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『笑点』を勇退した林家木久扇 知られていないその「畏るべき落語の実力」

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

「また来週」という言葉で『笑点』を勇退した林家木久扇

林家木久扇が『笑点』を勇退した。

3月31日ラスト出演の最後で、司会者から気持ちを聞かれた木久扇は「また、来週」と締めた。

それが『笑点』最後の発言であった。いかにも木久扇らしい。

おばかなことを言って客を楽しませ、止まらない。

どこまでもシャレで押し通す。

芸人らしい姿である。

86歳の現役のお笑い芸人

木久扇は『笑点』に1969年から出演していた。

おバカなキャラで通していた。

日本でもっとも顔を知られた落語家の一人だろう。

寄席や落語会でもよく見かけた。

いまは86歳となったので、以前ほど高座にはあがっていないが、70代のころはばりばり現役として、噺を聞かせていた。

寄席ではいつも「同じ噺」を聞かせていた

寄席ではいつも同じ噺をしていた。

何度見ても、いつも同じ噺であった。

このあたりに彼の芸人としての真骨頂がある。

聞かせるのは、自分の見聞きしたことばかりで(だいたいが師匠の話で)それを「おもしろい噺」に仕立てて聞かせてくれる。

それが木久扇の「落語」であった。

落語は古い噺だけではない

落語はなにも文政天保のころに作られた古い噺を聞かせるだけのものではない。

最近、自分で見聞きしたことを話して、それで多くの客を楽しませられるのなら、それが落語となる。

それこそ落語の本質だと言えるだろう。

烏亭焉馬も初代桂文治も(どちらも徳川期中期の落語中興の人たち)、おそらくそう認めてくれるはずだ。

客を楽しませてこその芸人である。

木久扇の高座を見ていてい慄然とした

木久扇の高座を何度も見て、いつも同じ噺だなあとおもいつつ笑って、あるとき気づいて慄然としたことがある。

木久扇が高座で一度でもはずしたことを見たことがない。

必ず笑わせる。

だいたいの場合、ひっくり返るくらいに沸かす。いわゆる「爆笑」を巻き起こしている。

「ひっくり返るほど受けている」か「みんなめちゃめちゃ笑っている」のどちらかであって、すべっているのを見たことがない。

ちょっと尋常なことではない。

木久扇の高座はすべらない

すべての落語家はつねに高座で受けたいとおもっている。

でもなかなかそうはいかない。

爆笑を起こす落語家が、客があまりに反応しないので沈んでいくさまをときどき見かけることがある(だいたいが池袋の地下の演芸場だが)。

でも、木久扇はすべらない。

厳密にいえば、私は木久扇がすべるのを見たことがない。たぶん、若いころにはいろいろあったのだとおもうが、出来上がった木久扇は必ず笑いを取っていた。

ちょっとすごい。

人間わざではない。

三代目三遊亭円歌も自作落語の人であった

かつて売れに売れた三代目の三遊亭円歌(故人/落語協会8代目の会長)もまた、自作の落語で寄席を沸かしつづけていた。

21世紀に入ってからはほとんどいつも『中沢家の人々』という自分の身のまわりのエピソード噺で客をつかんで離さなかった。

この三代円歌や、木久扇の高座こそが、落語らしい落語だとわたしはおもう。

人情噺で泣かせに泣かせて感動させる落語家は名人だと呼ばれ褒められることが多いが、でも毎回、客が渋くて客席が重くても、ぱっと明るくして必ず受ける芸人のほうが、この世界では大事である。

芸人のひとつの到達点

いつもいつも何十年も同じネタをやりつづけて、それで毎度、会場を揺るがすほどの笑いを取る、というのは、これは芸人のひとつの到達点だと私はおもう。

三百のネタをもっていて、つぎつぎと新たなネタを聞かせてくれる芸人もすごいとはおもうが、それよりもネタ一つで人生を乗り切るほうに凄みを感じる。

(実際のところ一つで乗り切るのは無理で、いちおう「三つ」は持っていないといけない、という話を聞いたことはある)

木久扇の「薄氷を踏むおもい」

それは、ひたすら同じ芸を磨き続ければいいようにおもえるが、どうもそうではない。

木久扇を見ていて気がついた。

木久扇は、毎週、『笑点』に出て、毎回、すっとぼけていた。

自分で獲得したキャラクターを軸に、いろんな笑いを生み出そうとしていた。

『笑点』での木久扇は、限られたエリアのなかではあるが、くるくる廻って、笑いに直結させようとしていたのだ。

「薄氷を踏むおもい」と勇退直後の『真相報道バンキシャ!』で語っていたが、たぶんそれは偽らざる心情だろう。常に笑いに貪欲であった。

(ちなみに薄氷を、うすごおり、と言っていた。なかなか素敵である)

同じ噺で受けるのは才覚の人だから

同じ噺を何十年も繰り返し、同じ噺でずっと受け続けるのは、やはり才覚の人でないとできないのだ。

噺の印象は同じであっても、本人は常に変化しつづけている。

そのための能力がいるのだ。

バカに見せつつも、その裏に抱えているものを感じてしまう。

ずっと明るく、ずっとバカに見えていようと、その背後には、常人には想像しきれない「闇」を抱えているはずである。

それに気づかれずにいかに笑いに変えるのかというところに彼らは身命を賭している。

そういう闇を抱えた懸命の努力を林家木久扇から感じてしまう。

たぶん、これは気づかないふりをしているほうがいいのだとおもう。

機会があれば寄席に見に行こう

とはいえ、林家木久扇は『笑点』の出演を勇退をやめただけだ。

元気なかぎりは高座に上がるはずだ。

だから機会があれば、木久扇のナマの高座を見にいったほうがいい。

ライブで見るのが大事である。

上野や新宿などの寄席にも出るだろうから、(ほとんどの寄席は当日にふらっと行って見るものである)機会があれば、見に行かれることをお薦めする。(出演者はインターネットで確認しましょう)

どうでもいいばかばかしい奇跡

林家木久扇は歴史に名を残すタイプの落語家ではない。

でもあまり類を見ない芸人ではある。見ておく価値はあるとおもう。

ライブで、同じ空間にいて、高座を見るのがいい。

聞いて、またいつものかーいと、大笑いをすることが、芸に触れることになる。

それに何の意味があるのかと聞かれるなら、生きていることが実感できますぜ、と答えるしかない。

こんな落語家は、いまはほかに存在していないのだ。

ある意味、どうでもいいばかばかしい「奇跡」である。それは間近で見て実感するときにしか意味を持たない。

いや、ほんと、いちど見ておいたほうがいい。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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