2014年12月から刊行されているむらさきゆきや『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』(講談社ラノベ文庫)のTVアニメ第2期が2021年4月から放映中だ。

■あらすじと刊行経緯

 MMORPGで魔王と恐れられ、孤独に過ごしていた主人公は、プレイしていたゲーム『クロスレヴェリ』らしき世界に豹人族のレムとエルフのシェラによって本物の魔王ディアヴロとして召喚されるが――あらゆる魔法を跳ね返す指輪の力によって、ふたりがかけた服従の魔法を反射し、隷属させていた。

 コミュニケーション能力に乏しい主人公は内心ビビりながらも高飛車な魔王口調をロールプレイすることでなんとか会話を成立させる。

 ディアヴロは奴隷制度が存在するなどゲームと似て非なる異世界で生き抜くために行動を始めるが、魔王クレブスクルムを倒してほしいと頼まれる。

 なろう系的な作品タイトルと設定だが、文庫初出(書き下ろし)のラノベである。

 9巻あとがきによれば、企画当時はラノベでは亜人ヒロインが少なく、異世界ものはネット発の作品でないと……といくつかの編集部で難色を示されたが講談社ラノベ文庫が手を挙げて刊行。

 結果は一巻目から大好評だった。

■先行するウェブ小説からの流れ

 2010年代のラノベで女奴隷が登場する人気作品の嚆矢は、なろうに連載されて2012年12月からヒーロー文庫で刊行された蘇我捨恥『異世界迷宮でハーレムを』だろう。

『異世界ハーレム』では奴隷を買ってセックスするが、本作では一応一線は越えない。

 ただ口絵イラストはエロ本かと見まがうかのようなきわどいもので、女性キャラとの擬似・性描写がウリのひとつになっている。

 また、高飛車な言葉を吐く主人公が実は小心者であるというコミカルさは丸山くがね『オーバーロード』などを引き継いだものだ。

 これらに加えて、魔王がパロディの対象にしかならないことをどう引き受けるかといったウェブ小説的なネタを文庫ラノベで書いた作品であり、アニメ版は本作の中のエロと笑いを誇張して描いている。

 しかし、小説版はもっと「まとも」で、いくつもの興味深い設定/論点を孕んでいる。

■ソシャゲプレイヤーの感覚を小説に取り込む

 たとえば著者のむらさきゆきやはソーシャルゲームのノベライズやシナリオを手がけているが、本作はその感覚を取り込んだラノベでもある。

 ディアヴロはレベル150で召喚され、当初圧倒的な力を見せつけていた彼も、のちにレベル200の存在が現れると修行によって「限界突破」を望む。

 序盤はサクサク進むが、途中で壁にぶち当たり、育成を真剣に悩むが、そのときには「もっと強くなれる」ことに高揚感を覚えている――という描写は、ゲームプレイヤーの感覚をよく捉えている。

『ソードアート・オンライン』『アクセル・ワールド』といった川原礫作品では「数値が高い方が勝つ」デジタルゲームとフィクションとの相性の悪さを自覚した上で、気合いが能力をブーストする「心意システム」を導入し、「うおおお! と叫んで突っ込むと強くなる」というフィクションでありがちな作劇方法を「設定」として正当化することで解決をはかっていた。

 この作品はその種のアクロバットに頼らず「ゲームに似ているがそのままではない」という曖昧さを利用し、能力アップイベントを使うことで、ゲームらしい楽しさを小説で表現している。

■ロールプレイに醒めた瞬間に訪れる孤独

 こうした「ゲームにハマった人間の心理状態の再現」と並行して「ゲーム内の出来事に対して醒めた瞬間の心理状態の表現」に似たものをも、本作は描く。

 主人公は、ロールプレイすれば行動できるが、そうでないと何もできない。

 この姿は社会学者アーヴィング・ゴフマンの相互行為論を想起させる。

 ゴフマンは実際に役割を遂行する「行為」と、役割を遂行しているかのように見せる演技をする「表現」を、分けて考えた。

 ディアヴロの存在は、人それぞれ誰しもが「らしく」振る舞うこと(「表現」)を求められているという事実を、主人公を「作られた」と思われる異世界に行かせることで、改めて自覚させる。

 被造物たちが生きる世界で、主人公は「作られた」振る舞いをする。

 それによって初めて、現実世界では得られなかった仲間を得る。

 VRを使ってヒーローの格好をさせると、その人物はふだんより行動的に振る舞う、という実験結果がいくつも出ていることを思えば、ディアヴロの体験は実際にありうるものだ。

 人間関係に「自然」などなく、社会的に要請された演技で成り立つ。

 しかしそこでは外形的な見た目や発言と秘められた内心の間にギャップや葛藤が生じる。

 この種の外見と内面の落差を使った作劇は、ラノベの基本的なテクニックのひとつだ。

 ゲーム世界だけでなく現実社会もある意味では作られたものであり、作られた振る舞いをしなければならない。

 だがそれに適応しきれないディアヴロは、ふとした瞬間に強烈な孤独感に襲われる。

 シェラは自分のことを拒絶するのではないかと疑心暗鬼になったとき、大魔王と戦った自分たちを見ていた者たちが恐怖を抱いていたことがわかったとき、自分と同じく別の世界から召喚された者たちが協力プレイをしていたことを知ったとき……。

 ハーレム状態の掛け合いやエロイベント、バトルの楽しさの中で、あるいは虚構と演技にまみれた世界の中で、ディアヴロが抱く孤独感の紛れもない本物さは、割かれる分量は極めて少ないながらも、圧倒的に際立っている。

「演技をしないと生きていけない」という感覚は近代文学にもあり、また、「ぼっち」問題を描いてきた先行する文庫ラノベ(渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』など)にもあったものだ。

 異世界ファンタジーでそのテーマを変奏した本作は、なろう系フォロワーに見えるがしかし、文庫ラノベの流れもたしかに汲んでいる。