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『かぐや様は告らせたい』が示す、ウラオモテのある振る舞いが通用しない時代の生き方とは?

飯田一史ライター
映画『かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦』公式サイトトップページより

 スマホとSNSが普及して以降の私たちが生きる社会では、人間関係に対するこざかしい戦略、ウラオモテのある振る舞いが急速に通用しなくなってきている。

『かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦』は逆接的に、コミカルに、このことを示している。

『かぐや様』の舞台はエリートが集う名門校・秀知院学園。生徒会メンバーの副会長・四宮かぐやと会長・白銀御行は互いに惹かれ合っているが、ふたりともプライドが高いがゆえに自分からは告白できず、「どうやって相手に告白させるか」を企む――というのが序盤の展開だ。

 だがだんだんと頭脳戦要素は減っていき、素直ではないが好意が漏れまくっているふたりのラブコメになっていく。

■すべてが記録されうる時代――悪事も、恥ずかしいやりとりも

 さて、では今、私たちが生きている社会とはどんなものだろうか?

 クローズドなやりとりのはずのLINEでのやりとりは、トラブルや事件があればすぐに流出してウェブ上で拡散される。

 Black Lives Matter運動のきっかけとなった白人警官によるジョージ・フロイドさん殺害事件は、第三者に撮影されていた映像がSNSにアップされたことで世界中に拡散された。

 me too運動が広まったのも、業界内の重鎮からのセクハラに対して密室や狭い世界では封殺されていた不正が、SNSを通じて世間を味方に付けることで告発することが可能になったからだった。

 近年、日本や韓国のアイドル業界では、大手事務所ほど実力のみならず性格も非常に重視されている。

 対照的に、1980年代には日本のアイドル界では「ぶりっこ」という言葉が飛び交っていたくらいで、接する相手の性別によって態度を変える、カメラや記者がいるところとそうでないところで態度を変えるアイドルがいることはざらだった。元ヤンで未成年飲酒・喫煙・暴走行為などをしていたアイドルもいた。

 しかし、今では少し有名になるとすぐに「あいつはいじめをしていた」「性格が悪い」「犯罪していた」という情報がネットに流出する。

 だから株式上場していて社会の公器たる振る舞いを求められる大手事務所に所属するアイドルほど、品行方正で誠実・勤勉、末端スタッフに対してもウラオモテなく振る舞うアイドルでないと基本的には成立しなくなっている。

 今の世の中、どんなやりとりもネット上に晒されて半永久的に残るリスクがある。

 悪事は誰かに晒されてしっぺ返しが来る。結局、誠実に、性格よく振る舞う方がいい。

 告発ツールがあるのだから、おかしいことには声をあげて変えていくべきだ。

 ――意識するとしないとにかかわらず、私たちの多くはこういう規範を内面化して生きている。

『かぐや様』や、やはり人気作品である『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』などは、ともにそうした空気に合致した作品だった。

■『かぐや様』と『はめふら』の共通点

『はめふら』では主人公が、自分が中世ヨーロッパ風異世界を舞台にした乙女ゲームの悪役令嬢カタリナ・クラエスに転生していたことに気付く。

 前世でプレイしていたゲームの中では、プレイヤーキャラであるマリアにいじわるをする悪役令嬢カタリナは、さまざまなエンディングのほとんどで破滅(悲惨な結末)を迎える。そんな不幸な未来を避けるため、カタリナとなった主人公は、周囲の人間たちに徹底的に好意的に振る舞う。

 といってもカタリナは、それが打算に見えないくらい天然で行動的(木登りが得意だったり、畑仕事に勤しんだり、無数のロマンス小説に耽溺したりと、どこが悪役令嬢なんだというボケ要素が最高におかしい)、圧倒的に陽キャラだ。そんなカタリナの性格のよさが、みなを癒していく。

 元のゲームでの悪役令嬢カタリナは、マリアに対して謀略を巡らせるが、ほとんどのエンドで結局のところ悪事がバレて破滅する。

『かぐや様』でも、かぐやと御行の策略はことごとく空回りし、ド天然の藤原書記が無自覚にぽんぽん放ってくる球がふたりを動かすことが多い。

 両作ともに「スマホで録音・録画されていて悪事(策略)がバラされました」というモロな展開はないが(ちなみにこういう話も『梨泰院クラス』はじめ近年大量に見られる)、物語が示しているのは「素直が一番」「打算はギャグにしかならない」という結論だ。

 謀略のかぎりを尽くした悪役が最終的に打破されるのは、はるか昔から繰り返されてきたカタルシスを与えてくれるストーリーのパターンであり、もちろん、今後もなくなることはないだろう。

 ただ、スマホの録音・録画一発で圧倒的な権力を手中に収めた人物の陰謀が瓦解する、というのは(現実ではよく起こっていることとはいえ)物語として考えるとバランスが悪すぎる。

 逆に言えば、「今どきそんなこと言って/して、誰かに録音されたり隠し撮りされてたらどうすんの?」というハードルを乗り越えて、策を張り巡らせまくる権力者の悪役に説得力や勝機を持たせるための工夫・発明が必要になっているとも言える。

 しかしそれはなかなか困難だ。

 だったら「もうそういう悪役然としたキャラとか二面性のある振る舞い、なかなか成立しないよね」という前提で笑いの対象として扱ってくれたほうが、今の時代の気分としてはしっくりくる。

『かぐや様』や『はめふら』は、まさにそういう作品だ。

 人間関係に対するこざかしい戦略が通用しなくなり、空回りするしかなくなった時代のコメディなのだ。

ライター

出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験した後、独立。マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャー、出版産業、子どもの本、マンガ等について取材&調査してわかりやすく解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの?』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』、中野信子『サイコパス』他。青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。息子4歳、猫2匹 ichiiida@gmail.com

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