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東京五輪で世界に露呈した“日本のエリートの恥” 「ヒトラーを賞賛した麻生副総理は続投した」米有力紙

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
開幕に先駆け、“一連の恥”が生じた東京五輪。(写真:ロイター/アフロ)

 東京五輪開会式・閉会式のディレクター小林賢太郎氏が1990年代のコントで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」とホロコーストをジョークにしたことで解任された。米メディアも開会式直前に起きた小林氏解任劇を続々報じたが、同時に、東京五輪をめぐってこれまで起きた”一連の恥”もあらためて指摘している。

東京五輪をめぐる“一連の恥”

 NBC系列のCNBCは小林氏のスキャンダルについて「内外で怒りを引き起こしてきた東京組織委員会の一連の恥の中では直近の恥だ」とし、USA Today紙も「東京組織委員会、そして特に開会式チームにとっては、一連の恥の中では直近の恥だ」と報じている。

 “一連の恥”とは、今回の小林氏の恥はもちろん、その直前に、障害のあるクラスメイトを虐めていたことを昔の記事で告白していたことが判明した、開会式の作曲担当の小山田圭吾氏が辞任した恥や、3月に東京五輪の開閉会式の演出を統括するクリエイティブディレクターの佐々木宏氏が人気タレントの渡辺直美さんにブタの仮装をさせるという演出案を出して辞任した恥、そして、2月に森前東京組織委員会会長が「女性は話が長すぎる」という女性蔑視発言をして辞任した恥を指している。

 米紙ニューヨーク・タイムズは、小林氏が即座に解任されたことは、謝罪したもののソーシャルメディアで辞任の声が高まるまで職に留まっていた小山田氏の辞任とは対照的だと指摘している。組織委員会は世界から大バッシングされる前に、小林氏をクビにすることで早急な火消しを図ったのだろう。

差別=恥を受け流してきた日本

 しかし、東京五輪をめぐるこれらの“一連の恥”が報じられたことで、これまでもしばしば問題視されていた差別問題や人権問題に対する日本の意識の低さが、あらためて世界に露呈されたと言える。森元会長の発言は女性差別、佐々木氏の発言は容姿差別、小山田氏の行動は障害者差別、小林氏の発言は人種差別に相当する。

 そして、これらの差別は、旧態然とした日本ではこれまで、多かれ少なかれ、国内では目をつぶられてきたようなところがあると思う。“一連の恥”を生み出した彼らが、東京五輪という世界が注目するイベントで問題が取り沙汰されるまで、その地位に君臨し続けてきたのがその証拠だろう。

 米紙ワシントン・ポスト電子版 (7月22日付)は「ホロコーストをジョークにするという最新スキャンダルをめぐる解任が日本のエリートの正体を暴く、と批評家」というタイトルで、「男性リーダーたちの正体が暴かれたことは、世界の監視がなければ、あるいは、オリンピックが開かれなければ、日本社会ではこれらの態度や行動が受け入れられることを露呈している」という人権団体の関係者の声を伝えている。

 また、同紙は、「ここ数年、日本では、彼らがしたようなコメントは受け流されていたかもしれない」と指摘、「副総理の麻生太郎氏は2017年にヒトラーを賞賛し、その2年後には日本の低い出生率を女性のせいにした。いずれのケースでも、麻生氏は発言を撤回して続投した」と麻生氏が問題発言をしても撤回して職に留まったことについて言及している。

 2017年8月、麻生氏は「(政治は)結果が大事だ。何百万人殺したヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくても駄目だ」と発言、同氏は海外メディアから「ヒトラーを賞賛」と批判され、発言を撤回したものの、辞任に追い込まれることはなかった。

 2019年2月には、日本の少子高齢化問題について「子どもを産まなかったほうが問題」と発言して非難を浴びたが、発言を撤回して職に留まった。

 つまり、麻生氏は結局は許された形になったのだ。

ゼロ・トレランスという意識

 東京五輪であらためて浮き彫りにされた差別という問題。

 アメリカでは、差別に対して“ゼロ・トレランス”が重視されている。トレランスとは容認、寛容といったことを意味する。トレランス=容認がゼロという“ゼロ・トレランス”とは「絶対に容認しない」という断固とした態度のことだ。差別はもちろん、暴力や暴言、ハラスメントなどの不公正に対して“ゼロ・トレランス”という意識を持ち、“ゼロ・トレランス”な態度をとることが求められている。

 今回の小林氏の差別発言に対し、ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が抗議したが、抗議は”ゼロ・トレランス”という毅然とした態度の現れだ。

 昨年、ジョージ・フロイドさんの暴力死事件後、数多くのアメリカの人々が抗議デモに参加したのも、差別や暴力に対して“ゼロ・トレランス”という意識を高く持っているからだ。

 企業も同じだ。今年5月、米ボーイング社は人種差別的な発言や行為をした従業員65人を解雇したが、それも“ゼロ・トレランス”という同社の方針に基づいたものだった。

 “ゼロ・トレランス”の意識がアメリカで高いのは、それだけ差別や暴力が横行していることの裏返しともいえるだろうが、国際社会が圧力をかけない限り問題が受け流されている日本社会はこの意識が低いのではないだろうか。東京五輪をめぐる“一連の恥”が生まれたのも、この意識が低いことに起因しているように思う。

メディアの影響?

 なぜ、“ゼロ・トレランス”という意識が低いのか?

 以下は筆者の私見だが、1つには、メディアの影響があるのではないか。

 筆者の脳裏に浮かぶのは子供時代に目にしていた光景。当時、男子生徒の中には、風変わりな生徒にいたずらをしては楽しんでいる者もいた。男子生徒たちの遊びだと当時は認識していたが、今振り返ると、いたずらに見えた行為は立派ないじめだったと思う。

 当時、そんな子供たちに影響を与えていたのは数々のバラエティー番組だった。番組の中では、コントグループが叩いたり、けなしたり、耳を塞ぎたくなるような恥ずかしい言葉を吐いたりして笑いを取り、視聴者もそんなコントを見ては大笑いしていた。当時のバラエティー番組を欧米の人々に見せたら、コントを見せる側と観る側が一体になって人をいじめているようにしか見えないだろう。彼らにとっては、まさに“ゼロ・トレランス”=絶対に容認できない、に相当する。それどころか、暴力や暴言を助長しているように見えることだろう。

 “ゼロ・トレランス”の意識が日本で低い背景には様々な理由が考えられるだろうが、“トレランス”が罷り通っていた当時のテレビ文化を含むメディアの影響があるのではないかと個人的には思う。そして、欧米と日本とでは文化が違うからという言い訳は、グローバル化した今の世界では通用しない。

 東京五輪をめぐって起きた差別という“一連の恥”が世界に露呈されたことを機に、様々な不公正に対する“ゼロ・トレランス”という意識が日本でも高まってほしいと願う。

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在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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