日本こそドギーバッグ発祥国?

(ペイレスイメージズ/アフロ)

米国では、外食店で食べ残したものを「うちの犬に」と包んでもらい、持ち帰る「ドギーバッグ」が常識であると言われている。実際、米国在住の日本人に聞いたところでは、高級料理店ほど必ず持ち帰ると聞いている。だが、この「ドギーバッグ」、もしかすると、日本の方がずっと先に始めていたようだ。

鰻重(筆者撮影)
鰻重(筆者撮影)

ジョン万次郎は鰻店で残したものを食べ物に困っている人へあげていた

2018年5月2日付の日経MJ(日経流通新聞)12面に「ジョン万次郎が救う」という特集記事が掲載されており、ジョン万次郎が1800年代に勝海舟と訪れていた東京・浅草の鰻店「やっこ」でのエピソードが書かれていた。食事の残りをいつも持ち帰っていた万次郎は、「ケチ」という陰口もあったが、わざと食べ残して恵まれない人にあげていたのだそうだ。「やっこ」の公式サイトには「万次郎はしみったれ?」と題して、その時のエピソードが紹介されている。「やっこ」の仲居が外出したとき、万次郎が、橋の下にいたみすぼらしい格好をした人に「この前は、お前にあげられなくて悪かった」と言いながら鰻を渡していたのを見たと言う。彼は特に弱い立場の人に優しかったそうだ。まだ食べられるものを引き取り、食べ物を必要としている人に渡す活動を「フードバンク」と呼ぶ。1967年に米国で始まったが、万次郎がやっていたこともフードバンクの先駆けであり、食べ残したものを持ち帰るドギーバッグであるとも言えるかもしれない。

茶懐石では「食べきれないものは懐紙に包んで持ち帰り皿には何も残さないのが礼儀」

さらに調べてみると、岐阜県の飛騨古川にある料亭旅館八ツ三館(やつさんかん)若女将のゆったり日記にたどり着いた。2009年2月7日付の「ドギーバッグの原点」にはこう書いてある。

最近各種報道で話題にされることの多い

食べ残しお持ち帰り用袋である“ドギーバッグ”

アメリカなどでは極めて普通に市民権を得ているとのことで、これが『恥』の文化に基づく日本に根付くかどうかといったあたりが論点になっているようですが

実はこの形式の本家本元は実はニッポンではないか?と私は思っています。

お茶事の懐石では

亭主が丹精込めて作った料理は残さず頂くのが原則で

万が一苦手なものがあったり満腹になって食べきれなくなった時には

“懐紙”に包んで持ち帰り、お皿には何も残さないことが礼儀とされております。

出典:八ツ三館「若女将のゆったり日記」

茶懐石のマナーでは、魚の骨すらも皿には残してはならず、懐紙などに包んで持ち帰るのだという。

富士山(筆者撮影)
富士山(筆者撮影)

茶懐石が生まれたのは安土桃山時代

ではこの茶懐石はいつ頃誕生したのだろうか。味の素株式会社の「日本料理の歴史」によれば、安土桃山時代だ。すなわち1573年から1603年までのことだ。

八ツ三館の若女将が書いておられる通り、米国のドギーバッグよりもずっと昔に、日本では「食べ残したものは持ち帰る」という文化と実績があったのだった。

国も4省庁連名で「食べ残し対策の留意事項」を発表

さすがに安土桃山時代と今では食を取り巻く環境は大きく異なる。食品衛生に求められるレベルは高い。一方、最後まで食資源を活用することも重要だ。2017年5月16日、農林水産省は、消費者庁・環境省・厚生労働省とともに、飲食店での食べ残し対策に取り組む際の留意事項を発表した。

飲食店等における「食べ残し」対策に取り組むに当たっての留意事項

ドギーバッグ普及委員会の「Doggy Bag 対象店」ロゴ(画像:ドギーバッグ普及委員会より)
ドギーバッグ普及委員会の「Doggy Bag 対象店」ロゴ(画像:ドギーバッグ普及委員会より)

民間ではドギーバッグ普及推進委員会が活動に取り組んでいる。

日本の精神に誇りを持ち今日から「食品ロス削減」の一端となる習慣を始めよう

「米国では常識のドギーバッグに倣い・・」とか、「現代は飽食の時代で食べ残しは悪だから・・」などという以前に、何百年も前から食べ残さないことを礼儀としたのが日本の食文化だったのではないだろうか。ジョン万次郎のように、意図的に食べ残し、食べ物に困っている人に分け与えるような、気持ちの優しい人も100年前から存在していた。

今こそ日本の精神に誇りを持ち、先人に倣い、食べ残さない習慣、食べ残したら留意事項に注意して持ち帰る習慣を始めたい。

参考情報

林實(はやし・まこと)氏「作法心得」より「茶懐石の沿革」