これにより、彼らは政府から300ビリオンドルの支援を得ることができます。300ビリオンドルは退役軍人を支援する法案の中ではこれまでで最大の額です。また、食べ物が得られずに困っている家族たちを助ける議案も通過させようと動いています」

 9.11に関する取り組みも続けている。世界貿易センターヘルスプログラム(前述のザドロガ法の下、2011年に設けられたプログラムで、ファースト・レスポンダーやサバイバーの健康モニタリングや経済支援を行っている)」の資金が枯渇してきていることから、フィールさんは今、このプログラムに3ビリオンドルを追加で充当させる議案を通過させようと活動しているのだ。

「ザドロガ法では2025年から2090年の間は、毎年、治療費は予算でカバーされることになっていますが、2025年までの資金が十分にないのです。しかし、要求額は3ビリオンドル程度なので、年末までには通過するとみています」

ゴールは死ぬまで助け続けること

 精力的に活動を続けるフィールさん。フィールさんは何を人生のゴールにしているのか? フィールさんは言い切る。

「死ぬまで、できるだけ多くの人を助け続けること。世界には助けを必要としている人々がたくさんいるからです」

 そして、こう続けた。

「僕はハッピーにはなれないと思うんです。それでも、ハッピーな心の状態に近づくために、ほっとできる何かを見つけられたらなと思っています」

 昨年話を伺った、元警官のキャロル・ポークナーさんが「私は毎日9.11の日を生きています」と話していたことを思い出した。「僕はハッピーにはなれないと思う」と言うフィールさんもまた、毎日、9.11の日を生きているのだろう。

 フィールさんは次の21年間のことも懸念している。

「今年で9.11から21年になりますが、次の21年は、9.11コミュニティーにとって、状況はずっと悪くなるでしょう。ファースト・レスポンダーの平均年齢は9.11当時39歳でしたが、今、彼らは60歳。歳をとり、病気が悪化して亡くなる人々の数が増えているのです。次の21年間で、9.11コミュニティーにいる人々の数は大きく減じることになるでしょう。悲しいことです」

「世界貿易センターヘルスプログラム」によると、2022年6月30日時点で、このプログラムに登録して治療を受けている人の数は11万8,474人。これまでに亡くなった人の総数は5,380人。9.11関連の癌と認定されている人の数は2万6,000人を超えている。

 フィールさんは、近く、メモリアル・パークのウォールに、この1年の間に、9.11関連の病気で亡くなった382人のヒーローの名前を刻む。

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在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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