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聖地フェンウェイパークで、同性愛者告白のジェイソン・コリンズが始球式ー。

一村順子フリーランス・スポーツライター
レッドソックス球団提供写真

同性愛者を告白したコリンズが聖地フェンウェイパークのマウンドに立った

6月6日。レッドソックス対レンジャーズが行われたフェンウェイパークでは、試合前にNBAのセンタープレーヤー、ジェイソン・コリンズが始球式を行った。

ことの発端は、米スポーツ雑誌「スポーツイラストレイテッド」の電子版が4月29日に、同選手が同性愛者であることを告白した記事を掲載。北米四大プロスポーツチームで現役男性選手が、同性愛者であることを公表するのは史上初の出来事で、全米中が大騒ぎになった。NBAレイカーズのコービー・ブライアント選手がツイッターで「彼を誇りに思う」とつぶやいたのを始め、スポーツ界だけでなく、オバマ大統領やクリントン元大統領ら、政界の著名人もコリンズの勇気ある告白を支援した中、いち早く、組織としてのスタンスを明確にしたのが、レッドソックスだった。同日に、球団の公式ツイッターで、「我々はあなたの勇気とリーダーシップを賞賛します。いつでも始球式に投げたければ、連絡して」と発信し、大きな反響を呼んだ。それが、この日、実現に至った。

スポーツイラストレイテッド5月6日号表紙 SI.comより転用
スポーツイラストレイテッド5月6日号表紙 SI.comより転用

地元ボストン・セルティックスでもプレーしたコリンズは、客席のファンにサインをしたり、主砲オルティスと談笑したり、リラックスムード。213センチの長身からワインドアップで投じられた1球は、捕手を務めたレッドソックス・ファレル監督のミットに、フワリと納まった。

「これは、我々が球団として、彼の勇気と彼の選択をリスペクトしていることを紹介するいい機会だ。彼が公表した時点で、我々は球団として歓迎の意を示してきた。そして、今日はそれを示す小さな第一歩だったと思う」と、同監督は言った。

レッドソックスの差別の歴史

レ軍が今回、同性愛者への支援に素早い対応をみせたのは、興味深い。マサチューセッツ州は、04年5月に、全米で初めて同性愛者の結婚が合法となり、街を歩けば、男同士、女同士のカップルを見かけることも多い土地柄だ。しかしながら、1947年にドジャーズが、ジャッキー・ロビンソンと契約し、黒人選手として初めてメジャーの扉を開けた時代、レ軍は、当時のオーナーの方針もあり、排他的な球団だった。レ軍が、初めて黒人選手を受け入れたのは、メジャー球団の中で、最も遅い1959年。その後も黒人選手やコーチは、当時フロリダ州ウィンターヘブンで開催されていた春季キャンプの施設の利用が制限されるなど、内部の差別体質は根強かったと言われる。この事態を告発したトミー・ハーパー外野手が解雇され、球団を相手に訴訟を起こしたのが、1986年。そんなに、昔の話ではない。黒人選手の受け入れには、時間を要した歴史があるレ軍。そんな過去の反省から、負のイメージを払拭するべく、21世紀のレ軍は、“開かれた球団”として、差別や偏見と闘うアスリートを支援する立場を明確にしたのかもしれない。

団体競技における同性愛者への認識が変わり始めた

今の時代、音楽や美術など芸術の分野で活躍する人々が、同性愛者であると公表しても、それ程、問題になることはない。元々、スポーツ界では、女性アスリートからの「カミングアウト」の方が多かった。有名な女子の元プロテニスプレーヤー、ナブラチロワは80年代の現役時代からレズビアンであることを公表して以来、積極的に同性愛者への支援活動を行ってきた。同性愛者を公表している選手が多い、女子テニス、女子ゴルフ界の他にも、フィールドホッケーの北京五輪金メダリスト、アグリオッティ(オランダ)やサッカーのロンドン五輪金メダリストラピノー(米国)ら、列挙にいとまがないのに比べて、男子は比較的少なかった。飛び込みのルガニス(米国)、フィギュアスケートのウィアー(米)らがいるが、圧倒的に個人競技のアスリートが多く、団体競技の選手は、引退してから告白するケースが多かったことからも、チームスポーツの中では、長くタブー視されてきたことが伺える。

レッドソックス球団提供写真
レッドソックス球団提供写真

2003年、学生時代にゲイビデオに出演した多々野数人投手(現日ハム)がインディアンスで米球界入りした際には、まず、チームメイトに対して「自分はゲイではない」と、釈明しなければならなかった。翌年には米メディアに対しても「若気の至りで間違いを犯したけれど、自分のやったことを後悔しているし、僕はゲイではない」と、改めて記者会見の場が設けられている。

その対応を取り仕切ったのが、当時、イ軍のマイナーの育成部長だったファレル監督。当時を振り返り、「共同のシャワーを使い、クラブハウスで着替える環境だから、不快に感じる選手もいる。同僚に受け入れてもらうには、彼が皆の前でゲイでないことを証言し、理解を得る必要があった」と語っていたが、時代は、ついに、変わって来たようである。

今回のコリンズの告白は、一般社会はもとより、団体スポーツ選手の間でも、概ね好意的に受け止められている。ナブラチロワは 「よくやったわ、コリンズ。1981年が私の年だったけど、2013年はあなたの年ね」とツイッターでつぶやいた。

フリーランス・スポーツライター

89年産經新聞社入社。サンケイスポーツ運動部に所属。五輪種目、テニス、ラグビーなど一般スポーツを担当後、96年から大リーグ、プロ野球を担当する。日本人大リーガーや阪神、オリックスなどを取材。2001年から拠点を米国に移し、05年フリーランスに転向。ボストン近郊在住。メジャーリーグの現場から、徒然なるままにホットな話題をお届けします。

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